大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

前橋地方裁判所 昭和51年(ワ)313号 判決 1993年8月24日

原告(原告番号1)

青木満洲郎

原告(同2)

安藤徹男

原告(同3)

飯田至弘

原告(同4)

市川益弘

原告(同5)

兼松進

原告(同7)

倉賀野富雄

原告(同8)

桑原勝

原告(同9)

田村弘

原告(同10)

千綿洋一郎

原告(同11)

富所正義

原告(同12)

富所陽子

原告(同13)

橋本謹一郎

原告(同14)

福井洋之

原告(同15)

本木茂

原告(同16)

本木八千代

原告(同17)

山本幾猛

右一六名訴訟代理人弁護士

別紙原告訴訟代理人目録記載のとおり

被告

東京電力株式会社

右代表者代表取締役

那須翔

右訴訟代理人弁護士

別紙被告訴訟代理人目録記載のとおり

主文

一  被告は、原告らに対し、それぞれ金二六四万円及び内金二四〇万円に対する昭和五一年一〇月三〇日から、内金二四万円に対する本判決確定の日の翌日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らはその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  原告らの請求

一  被告は、原告らに対し、別紙債権目録の請求債権合計欄記載の金員及び同目録の請求債権1記載の金員については昭和五一年一〇月三〇日から、請求債権2記載の金員については同五四年九月三〇日から、請求債権3記載の金員については同五六年九月三〇日から、請求債権4記載の金員については同五九年三月三〇日から、請求債権5記載の金員については同六〇年九月三〇日から、請求債権6記載の金員については同六三年三月三〇日から、請求債権7記載の金員については平成二年九月二五日から、請求債権8記載の金員については同四年六月一七日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告らに対し、別紙謝罪文を交付し、縦一〇センチメートル、横145.6センチメートルBO判の白紙に紙面一杯に墨書の上、これを別紙掲示場所目録記載の各場所に本判決確定の日から一か月間掲示し、かつ、右謝罪文を判決確定の日の直後に発行される被告会社の社報「とうでん」の諸公示欄冒頭に一頁全面を用いて掲載せよ。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告らの地位

原告らは、それぞれ次の年月日に被告会社に入社した社員で、東京電力労働組合(以下「東電労組」という。)の組合員である。

原告青木 昭和二九年七月二日(ただし、同日の入社は、被告会社群馬支店に臨時人夫として採用されたもので、被告会社の正社員となったのは、同年一〇月一日である。)

原告安藤 同三六年四月一日

原告飯田 同三四年四月一日

原告市川 同三三年四月一日

原告兼松 同三四年四月一日

原告倉賀野 同三五年九月二六日(ただし、同日の入社は、被告会社群馬支店に臨時雇いとして採用されたもので、被告会社の正社員となったのは、同三六年四月一日である。)

原告桑原 同三四年一二月一〇日(ただし、同日の入社は、被告会社群馬支店に臨時社員として採用されたもので、被告会社の正社員となったのは、同三五年四月一日である。)

原告田村 同三九年四月一日

原告千綿 同三六年四月一日

原告富所正義 同三二年四月一日(ただし、同日の入社は、被告会社群馬支店に臨時人夫として採用されたもので、被告会社の正社員となったのは、同三三年二月一日である。)

原告富所陽子 同三五年四月一日

原告橋本 同三三年四月一日

原告福井 同三五年四月一日

原告本木茂 同日

原告本木八千代 同二六年五月一日(ただし、同原告は、同二二年六月に、被告会社の前身である関東配電株式会社に入社していたところ、被告会社の設立に伴い、被告会社に移籍して正社員となったものである。)

原告山本 同三七年二月二三日(ただし、同日の入社は、被告会社群馬支店に臨時雇いとして採用されたもので、被告会社の正社員となったのは、同年六月一日である。)

2  原告らの活動

(一) 原告らは、被告会社従業員の労働条件の向上と平和、民主主義の確立を目指して、次の諸活動を行ってきた。

(1) 原告らは、労働者の真の権利を守るためには自ら労働組合活動を行う必要があると考え、積極的に東電労組役員選挙に立候補して活動し、被告会社の合理化政策は労働者の権利を侵害するとの認識の下に、一貫して合理化政策に対する反対運動を行い、また、東電労組群馬支部内に青年婦人部を結成させて、労働条件低下の矛先となりやすい立場の青年及び婦人従業員の労働条件の維持向上を図る活動を行い、さらに、被告会社による従業員に対する不当解雇など数多くの不当な処分に対し、その撤回を求める闘争を行い、解雇者等の支援活動を行った。

(2) 原告らは、各種文化、スポーツサークルを作り、うたごえ運動、勤労者音楽協議会(いわゆる労音)、勤労者演劇協議会(いわゆる労演)での活動を繰り広げ、労働者の権利を守るための活動の一環として、「学習の友」をテキストとして労使関係、民主主義、平和維持等に関する学習会活動を行った。

(3) 原告らは、昭和三五年に日米安全保障条約改定阻止運動(いわゆる六〇年安保闘争)に参加し、その後も同三八年から翌三九年にかけて原子力潜水艦寄港反対集会等に参加するなど、平和運動に積極的に参加した。

(二) 原告らは、これらの活動を通じて日本共産党(以下「共産党」という。)あるいはその関連組織である日本民主青年同盟(以下「民青」という。)の思想及び活動に同調するようになり、原告らのうち、次の者は、それぞれ共産党に入党し、又は民青に加盟するに至った。

原告青木 昭和三五年一〇月、共産党に入党

原告安藤 同三八年二月、民青に加盟

原告市川 同三五年一二月、民青に加盟

原告兼松 同月、民青に加盟

同三七年一二月、共産党に入党

原告倉賀野 同年三月、民青に加盟

原告桑原 同三五年五月、民青に加盟

同年一〇月、共産党に入党

原告田村 同四〇年一二月、民青に加盟

原告千綿 同四一年一〇月、共産党に入党

原告富所陽子 同三九年一〇月、共産党に入党

原告橋本 同三七年七月、共産党に入党

原告福井 同三九年三月、共産党に入党

原告本木茂 同三六年一二月、民青に加盟

同三八年一二月、共産党に入党

原告本木八千代 同三九年二月、共産党に入党

原告山本 同年七月、民青に加盟

その余の原告である飯田、富所正義も、共産党及び民青の活動を積極的に支持、支援してきた。

3  被告会社の労務政策と原告らの思想の把握

(一) 被告会社は、昭和二六年五月の設立以来、現在に至るまで、独占利潤の追求と「合理化」設備投資を遂行するため、会社の思うままになる労働者づくりを目指してあらゆる手段を尽くしてきた。

すなわち、被告会社の労務政策の基本は、「組合をして会社のよきパートナーたらしめる」ために「組合の体質改善」を図ることであり、それは表面的には「労使の秩序を調整する」あるいは「組合関係の合理的調整を図る」というものであるが、実質は組合に対する支配、介入であって、被告会社は、労働組合を右傾化させて労使強調路線をとらせ、会社の方針を遂行する際の協力者としつつ、その一方で、これに抵抗する民主的労働者、とりわけ共産党及びその支持者等の先進的活動家を徹底的に敵視し、職制機構を通じて、日常不断に監視、分断、孤立化を図るとともに、賃金、仕事等のあらゆる面で差別攻撃を加えてきた。

(二) 被告会社は、職制による労働者監視体制を強化し、労働組合に対してはその動向を把握するとともに、組合役員選挙に対して干渉し、ときには共産党及びその支持者の立候補者の引き下し工作、選挙運動への妨害まで行い、さらに、労使強調を基本とするインフォーマル・グループを組織させて右傾化を図り、従業員に対して企業意識の育成と反共思想を植え付けるべく教育、広報活動を行った。

他方、共産党及びその支持者に対しては、次のような反共攻撃、人権侵害行為あるいは差別を加えてきた。

(1) 被告会社は、活動家に対し、思想的転向あるいは被告会社からの排除を目的として、さ細な事実をとらえて合理的理由のない厳重注意処分に処し、あるいは始末書提出を要求し、さらに、懲戒処分に処するといった攻撃を加え、あるいは、職制を通じて、共産党員及びその支持者に対し、不利益扱いをちらつかせるなどして、左翼思想を捨てて会社の方針に同調するよう「転向」を強要してきた。

(2) 被告会社は、東電労組弱体化の手段として、会社の方針に批判的な現職組合役員あるいは組合役員立候補予定者に対し、その思想的影響力を職場から排除するため、違法、不当な配転を行い、あるいはまた、立候補させないように圧力をかけたり、その立候補の推薦者に対して、推薦を取り消すよう圧力をかけたりし、さらに、投票に際しても、従業員全員に被告会社の意を受けた立候補者に投票するよう強要するなどして、労働組合の役員選挙に対する支配、介入を行ってきた。

(3) 被告会社は、結婚式や葬儀への出席者をチェックしたり、休暇取得の際に理由を質したりすることにより、従業員の私生活を監視するとともに、共産党員及びその支持者の活動に対する干渉を行ってきた。

(4) 被告会社は、共産党員及びその支持者に対し、社宅入居については申請があった場合にこれを拒否し、あるいは入居時期を遅らせ、仕事の割り振りについては仕事から排除し、あるいは誰もが嫌がる仕事を押し付けるなどし、また、被告会社が従業員の能力を開発する手段として設けている研修を受講させるについては、その受講を拒否することにより、他の従業員に比較して不利益な扱いをしてきた。

(5) そして、被告会社による活動家攻撃の最大の武器として行われてきたものは、従業員としての能力を現実よりも低く査定することによる賃金差別である。

(三) 被告会社は、原告らの前記活動状況を把握することにより、それぞれ、遅くとも次の時期までに、原告らが共産党員又はその支持者であると認定した。

原告青木 昭和三五年一二月ころ

原告安藤 同四〇年四月ころ

原告飯田 同三八年一二月ころ

原告市川 同三七年中

原告兼松 同年中

原告倉賀野 同四三年七月ころ(ただし、同原告は同四〇年五月ころ、一度、共産党員又はその支持者と認定されたが、その後活動を停止しており、同四三年七月の認定とは、活動再開後に改めて認定された時期を意味する。)

原告桑原 同三六年中

原告田村 同四一年七月

原告千綿 同月ころ

原告富所正義 同四〇年五月ころ

原告富所陽子 同四〇年初めころ

原告橋本 同三九年四月ころ

原告福井 同四一年初めころ

原告本木茂 同三九年一二月ころ

原告本木八千代 同三九年八月ころ

原告山本 同四二年四月ころ

4  賃金差別

(一) 被告会社の給与体系

被告会社の給与は、(1)基準内給与、(2)基準外給与、(3)賞与、(4)退職金等で構成される。

(1) 基準内給与は、①基本給、②資格手当、③職責手当、④世帯手当で構成される。

① 基本給は、別に定められている基準基本給及び号数基準値表で、職級及び号数の交差した位置に記載されている額を基礎に、人事考課(定昇調整)の結果を加味して決定されるものである。

職級は、各従業員の個別的能力とは関係なく、具体的職務の内容と被告会社作成の基準職級表の内容とを対比照合して決定されるもので、職級の決定された具体的職務に各従業員が配置(職級任用)されることにより、各人の職級が自ずから決まってくるものである。

号数は、勤続年数を基礎にして、学歴、社外経験期間を加味することによる補正を経て、決定される。

人事考課は、それぞれの職級、号数ごとの基準定昇額に、〇ないし四〇パーセントの範囲で付加される考課分である。

② 資格手当は、従業員各人の職務を通じて得る知識、技能の蓄積等を評価した結果付与される資格にそれぞれ対応する賃金である。それぞれの資格は、各職級に対応して定められている。

③ 職責手当は、各役職に付与される賃金であって、それぞれの役職位は各職級に対応して定められている。

④ 世帯手当は、勤務地別及び年齢別に定まる定額であって、職級及び人事考課とは無関係に決定される。

(2) 基準外給与は、時間外手当、当直手当、特別労働手当、作業手当、特定勤務手当、保線手当、建設勤務手当及び冬営手当で構成され、いずれも職級及び人事考課とは無関係に決定される。

(3) 賞与は、賞与本体、住宅積立助成手当及び住宅助成臨時措置特別加算で構成される。

賞与本体は、基本給比例、職級別定額、基準内給与比例及び純査定の総計で決定され、住宅積立助成手当及び住宅助成臨時措置特別加算はいずれも基準内給与比例(ただし、職責手当を除く。)で決定されるものである。

(4) 一時金

① 安定供給推進協力一時金(同四八年一〇月一六日支給)

② 財産形成促進助成措置(同四九年一一月五日支給)

③ 賃金支払日変更貸付金(同五二年一月一四日支給)

これらは、後記のとおり、基本給、基準内給与に従い、決定される。

(二) 賃金差別の仕組み

(1) 職級任用と人事考課

① 各従業員の職級任用は、被告会社の人事考課によるもので、人事考課は、(ア)従業員の担当する職務の遂行度合いと職務遂行に関連してみられる執務態度を評定すること(業績評定)、(イ)担当する職務等を通じてみられる従業員の職務遂行能力及び人物について、その水準、特性を評価し、適職や研修事項を判定すること(能力評定)からなる。

② 人事考課は、前記の通り職級を決定する基礎となるほか、毎年の昇級時における定期昇給部分の考課分及び年二回の賞与の査定部分にかかわる。

(2) 原告らの職務遂行能力と差別行為

原告らは、同学歴、同期入社の従業員らと比較して、少なくとも平均以上の職務遂行能力を有するところ、被告会社は、共産党員又はその支持者である原告らについて、その思想、信条の故に嫌悪し、査定権者を通じて査定する際、査定内容が抽象的かつ主観的であることを利用して、実際の職務遂行能力等を無視して、故意に社内で低く評価される職務に配属して不当に低い職務に位置付けた上、同一職務内での昇給もさせず、さらに、人事考課の査定においても通常の従業員よりも低額の査定を行ってきた。

(3) 差別行為と損害との因果関係

被告会社が、原告らに不当に低い査定を行ってきたことにより、原告らは、本来受けるべき額よりも低額の賃金しか受けることができず、その差額が賃金差別行為による損害となる。

また、職級任用は基本給の決定にかかわってくるほか、資格手当、職責手当及び賞与の決定にもかかわるので、職級任用において査定差別が行われると、これらの部分すべてについて賃金差別が行われる結果となる。

5  賃金差別額の算定

原告らは、前記のとおり、同学歴、同期入社の従業員らと比較して、少なくとも平均以上の職務遂行能力を有するので、被告会社による賃金差別がなければ、原告らは、少なくとも同期同学歴入社従業員らの平均賃金額に相当する賃金を受けるはずであったことになる。そこで、原告らは、本訴請求において、同期同学歴入社従業員らの平均賃金を算出し、それをもって、原告各自が受けるべきであった賃金額とし、そこから原告各自が被告会社より実際に受けた賃金を差し引くことによって、賃金差別額を算定する。

原告各自が受けるべきであった賃金額、すなわち平均賃金額の算出方法は、次のとおりである。

(一) 昭和四八年一〇月から同五七年九月まで

(1) 基準内給与

① 基本給及び職級について

ア 東電労組本部作成の「賃金実態調査結果の概要」及び「賃金実態調査結果」のうち「学歴別・年令別基本給特性値」又は「学歴別・年令別・基本給平均・特性」表において各原告に対応する同期同学歴入社者の二分の一位数に示される基本給を平均基本給とする。

東電労組本部作成の「職級実態調査結果の概要」及び「賃金実態調査結果」のうち「学歴別・職級別・勤続年数別人員表」及び「学歴・職級別・勤続別人員」において各原告に対応する同期同学歴入社者の中位数に示される職級を平均職級とする。

このようにして、各入社年度の高校卒の従業員について各年度ごとの平均基本給及び平均職級を表にしたものが、別表1の1の「入社年度別組合員平均基本給・職級一覧表(高卒)」である。

各原告の入社年度を別表1の1に当てはめることによって、各原告が受けるべき基本給の額と任用されるべき職級とを割り出すことができる。

イ 年度途中に入社した原告については、正社員となった日の次に来る四月一日に入社したものとして取り扱う。すなわち、原告青木については昭和三〇年、原告倉賀野については同三六年、原告桑原については同三五年、原告富所正義については同三三年、原告本木八千代については同二三年、原告山本については同三八年のそれぞれ四月一日に入社したものとして、受けるべき賃金を算出する。

ウ また、原告本木八千代は中学卒で入社したものであるが、中学卒の従業員についても前記高校卒の従業員の場合と同様の方法で、平均基本給及び平均職級を割り出す。

このようにして、同二三年度入社の中学卒の従業員について各年度ごとの平均基本給及び平均職級を表にしたものが、別表1の2の「入社年度別組合員平均基本給・職級一覧表(中学卒)」であり、原告本木八千代が受けるべき基本給の額及び任用されるべき職級もこれと同一である。

② 資格手当について

東電労組本部作成の「資格運用実態調査結果の概要」及び「賃金実態調査結果」のうち「勤続別資格等級別人員表」及び「学歴・男女・勤続資格別人員」において各原告に対応する同期入社者の中位数に示される資格を平均資格とする。

ただし、昭和四八年度については、資格制度運用の改正時(昭和四七年一〇月一日)に労使間で協定した資格と職級の移行措置による。この時点で労使間で協定した資格・対応職級は別表2のとおりであるから、別表1で割り出した各原告の職級を、別表2に当てはめることによって、昭和四八年度の資格を割り出すことができる。

このようにして、各入社年度の従業員について各年度ごとの平均資格を表にしたものが、別表3の1の「入社年度別組合員平均資格一覧表(高卒)」及び別表3の2の「入社年度別組合員平均資格一覧表(中学卒)」である。

また、各資格について与えられる資格手当の額を、改定年月日ごとに区分けして表にしたものが、別表4の「資格手当年度別推移一覧表」である。

別表3の1及び2で割り出した各原告の資格を、別表4に当てはめることによって、各原告が受けるべき資格手当の額を割り出すことができる。

③ 職責手当について

職級と役職位、職責手当の対応関係及びその改定の推移は、別表5の「職責手当改定及び対応職級一覧表」のとおりである。

別表1の1、2で割り出した各原告の平均職級を、別表5に当てはめることによって、各原告が受けるべき職責手当の額を割り出すことができる。

④ 世帯手当について

従業員の年齢及び扶養家族の人数、勤務地等と世帯手当額の対応関係及びその改定の推移は、別表6の「世帯手当年度別推移一覧表」のとおりである。

これについては、差別の要因がないので、各原告の受けるべき世帯手当の額と各原告が現実に受けた額とは同額となっている。

以上により、各原告が受けるべき①基本給、②資格手当、③職責手当、④世帯手当の合計額が、それぞれの受けるべき基準内給与の額である。

基準内給与額は、昭和四九年四月及び同五七年四月に変動があったので、次のとおり、期間を区切って算出する。

ア 同四八年一〇月から同四九年三月までの六か月間

イ 同年四月から同五七年三月までの八年間

ウ 同年四月から同年九月までの六か月間

(2) 賞与

賞与は年二回(上期分は一二月、下期分は翌年六月)支給されるもので、賞与額は各年度の労使協定による配分項目ごとに算出した額の合計額である。

昭和四八年上期分(同年一二月支給分)から同五六年下期分(同五七年六月支給分)がここでの算出の対象となり、同四八年度から同五六年度までの労使間の賞与妥結額は別表7のとおりである。

各原告が受けるべき賞与額の配分項目ごとの額の算出方法は次のとおりである。

① 基本給比例部分は、別表1から割り出された基本給に、別表7の(1)基本給比例欄記載の各比率を乗じて算出する。

② 基準内比例部分は、基準内給与に別表7の(3)基準内比例欄中の(ア)基準内含職責手当欄記載の比率を乗じた額と、基準内給与から職責手当額を差し引いた額に別表7の(3)基準内比例欄中の(イ)基準内除職責手当欄記載の比率を乗じた額とを合計する(ただし、昭和四八年度及び同四九年度については、職責手当を含んだ基準内給与比例を賞与に含めていないので、(ア)の部分の算出額は加えず、(イ)の部分の算出額のみとする。)。

③ 職級別定額部分は、別表1から割り出された職級にそれぞれ対応する別表7の(2)(ア)職級別定額欄の内訳記載の額とする。

④ 純査定部分は、別表7の(2)査定欄中の(イ)純査定欄記載の額とする。

以上の①ないし④の合計額が各原告が受けるべき賞与額である。ただし、一〇〇円未満は一〇〇円単位に切り上げて支給される(以下、一〇〇円未満を一〇〇円単位切り上げることを「一〇〇円単位に切り上げ」という。)。

また、同四九年上期賞与額は、基本給比例部分について、基本給の67.4パーセントとして一旦計算し、これと基準内比例部分、職級別定額部分及び純査定部分の合計額を算出して一〇〇円単位に切り上げた後、さらに、基本給の30.8パーセントの額及び基本給の26.2パーセントの額をそれぞれ一〇〇円単位に切り上げた額の合計を加えることによって算出する。

(3) 住宅積立助成手当、住宅助成臨時措置特別加算及び財産形成給付金

以上のものは、いずれも基準内給与から職責手当を差し引いた額に支給率を乗じて算出するもので、支給年月、支給基準及び支給率の推移は、住宅積立助成手当については別表8のとおり、住宅助成臨時措置特別加算については別表9のとおり、財産形成給付金については別表10のとおりである。

各原告が受けるべき住宅積立助成手当、住宅助成臨時措置特別加算及び財産形成給付金の各金額の算出は、各原告の受けるべき基準内給与及び職責手当の各金額を基礎に、それぞれ別表8、同9及び同10に従って行う。

(4) 一時金

各一時金の算出方法は次のとおりである。

① 安定供給推進協力一時金(昭和四八年一〇月一六日支給)

昭和四八年度基本給の7.5パーセントに四〇〇〇円を加える。

② 財産形成促進助成措置(同四九年一一月五日支給)

同年九月末の基準内給与から職責手当を差し引いた額の21.4パーセントに三〇〇〇円を加える。

③ 賃金支払日変更貸付金(同五二年一月一四日支給)

これは、賃金支払日の変更に伴って全従業員に貸し付けられたものであるが、従業員が返済したのは貸付額の一部のみで、その余は返済を免除されたため、賃金計算上は一時金として扱うこととする。

その額は、同五一年一二月末の基準内給与の二一パーセントである。

各原告が受けるべき安定供給推進協力一時金、財産形成促進助成措置及び賃金支払日変更貸付金の額の算出は、各原告の受けるべき基本給又は基準内給与の各金額を基礎に、それぞれ前記の算出方法に従って行う。

(二) 昭和五七年一〇月以降

被告会社は、同年同月、給与体系の大幅な変更を行ったため、従来からの継続的な賃金額算出は不可能となり、また、昭和五八年度からは組合資料の入手が困難となったため、従来と同様の計算方法をとることが不可能となった。

そこで、昭和五七年一〇月以降の賃金額計算方法は、次のとおりとする。

(1) 基準内給与

① 世帯手当を除いた基準内給与(以下「基準内・除世帯手当」という。)について

ア 被告会社が、同五七年一〇月に賃金体系新制度への移行を行った際の基準内給与は、同年四月の基準内給与と同一金額とされつつ、移行措置として世帯手当が三〇〇〇円減額され、資格給(旧体系における資格手当に相当する。)が三〇〇〇円増額されたので、結果的に、同年同月における基準内・除世帯手当は同年四月の基準内・除世帯手当と同額となる。

イ 同五八年度以降の基準内・除世帯手当の額は、前年度の基準内・除世帯手当に当年の賃上げ妥結率を乗じた額を上乗せした上で、一〇〇円単位に切り上げたものとする。

昭和五八年度以降の各年度の賃上げ妥結率は、次のとおりである。

同五八年度 4.2パーセント

同五九年度 4.33パーセント

同六〇年度 4.75パーセント

同六一年度 4.65パーセント

同六二年度 3.85パーセント

同六三年度 4.63パーセント

平成元年度 5.18パーセント

同二年度 5.62パーセント

同三年度 5.3パーセント

このようにして、各入社年度の従業員の基準内・除世帯手当の額について、昭和五七年度から同五九年度までの推移を表にしたものが別表11の1、同六〇年度から平成元年度までの推移を表にしたものが別表11の2、同二年度及び同三年度の推移を表にしたものが別表11の3である。

各原告が受けるべき基準内・除世帯手当の額の算出は、各原告の入社年度を別表11の1ないし3に当てはめることによって行う。

② 世帯手当について

世帯手当の昭和五七年度以降の年度別推移については、別表12の1ないし10のとおりである。

これについては、差別の要因がないので、各原告の受けるべき世帯手当の額と、各原告が現実に受けた額とは同額となっている。

③ 以上の①及び②の金額の合計が、各原告の受けるべき基準内給与の額となる。

(2) 賞与

① 昭和五七年度上期分(昭和五七年一二月支給)については、賞与算定の基準月が同年九月末であるので、同五六年度までの算出方法と同じく、労使協定による配分項目ごとに算出した額の合計額として算出する。このときの妥結内容は別表13の1の(1)欄に記載されているとおりであり、項目別妥結内容は、同欄の「内訳」以下に記載されている。よって、

ア 基本給比例については、同五七年九月末基本給の130.1パーセントに相当する額

イ 職級別定額については、別表13の1の(1)欄内の各級と職級別定額との対応表から割り出される額

ウ 純査定については、一律二万三〇〇〇円

エ 基準内給与比例については、基準内給与の五六パーセントに相当する額と、基準内給与から職責手当を差し引いた額の57.7パーセントに相当する額との合計額

各原告につき、それぞれ受けるべき基本給、基準内給与及び職責手当並びに任用されるべき職級を基礎にして、前期のアないしエによって算出した合計額が、各原告の受けるべき昭和五七年度上期分の賞与額となる。

② 同年度下期分以降の賞与額については、配分項目ごとに算出するのではなく、賞与の合計額を一括して算出することとし、各期の基準内給与の額に平均妥結率を乗じた上で、一〇〇円単位に切り上げたものとする。すなわち、昭和五七年度下期分については、妥協率が別表13の1の(1)欄記載のとおり、同年九月末基準内給与の2.4か月分となる。

各年度の賞与妥結率及び妥結額について、昭和五七年度上期から同五九年度上期までの推移を表にしたものが別表13の1、同年度下期から同六一年度下期までの推移を表にしたものが別表13の2、同六二年度上期から平成元年度上期までの推移を表にしたものが別表13の3、同元年度下期から平成三年度上期までの推移を表にしたものが別表13の4である。

各原告が受けるべき賞与の額の算出は、各原告の年度ごとの基準内給与に妥結率を乗じることによって行う。

(3) 住宅積立助成手当及び財産形成給付金

① これらについては、従来は、基準内給与から職責手当を減じた額に支給率を乗じることによって算出していたが、賃金体系の新制度への移行により、職責手当の確定が困難となったため、原告らは、それぞれ少なくとも係長あるいは副長に任用されるのが相当であるとの前提に立ち、職責手当は一律に係長・副長相当額の二万円(昭和六〇年度以降は二万五〇〇〇円)として、前記のとおり算出した基準内給与から二万円を減じた上で、支給率を乗じることとする。

さらに、財産形成給付金については、一〇〇円単位に切り上げた上、扶養家族の有無によって区別される定額加算を行う。

② 住宅積立助成手当の各支給分の算出方法について、昭和五八年一月分から同六〇年一月分までの推移を表にしたものが別表14の1、同年六月分から同六二年六月分までの推移を表にしたものが別表14の2、同六三年一月分から平成二年一月分までの推移を表にしたものが別表14の3、同年六月分から平成四年一月分までの推移を表にしたものが別表14の4である。

③ 財産形成給付金の各支給分の算出方法について、昭和五七年一〇月分から同五九年一〇月分までの推移を表にしたものが別表15の1、同六〇年六月分から同六二年四月分までの推移を表にしたものが別表15の2、同六二年一〇月分から平成元年一〇月分までの推移を表にしたものが別表15の3、同二年四月分から同三年一〇月分までの推移を表にしたものが別表15の4である。

④ 各原告が受けるべき住宅積立助成手当及び財産形成給付金の額の算出は、各原告の年度ごとの基準内給与から前記職責手当を除いた額に、支給率を乗じることによって行う。

(三)(1) 以上の算出方法に従い、各原告の受けるべき賃金の額、すなわち、平均賃金の額を算定することになるが、その過程は、別紙平均基準内給与一覧表及び平均賃金計算書記載のとおりである。

(2) そして、各原告ごとに算定した各自の受けるべき賃金額から、原告らが実際に受けた賃金額を差し引くことにより、賃金差別額が算定される。

原告らがそれぞれ受けるべき賃金(平均賃金)、原告らが実際に受けた賃金(実際の賃金)及び両者の差額については、別紙差別賃金一覧表記載のとおりである。

6  被告会社による人権侵害行為

被告会社は、次のとおり、共産党員及びその支持者を忌み嫌い、原告らに様々な人権侵害行為を行ってきた。

(一) 原告青木関係

(1) 不当配転

被告会社は、藤岡営業所において青年婦人部活動、料金集中化反対等の活動の中心となっていた原告青木の他の従業員に対する影響力の減殺を図り、昭和三五年一二月一九日付けで、同原告を同営業所から桐生営業所へ配転した。

(2) 仕事の取り上げ

被告会社では、同三八年五月から、資材精算の職務と購買の職務を兼務している者については八級とすることが可能になったが、原告青木は、資材精算及び購買を兼務しているにもかかわらず、九級に据え置かれたため、同原告がこれを東電労組桐生分会三役に被告会社との交渉を提案するなどしたところ、被告会社は、同三九年一月下旬ころ、同原告を九級に据え置くつじつまを合わせるため、同原告から購買の仕事を取り上げて資材精算の仕事のみを担当させた。

(3) 転向強要

被告会社は、同四四年四月、太田営業所長田村泰良を通じて、原告青木に対し、「私は前に銀座支社にいた。そこに、中村君、紺野君という共産党員がいたが、中村君は今共産党の東京都地区委員をしている。紺野君は君より年配者だが君と同じ平社員だ。私も昔は沼田で電産の田村兄弟と言えば警察の尾行がついたくらい活動した。しかし、会社が共産党嫌いであることを知って、活動をやめた。どうしても活動を捨てられないと言うなら、会社をやめて共産党の常任になるようにやるとか、会社に残るなら共産党をやめる以外は出世の道はない。今のままでは一生平社員で終わってしまうよ。これは先輩の忠告だと考えて、頭に置いてほしい。」と述べさせて、同原告に転向を強要した。

(二) 原告安藤関係

(1) 転向強要

被告会社は、同四六年三月末、前橋通信所長杉本喜八を通じて、原告安藤に対し、「君の思想や行動は会社にとって好ましくないので活動をやめなさい。活動をやめれば昇級させてやるし、今後のことも悪いようにはしない。」と述べさせて、同原告に転向を強要した。

(2) 結婚式妨害

被告会社は、同四七年二月に行なわれた原告安藤の結婚式に関し、職制を通じて、他の被告会社従業員に対し、結婚式実行委員をやめるようにあるいは結婚式に出席しないように圧力を加えたため、従業員二名が挙式の実行委員を辞し、また、案内状を発送した従業員二九名のうち出席したのはわずか二名となった。

(3) 社宅入居差別

同四九年三月ころ、原告安藤が勤務していた渋川工務所電子通信課運営係において、同原告の同課工事係への転出をめぐって係内会議が行なわれたが、同原告は、そのころ、妻及び長男を自宅から妻の勤務先へ送迎していたため、同原告が時間外勤務の多い工事係へ転出した場合には、渋川近辺にある被告会社社宅へ入居する必要があった。そこで、同原告が社宅入居を希望する旨発言したところ、被告会社は、同課運営係長藤井要を通じて、「安藤君は社宅に入れないのが会社の方針だ。」と述べさせるなどして、同原告を社宅入居させなかた。

(4) 研修からの排除

① 原告安藤は、同五八年春、被告会社が参加者を募集した酸欠危険作業主任者講習会の受講を希望したが、被告会社は、高崎工務所電子通信課長西村夙正を通じて同原告の受講を拒否した。

② 被告会社は、同三九年以降、特殊無線技士(多重)免許等の資格を取得するための研修会を開催し、個々の従業員に順番に受講させていたが、原告安藤に対しては、受講の機会を与えなかった。

(三) 原告飯田関係

(1) けん責処分

被告会社は、同三九年一二月二九日、活動家の従業員川面次男に対し、同三八年一二月一七日に発生した火災にかかわり、被告会社の従業員として名前が新聞に掲載されたために、被告会社の名誉を傷つけたとして、けん責処分を行ったが、原告飯田は、右処分は不当だとして、その旨記載した手紙(ビラ)を東電労組群馬支部組合員に配布したところ、被告会社は、同四〇年一月二〇日、右ビラ中の「私生活の面までも干渉を深め、処分する事により弱い立場にさせ、低賃金でも、どんな権利がうばわれ様ともだまって働く人間造りを会社がねらっている事ではないでしょうか。」との記載部分が被告会社をひぼう中傷するものであることを表向きの理由としつつ、実際には同原告の左翼活動を封じ込めることを目的として、同原告に対し、けん責処分を行った。

(2) 転向強要

① 被告会社は、同三九年三月一二日、原告飯田に対し、群馬支店送電課通信係主任松本一男を通じて、「おれが寮に一年いれば変わるだろう。寮の体制を変えろ。」と述べさせると同時に、同年二月末から三月初頭にかけて越後湯沢において開催された左翼活動家を中心としたスキー交流会に絡めて、「君たちが湯沢に来たことは知っている。」と述べさせ、さらに、同年五月二〇日、同原告に対し、右松本を通じて、「おれは筋金入りだから気をつけろ。」と威圧的な発言をさせて、転向を強要した。

② 被告会社は、同年七月九日、原告飯田に対し、茨城県に出張した折、右松本一男、前橋通信所主任都丸希勝、金井通信所主任下田由雄及び水戸通信所長杉田新一を通じて、「民青はアカだ。会社をつぶす。会社にいるなら活動をやめよ。損をする。」などと述べさせ、転向を強要した。

(3) 社宅入居拒否

被告会社は、同四一年秋、原告飯田が社宅入居の申請をしたのに対し、群馬支店送電課送電係長松本太郎を通じて、金井通信所所属の従業員で共産党員又は支持者と見なされていた大山平治(改姓後は杉山)が思想転向したことに絡めて、「大山君、すなわち杉山君のことを知っているか。彼のようにならないと入居は認められない。会社の方針がそうである。今の会社は理屈抜きで共産党を嫌っている。足を洗ったほうがいい。」などと述べさせ、同四二年三月、社宅入居を拒否した。

(4) 結婚式妨害

原告飯田が、同四五年一〇月下旬、結婚祝賀会の案内状を被告会社内の通信関係の従業員二一名に発送したところ、被告会社は、従業員らに対し、結婚式に出席しないよう圧力を加えたため、出席の返事をしたのはわずか五名となった。

(四) 原告市川関係

(1) 転向強要

被告会社は、同三九年夏、原告市川に対し、伊勢崎営業所配電課配電係長山岸雄及び同営業所主任内田光雄を通じて、被告会社の社費による免許取得に絡めて、「市川君に自動車の免許を取らせてやりたいが、それが会社の役に立つかどうか心配だ。今後会社の役に立つよう改めるなら、免許を取らせてやるよう課長に話してやる。」と述べさせ、転向を強要した。

(2) 電力キャンプ参加への干渉

電力会社勤務の左翼活動家を中心にしたいわゆる第三回電力キャンプが、同四一年七月一六日及び同月一七日、赤城山で行われ、原告市川も参加するつもりでいたところ、実母の病気のため参加できなかったが、被告会社は、同原告が右キャンプに参加するものと考え、同日、従業員の山田一男を同原告方へ赴かせて参加しているかどうか様子をうかがわせ、また、同月一八日、同原告に対し、同営業所主任辻重夫を通じ、「ばか野郎、おふくろが病気だと嘘をついて、山に行っていたんだろう。」と怒鳴らせ、さらに、同営業所配電課長新井芳次郎を通じて、「赤城に行ったのか。」と述べさせて、同原告の民主的活動に干渉を加えた。

(3) 結婚式妨害

原告市川は、同四二年四月三〇日、結婚式を挙げることになり、伊勢崎営業所長をはじめ、同営業所の従業員二七名に対し招待状を出したところ、被告会社は、従業員らに対し、結婚式に出席しないよう圧力を加えたため、出席したのは定年退職後の嘱託小野田健治郎一名であり、他の二六名は結婚式の実行委員五名を含め全員欠席した。

(4) 仕事上の差別

被告会社の試験職場においては、入社後、定期調査担当から新増設調査担当、所内検査担当を経て、設計担当、管理担当と上がっていくのが通常のルートとされるところ、被告会社は、原告市川に対し、入社当社は右ルートに従って、定期調査、新増設調査、次いで所内検査を担当させたが、同四一年、所内検査から新増設調査担当に、同四二年九月、定期調査担当に逆戻りさせ、同四四年四月まで右担当に据え置き、他の従業員と仕事の上で差別した。

(五) 原告兼松関係

(1) 転向強要

① 被告会社は、同三七年一二月中旬、原告兼松に対し、高崎営業所資材主任金古一を通じて、「民青をやめろ。考え方を変えろ。お前なんかいつでも首にできる。」と脅させて、転向を強要した。

② 被告会社は、同三九年三月、原告兼松に対し、群馬支店総務課長山田嘉一郎を通じて、「民青に入っていると聞いている。入っていると君のためにはならない。」と脅させて、転向を強要した。

③ 被告会社は、同四一年秋、原告兼松に対し、太田営業所長小野里隆璋を通じて、「色々なところから情報が入っている。民青に入っていると将来のためにならない。入っているのならやめろ。やめれば私が面倒を見てやる。一筆書けばよい。」と述べさせて、転向を強要した。

(2) 不当配転

① 被告会社は、同三八年五月二一日付けで、当時原告兼松が東電労組前橋分会執行委員であったところ、右執行委員の資格を奪うため、同原告を前橋営業所から太田営業所へ配転した。

② 被告会社は、同四二年六月一日付けで、活動家を同一職場に根付かせてその影響力が拡大するのを妨げる目的で、ある活動家を配転して後任にはまた別の活動家を置くことを順次行ういわゆる「玉突き配転」をし、原告兼松もその一端として、太田営業所から安中営業所に配転された。

(3) 仕事上の差別

① 原告兼松は、同四〇年八月ころ、電設業務を担当することとなったが、同業務の職級は最低でも九級とされており、同原告も一〇級から九級へ昇級するはずであったところ、被告会社は、同原告を昇進させず、そのつじつまを合わせるために、同原告を電設業務から一〇級職であるカード方へ移した。

② 原告兼松は、同四七年に渋川営業所に配転された後、奉仕職種において六級職以上の仕事を担当していたが、被告会社は、同五一年一月一三日、同営業所における業務分担の変更を行い、同原告の担当業務を停電広報及び改修箋のみとして、同原告から、それまで担当していた懇談会、講習会等の企画実行の仕事を取り上げた。

(4) 研修からの排除

① 原告兼松は、被告会社の社内研修として開催される話し方教室に参加することを考え、同五二年五月六日、群馬支店人事課研修係に電話をかけ、右教室に参加できるかどうかを問い合わせたところ、被告会社は、人事課研修係長佐藤茂雄を通じて、一旦は、「まだ空いているからどうぞ。」と答えておきながら、同原告が名前を名乗った途端、「参加者の人選は会社で行う。」と言い、結局、定員超過を理由に同原告の参加を拒否した。

② 原告兼松は、同五四年四月一七日、渋川営業所営業課長多賀谷次郎が、営業課では特殊無線技師の資格が必要である旨話しているのを聞き、同課長に対し特殊無線講習会の参加を申し出たが、被告会社は、無線指令とは直接係わりのない業務を担当する従業員を同講習会に参加させ、同原告の申し出を認めなかった。

(六) 原告倉賀野関係

(1) 転向強要

① 原告倉賀野は、同四一年七月一〇日、民青群馬県委員会主催の谷川集中登山に参加したところ、被告会社は、同月一五日から同月二二日までの間、四回にわたり、同原告に対し、伊勢崎営業所総務係長岡山誠吉、同営業所長今井進及び同営業所料金係長小飯塚博を通じて、右登山への参加について問いただすことによって、同原告に転向を強要した。

② 被告会社は、同年九月初旬ころ、右小飯塚を通じて、原告倉賀野に対し、「今後、民青と疑わしき行動は一切いたしません。」と記載した誓約書を提出させることによって、転向を強要した。

③ 被告会社は、原告倉賀野に右誓約書を書かせた数日後、群馬支店会議室において、同原告に対し、同支店労務課長浅野勲ら職制約一五名の前で、民青をやめたことを宣言させ、転向を強要した。

(2) 結婚式妨害

① 被告会社は、同四四年五月五日、右小飯塚を通じて、原告倉賀野の婚約者の母に対し、「倉賀野君は共産党だから娘さんと結婚しても会社では定年まで偉くなれない。このまま活動していると一生楽はできないから考えたほうがよい。お母さんから娘さんによく言い聞かせ、倉賀野君が活動をやめるように勧めてください。」と述べさせて、同原告に干渉した。

② 被告会社は、同年一〇月二六日に行われた原告倉賀野の結婚式に先立って、右小飯塚を通じて、同原告の叔父関口正雄(育ての親)に対し、「民青と思われる人は出席させないように」と述べさせた結果、同原告は、自分の結婚式に活動家を一人も招待できなくなった。

③ 原告倉賀野の活動家の仲間たちは、同原告のために「結婚祝賀パーティー実行委員会」を組織して、同年一一月二八日、結婚祝賀会を開催することになったため、同原告が、被告会社の従業員らに案内状を送付したところ、被告会社は、右小飯塚を通じて従業員らに送付された案内状を回収するなどして従業員らが出席できないように工作し、その一方で、高崎営業所の今井正夫ら三名を、同祝賀会の出席者を把握するため、出席させ、同原告の結婚式を妨害した。

(3) 不当配転

① 被告会社は、同四〇年四月の高崎営業所分会執行委員選挙に原告倉賀野が立候補して善戦したので、翌五月一〇日付けで、同原告を高崎営業所から伊勢崎営業所へ配転したが、同原告に対しては、発令後五日も経過した同月一五日に配転を申し渡し、しかも、同原告に転勤の挨拶さえさせないという異例のものであった。

② 被告会社は、原告倉賀野が、前記誓約書を作成した後、しばらく左翼活動から離れていたところ、同四三年ころから活動を再開したため、逆転向したと見なして、同四四年四月一日付けで、同原告を群馬支店料金課から遠隔地の沼田現業所へ配転した。

(七) 原告桑原関係

(1) 民青活動に対する干渉

① 被告会社は、同三五年秋、原告桑原の入社時の紹介者である小山支社料金課長小野里隆璋を通じて、同原告に対し、青年婦人部活動や労働組合の集会での発言などを取り上げて、「近ごろ、桑原君のことについて悪い噂を聞くのだが、あまり派手にやらないでくれ。古沢と茂木とは親しく付き合わないで欲しい。古沢は筋金入りのアカだから特に気を付けてくれ。」と述べさせ、同原告の活動に干渉を加えた。

② 被告会社は、同三六年七月七日、右小野里を、原告桑原宅へ訪問させ、同原告の病気がちの母親に対し、民青活動をやめさせるよう説得を行うことによって、同原告の活動に干渉を加えた。

(2) 転向強要

① 被告会社は、同三七年春、原告桑原が結婚を控えて被告会社の厚生資金の借用を申請した際、前橋営業所総務係長植村九二一を通じて、同原告に対し、「金が必要ならおれが貸してやる。返金はいつでもいい。もちろん利息はいらない。ここらで共産党をやめてはどうか。いいチャンスだ。」と述べさせて、転向を強要した。

② 被告会社は、同四一年一二月六日、群馬支店労務課長浅野勲を通じて、原告桑原に対し、人事異動に絡めて、「今がチャンスだから、共産党をやめてはどうかね。そうすれば今度の人事異動のことも含めて、君の将来は私が保証してやる。」と述べさせて、転向を強要した。

(3) 不当配転

被告会社は、前記のとおり、右浅野を通じて原告桑原に転向を強要したところ、同原告がこれを拒否したので、当時、同原告が、妻が病弱な上に幼少の子を抱えて共働きの生活をしていたため、住居近くの前橋近辺での勤務を希望していたにもかかわらず、同四二年一月一五日、同原告を、高崎営業所から群馬県北端の沼田営業所へ配転した。

(4) 運転免許証取得に関する差別的取り扱い

原告桑原は、倉庫業務を担当していたために業務上運転免許を必要としたことから、同四四年、被告会社に対し、会社費用での免許取得を申請したが、被告会社は、同四三年ころ、業務上特に運転免許を必要としない労務担当の従業員に会社費用で運転免許を取らせていたにもかかわらず、同原告の申請を認めなかった。

(八) 原告田村関係

(1) 不当配転

① 被告会社は、原告田村が、腰痛に苦しんでいる最中であるにもかかわらず、同原告を、同四二年一月一日付けで、前橋補修所から厳寒地の今井発電所に配転した。

② 被告会社は、原告田村を、同四四年二月五日付けで、西窪発電所に配転したが、同発電所においては、運転要員を合理化方針により八名から七名に減員したところでありながら、要員外の運転日勤としてまで、同原告を一年後には無人化予定の同発電所に赴任させた。

(2) 転向強要

被告会社は、同四一年一〇月、群馬支店労務課長浅野勲を通じて、原告田村に対し、「田村君が民青に入っているのは知っている。共産党に入っているのか。党員でないのなら誓約書を書け。党員は東電では絶対に偉くなれないよ。やめるなら今だ。」と述べさせて、転向を強要した。

(3) 電力キャンプ参加への干渉

被告会社は、同四一年七月、前橋補修所長力石松雄を通じて、原告田村に対し、前記電力キャンプに絡んで、「あれは共産党や民青の集会だから参加しないほうがいい。参加すれば会社のブラックリストに載るぞ」と述べさせて、右電力キャンプへの参加に干渉を加えた。

(九) 原告千綿関係

(1) 不当配転

① 原告千綿は、同四〇年二月、被告会社従業員の石倉寮で、「赤旗日曜版」及び「学習の友」を講読したところ、被告会社は、同年三月突然、同原告を群馬支店送電課送電係から送電現場である野中保線区へ配転した。

② 原告千綿は、同四三年、東電労組群馬支部代議員選挙に立候補して、二票差で落選したところ、被告会社は、同年六月、同原告を、野中送電所から、群馬県内の送電所としては辺地である吾妻送電所へ配転させた。

(2) 転向強要

被告会社は、同四一年六月、群馬支店労務課長浅野勲を通じて、原告千綿に対し、「君は民青だろう。やめたほうがよい。まだ君はいい目をしている。私が鶴見火力時代に山田君という共産党員がいた。そのころは目つきが悪かった。私が山田君を転向させたが、転向後はいい目つきになった。君も今なら大丈夫だ。」と述べさせて、転向を強要した。

(3) 電力キャンプ参加への干渉

被告会社は、同四一年七月、原告千綿に対し、野中送電所長宮崎春夫を通じて、前記電力キャンプに絡み、「電力キャンプに参加しただろう。労務課に証拠の写真がある。」と述べさせて、同原告の活動に干渉しつつ思想攻撃を加えた。

(一〇) 原告富所正義関係

(1) 私生活への干渉と活動への攻撃

① 被告会社は、同三九年一月、原告富所正義に対し、元上司日比野広行宅における新年会の席上、群馬支店料金課記帳係主任浅野留夫を通じて、「赤旗日曜版を読んでいるだろう。奥さんがビラ張りをしているのを会社は目撃しているぞ。」と述べさせて、同原告の私生活及び活動に干渉を加えた。

② 被告会社は、同年三月、原告富所正義に対し、料理屋「天元」において、群馬支店総務課長山田嘉一郎及び同支店経理課従業員で高校の先輩でもある石原晃を通じて、「民青に入っているのか。奥さんはどうなのか。」と述べさせて、同原告の私生活及び活動に干渉を加えた。

③ 被告会社は、同年夏、原告富所正義に対し、前橋駅前通りの喫茶店において、同支店配電課計画係長小野亀久雄を通じて、「富所君は民青に入っているのかい。奥さんはどうなんだい。」と述べさせて、同原告の私生活及び活動に干渉を加えた。

④ 被告会社は、同四〇年四月、原告富所正義に対し、同原告自宅において、同支店料金課従業員で高校の先輩でもある佐藤正及び職場の先輩である町田嘉三を通じて、「職場でいろいろと組合の問題で人と話しているが、職場で口を利くな。さもないと損をするぞ。」と述べさせて、同原告の活動に干渉を加えた。

(2) 転向強要

被告会社は、同四三年冬、原告富所正義に対し、同支店記帳主任田代利雄を通じて、「富さんは仕事はよくできるけれど会社に民青と思われている。もしそうでないのなら、そうでないと一筆書いておいたほうが得だよ。」と述べさせて、執ように転向を強要した。

(3) 不当配転

原告富所正義は、同四四年ころ、妻(原告富所陽子)も被告会社に勤務していた関係で、三人の子供を学校あるいは保育園に預けてから出勤しなければならない状況にあったところ、被告会社は、同年五月一〇日付けで、原告富所正義を、同支店料金課から、通勤に不便な渋川現業所へ配転した。

(一一) 原告富所陽子関係

(1) 監視強化

被告会社は、同四〇年秋ころ、原告富所陽子が勤務する群馬支店配電課会計機室の間仕切り二面を木製の壁から素通しのガラスに取り替えて、同原告に対する監視を強化した。

(2) 不当配転

① 被告会社は、同四一年一月一〇日付けで、原告富所陽子を、当時妊娠八か月であって、あと一か月余で産前休暇に入るにもかかわらず、同支店配電課料金係から前橋営業所営業課の受付係へ配転した。

② 被告会社は、同四三年八月一日付けで、原告富所陽子を、当時やはり妊娠七か月半であったにもかかわらず、一度も希望を聞かずに同営業所営業課営業係から同課集金係へ配転した。

(3) 住民運動に対する干渉

被告会社は、同四五年二月一〇日、原告富所陽子に対し、同営業所料金課長日比野広行を通じて、同日の赤旗日刊紙の長時間保育保護者会連絡会の前橋市との保育時間延長交渉の記事及び写真に絡み、「支店の木村茂男労務課長に呼ばれて、富さんの写真が載っている赤旗記事を見せられた。行動には注意したほうがいいよ。」と述べさせて、住民運動にまで干渉を加えた。

(一二) 原告橋本関係

(1) 転向強要

① 被告会社は、同四一年九月初旬ころ、原告橋本に対し、当時病気のため入院中であった同原告の姉茂木擴子を通じて、前記電力キャンプに絡んで、「赤城山のキャンプの参加者は群馬支店労務課に知られている。活動をやめるのなら、今のうちだ。」と述べさせて、転向を強要した。

② 被告会社は、同年一二月五日に、原告橋本に対し、同支店三階応接室内において、同支店労務課長浅野勲を通じて、「第二のレッドパージがあるぞ。今のうちに考え方を変えたほうがいいぞ。分かっているだろう。会社は君を共産党と見ている。将来のためにならないよ。転向したやつもいるぞ。君もどうだね。」と述べさせて、転向を強要した。

③ 被告会社は、同四三年ころ、原告橋本に対し、右浅野を通じて、同原告の社宅入居申込に絡んで、「君、社宅に入居したければ考え方を変えなさいよ。共産党を抜けるなら入居させてやるよ。一筆書いたらどうかね。また、君が共産党でないなら『共産党ではない』と一筆書きなさい。そうすれば社宅に入れてやるよ。」と述べさせた上、遂には「どんなことがあってもおれは知らないよ。遠くへ飛ばしてしまうぞ。」などと述べさせて、転向を強要した。

(2) 社宅入居拒否

被告会社は、前記のとおり、原告橋本に対し、右浅野を通じて、社宅入居申請に絡んで転向を強要したものの、同原告が転向を拒否したため、同原告の社宅入居を認めなかった。

(3) 不当配転

① 原告橋本には、同四四年二月二二日、二人目の子供が出生し、しかも同原告は妻と共働きの状況にあったため、当時、育児の面で手がかかる状態であったにもかかわらず、被告会社は、同年四月一日付けで、同原告を群馬支店から通勤に困難を伴う藤岡営業所へ配転した。

② 原告橋本は、その後、被告会社に対し、前橋への転勤を希望しており、同原告には、同四七年四月二八日、三人目の子供が出生し、やはり育児の面で手がかかる状態であったにもかかわらず、被告会社は、同年五月一五日付けで、同原告を、富岡営業所へ配転した。

(4) 研修からの排除

原告橋本は、同四五年春、被告会社が開催する電気工事士受験準備講習会への参加を申し込んだところ、被告会社は、同原告に対し、藤岡営業所総務課長田久政男を通じて、「君のような考えの人には、講習を受けてもらいたくない。」と述べさせて、同原告の受講を妨害した。

(一三) 原告福井関係

スパイ強要・転向強要

被告会社は、同四三年二月ころ、原告福井に対し、前橋営業所応接室において、同営業所配電課配電係長遠藤菊次を通じて、「組合役選に対する民青グループの動きについて教えてもらいたい。」と述べさせ、同原告にスパイを強要しつつ、暗に転向を強要した。

(一四) 原告本木茂関係

(1) 組合役員選挙の妨害

原告本木茂は、同四〇年四月、東電労組群馬支部渋川分会の支部代議員選挙に立候補し、対立候補がないまま立候補締切になろうとした矢先、被告会社は、渋川営業所配電課長小柏新夫を通じて、従業員栗原秀男を無理やり立候補させて投票に持ち込み、同原告を落選させた。

(2) 研修からの排除

① 被告会社は、同四二年春、渋川営業所において若年従業員を対象とした研修会を開催した際、思想に問題のあるものは参加させないとの観点から、同営業所総務課長林俊彦を通じて、原告本木茂を右研修から排除した。

② 原告本木茂は、同五七年秋、被告会社が渋川営業所においてパソコン研修会を開催した際、同研修会への申込をしたところ、被告会社は、同原告に対し、四〇歳以上の者は後日研修するので、そのとき受けるようにとの理由で参加を拒否し、結局、その後パソコン研修を開催せず、同原告を研修から排除した。

(3) 妻へのスパイ強要

被告会社は、同四四年四月、本店に出張してきた原告本木茂の妻(原告本木八千代)に対し、本店労務部現業連絡担当浅野勲を通じて、「夫の本木茂が竹中追悼会に行ったこと、今後夫がどこに誰と行ったかを教えるように。」と述べさせて、スパイ行為を強要することにより、原告本木茂の活動に干渉を加えた。

(4) 不当配転

被告会社は、同四四年四月一五日付けで、原告本木茂を、渋川営業所から桐生営業所に配転したが、これはいわゆる「玉突き配転」の一環として行われた。

(5) 思想攻撃

被告会社は、同四五年ころ、桐生営業所内の分会書記局の部屋において、原告本木茂に対し、同営業所配電課長神田憲敏を通じて、「本木君は民青か共産党だと人から聞いたが、本当はどうなんだね。もし、そうでなけれがいいんだが、民青や共産党だと損だからね。」と述べさせて、思想攻撃を加えた。

(6) 利益誘導

被告会社は、同四六年八月、原告本木茂に対し、同営業所従業員高庭利一郎を通じて、「前から本木君に言いたいことがあったんだ。共産党じゃ偉くなれないよ。おれがよい人を知っているから東京へ行かないか。そして活動をやめればよくなるよ。」と述べさせて、利益誘導、どう喝をした。

(一五) 原告本木八千代関係

(1) スパイ強要

被告会社は、同四四年四月、本店に主張してきた原告本木八千代に対し、本店労務部現業連絡担当浅野勲を通じて「実はあなたのご主人が、竹中幹さんの追悼集会に行きましたね。そのことはどうということはないのですが、一緒に来た人がよくないですね。青木さん、桑原さんなどで、群馬の人は五、六名です。調べてあるのでわかっています。今度ご主人がどこかへ出掛けるようなことがあったら、私に教えてくれませんか。」と述べさせて、夫へのスパイ行為を強要した。

(2) 検定受験妨害

原告本木八千代は、同三九年八月、被告会社が従業員研修制度の一環として行っている社内検定のひとつである三類検定を受験しようとしたが、被告会社は、面接の数日前、同原告に対し、群馬支店経理課会計係長萩原作太郎を通じて、「会社の方針で民青には検定を受けさせない。」などと述べさせて、同原告の受験を妨害した。

(一六) 原告山本関係

(1) 職場八分

被告会社は、同三九年五月ころ、高崎営業所検針事故員今井正夫を通じて、同営業所従業員に対し、「原告山本は共産党員だから親しくするな。」と述べさせて、いわゆる職場八分をするよう働き掛けた。

(2) 労音活動への干渉

被告会社は、同四一年五月ころ、原告山本に対し、右今井を通じて、「山本、労音はアカだからやめてしまえ。」と述べさせて、同原告の活動に干渉を加えた。

(3) スパイ強要

被告会社は、同三九年九月一日、原告山本に対し、高崎営業所検針係長笠井清二を通じて、同年八月に行われた東電労組群馬支部主催の赤城山林間学校に絡んで、参加者がどのようなことを話していたかについて質問され、スパイ行為に協力するよう誘われた。

(4) 選挙活動への妨害

原告山本は、同年一一月、東電労組本部執行委員の補欠選挙において、立候補者原告桑原を支持する活動をしていたところ、被告会社は、右笠井らを通じて、従業員を集合させた上、「桑原は共産党だから入れるな。」と述べさせて、同原告の選挙活動を妨害した。また、被告会社は、同四〇年四月、東電労組高崎分会の執行委員の選挙において、原告山本が立候補者原告倉賀野を支持し、活動したが、このときも右と同様に選挙妨害をした。

(5) 電力キャンプでのスパイ行為

原告山本は、同四一年七月一六日から同月一八日にかけて行われたいわゆる第三回電力キャンプに、同月一七日の仕事を終了させた後に参加したところ、被告会社は、同キャンプの参加者の写真を盗み撮りした。

(6) 思想、信条の自由に対する人権侵害

原告山本は、同四二年四月一五日投票の県議会議員選挙において、共産党候補者うつの洋一の選挙活動をしたところ、被告会社は、同原告に対し、高崎営業所料金課長春山茂吉を通じて、「会社では共産党の活動をすると損をするからやめろ。」などとどう喝した。

(7) 研修からの排除

被告会社は、同四二年五月から、従業員研修制度のために設置している東電学園の受験希望者に対する講座を開催し、原告山本がこれを申し込み、第一回目の講座を受講したところ、被告会社は、その翌々日、前記春山茂吉を通じて、「あの研修は東電学園受験者のためだから出席を断る。」と述べさせ、さらに、同営業所総務課長小飯塚博を通じて、「山本君がどんな活動をしているか、自分がよく知っているはずだ。」と述べさせて、同原告の活動を理由に、研修から排除した。

(8) 結婚式妨害

原告山本は、同年一二月三日に結婚式を挙げることになり、事前に被告会社従業員及び業務委託していた検針作業員ら二九名宛てに招待状を発送したところ、被告会社は、職制を通じて、従業員らに対し、同原告の結婚式に出席しないよう働き掛けた結果、右二九名全員が欠席した。

(9) 転向強要

被告会社は、同四八年三月、原告山本に対し、高崎営業所長代理狩野弘を通じて、「転勤の話が出ているが、今の考えを変えなければ高崎外の営業所に転勤になる。」と述べさせて、不当配転をほのめかして転向を強要した。

7  被告会社の行為の違法性

被告会社は、原告らに対し、同人らが共産党員又はその支持者であり、被告会社の思うままになる従業員づくりに抵抗することのみを理由として、前記極端な賃金差別及び人権侵害行為を行ってきたものであって、右各行為は、憲法一四条、一九条、二一条、労働基準法三条、民法九〇条、原告らが加入している東電労組と被告会社が締結した労働協約六条、二五条に違反する。

8  損害

(一) 賃金差別相当額

この算定方法については、請求の原因5で述べたとおりであるが、このうち、同四八年一〇月ないし同五一年九月における差別賃金相当額に、後記の慰謝料及び弁護士費用を加えた額が、別紙債権目録の請求債権1、同年一〇月ないし同五三年九月における差別賃金相当額が同目録の請求債権2、同年一〇月ないし同五六年三月における差別賃金相当額が同目録の請求債権3、同年四月ないし同五七年九月における差別賃金相当額が同目録の請求債権4、同年一〇月ないし同六〇年三月における差別賃金相当額が同目録の請求債権5、同年四月ないし同六二年九月における差別賃金相当額が同目録の請求債権6、同年一〇月ないし平成二年三月における差別賃金相当額が同目録の請求債権7、同年四月ないし同四年三月における差別賃金相当額が同目録の請求債権8である。

ただし、同目録中、かっこ内の数値が併記されているもの(原告青木の請求債権6、原告市川の請求債権1、原告桑原の請求債権4、原告田村の請求債権3、原告千綿の請求債権2、原告富所正義の請求債権1、原告富所陽子の請求債権合計、同2及び同4、原告福井の請求債権4、原告本木茂の請求債権2及び同3、原告本木八千代の請求債権合計、同1、同2及び同4並びに原告山本の請求債権1)については、前述した差別賃金の算出方法によれば、かっこ内の数値となるところ、その一部を請求するにとどめるものであって、本訴において請求する金額は、かっこの付されていない数値である。

(二) 精神的損害

原告らは、被告会社による前記賃金差別及び人権侵害行為によって、多大な精神的損害を被ったものであり、その一端を金銭によって慰謝するには、原告各自につき金三〇〇万円を下回ることはない。

(三) 名誉毀損

原告らは、被告会社による右不法行為によって人格を無視され、名誉を毀損されたので、これを回復するために民法七二三条に基づき適当な措置として、請求二項のとおり、謝罪文の交付、被告会社による謝罪文の掲示及び掲載を求める。

(四) 弁護士費用

原告らは、同五一年一〇月一日、原告ら訴訟代理人らに対し、本件訴訟の提起及び追行を委任し、その報酬として、本件訴訟第一審終結の際に、次の各金員を支払う旨約した。

原告青木 四六万

原告安藤 三七万

原告飯田 三九万

原告市川 四〇万

原告兼松 四〇万

原告倉賀野 三九万

原告桑原 三八万

原告田村 三四万

原告千綿 三七万

原告富所正義 四〇万

原告富所陽子 四〇万

原告橋本 四〇万

原告福井 三七万

原告本木茂 三八万

原告本木八千代 三九万

原告山本 三五万

9  よって、原告らは、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、別紙債権目録の請求債権合計欄記載の金員及び同目録の請求債権1ないし8の各弁済期の経過した後である請求一項記載の日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払並びに請求二項記載の謝罪文の交付、謝罪広告の掲示及び掲載を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1は認める。

2  同2(一)及び(二)は知らない。

3  同3は否認する。

4  同4のうち、被告会社の給与体系はおおむね認めるが、原告ら主張の詳細については否認する。

5  同5のうち、原告らが実際に受けた賃金(実際の賃金)の額は認め、その余は否認する。

6  同6の冒頭部分は否認する。

(一) 同6の(一)(1)のうち、配転の事実は認めるが、その余は否認し、(2)及び(3)はいずれも否認する。

(二) 同6(二)(1)ないし(4)はいずれも否認する。

(三) 同6(三)(1)のうち、被告会社が川面次男及び原告飯田に対し行った各けん責処分の真の目的が、いずれも活動家を攻撃して押さえ付けることにあったとの点は否認し、その余は認める。(2)ないし(4)はいずれも否認する。

(四) 同6(四)(1)ないし(4)はいずれも否認する。

(五) 同6(五)(1)はいずれも否認する。(2)①及び②のうち、配転の事実は認めるが、その余は否認し、(3)及び(4)はいずれも否認する。

(六) 同6(六)(1)及び(2)はいずれも否認する。(3)①及び②のうち、配転の事実は認めるが、その余は否認する。

(七) 同6(七)(1)及び(2)はいずれも否認する。(3)のうち、配転の事実は認めるが、その余は否認する。(4)は否認する。

(八) 同6(八)(1)①及び②のうち、配転の事実は認めるが、その余は否認する。(2)及び(3)はいずれも否認する。

(九) 同6(九)(1)①及び②のうち、配転の事実は認めるが、その余は否認する。(2)及び(3)はいずれも否認する。

(一〇) 同6(一〇)(1)及び(2)はいずれも否認する。(3)のうち、配転の事実は認めるが、その余は否認する。

(一一) 同6(一一)(1)は否認する。(2)①及び②のうち、配転の事実は認めるが、その余は否認し、(3)は否認する。

(一二) 同6(一二)(1)及び(2)はいずれも否認する。(3)①及び②のうち、配転の事実は認めるが、その余は否認し、(4)は否認する。

(一三) 同6(一三)は否認する。

(一四) 同6(一四)(1)ないし(3)はいずれも否認する。(4)のうち、配転の事実は認めるが、その余は否認し、(5)及び(6)は否認する。

(一五) 同6(一五)(1)及び(2)はいずれも否認する。

(一六) 同6(一六)(1)ないし(9)はいずれも否認する。

7  同7は争う。

8  同8(一)ないし(四)はいずれも否認する。

三  被告の主張

1  請求の原因事実の特定不十分

原告らは、本件訴訟において、不法行為に基づく損害賠償を請求しており、その要件事実は、(1)加害行為、(2)加害意思、(3)損害発生及び因果関係、(4)損害額の特定であるところ、原告らは、これらの要件事実を特定して具体的に主張することを怠っている。すなわち、原告らの主張では、いかなる権利ないし法益が侵害されたというのか、被告会社のどの時点におけるいかなる行為をもって加害行為だというのか、その主張する損害額が被告会社による権利侵害行為とけん連している根拠は何か等、請求の原因事実として特定されるべき内容は何一つ明らかにされていない。

(一) 被侵害権利の特定

原告らは、被侵害権利について、「その思想信条を理由に賃金その他の労働条件について差別的取り扱いを受けない権利ないし利益」である旨主張しているが、いわゆる均等待遇の原則は、思想信条等を理由とする差別的取り扱いを禁ずるという趣旨にとどまるものであって、右原則から、直接的かつ具体的な権利ないし利益が生ずるものではない。したがって、原告らは、被告会社との雇用契約に基づき取得した具体的な権利ないし利益を特定して主張する責任がある。

従業員が右雇用契約に基づき取得する具体的な権利ないし利益とは、被告会社が人事諸制度を個々の従業員に適用することによって、具体的に発生するものであるが、人事諸制度の適用においては、個々の従業員の職務遂行能力及び勤務成績を処遇に反映させることとされつつも、職級の決定、人事考課、資格の格付け及び役職への任用のいずれもが、被告会社の裁量に委ねられている。そして、右裁量権は公正に行使されることを要するものの、個々の従業員が雇用契約に基づき、処遇に関して有している権利ないし利益とは、被告会社の公正な裁量権の行使を期待するところから認められる利益に帰着するのである。したがって、原告らとしては、被告会社と雇用契約を締結していることから当然に、統計上の同期かつ同学歴者の平均又は中位数に当たる処遇を受けるべき権利ないし利益を有しているものではないのであるから、原告らが、このような平均的処遇を期待的利益として主張しうるためには、各原告が、それぞれの平均的処遇を受けている従業員に比べて、少なくともそれと同等以上の職務遂行能力を有し、業務にそれを発揮して勤務成績を挙げていたことを、具体的に主張しなければならない。

しかしながら、原告らは、請求の原因事実として、「原告らはいずれも標準以上の職務遂行能力を有する。」と抽象的に主張するのみで、その具体的内容を全く主張していないのであるから、原告らは、その主張する権利ないし利益を取得した根拠を何ら示したことにはならない。

(二) 加害行為の特定

不法行為に基づく損害賠償請求の要件事実である加害行為とは、損害を発生させる原因となった行為をいうところ、原告らは、この点において、「昭和四八年一〇月以降の各賃金支払日において被告会社が原告らに対し、思想、信条、正当な組合活動を理由として、低い差別賃金を支払っている行為を侵害行為として主張しているのである。」とする。

しかしながら、原告らが主張するように、賃金支払日に差別賃金が支払われたとしても、原告らの権利侵害は、その賃金支払行為によって生じたものではなく、賃金支払行為は、損害を現実化させた事実行為にすぎず、そのような損害を現実化させるもとになるのは賃金決定行為であり、それはすなわち、被告会社における職務任用(職級決定)、人事考課に基づく査定、資格の格付け及び役職任用といった諸行為であるから、原告らとしては、どの時期の、どのような職務任用等の賃金決定行為が行われたかを明確に主張しなければならないところ、原告らは、このような主張をしていない。

(三) 加害意思の特定

不法行為に基づく損害賠償請求の要件事実である加害意思とは、加害者側における具体的な権利侵害の意思であって、単なる嫌悪あるいは敵視といったものは、当然には権利侵害の意思を意味するものではないところ、この点についての原告らの主張は、要するに、「被告会社には、共産党員又はその支持者に対する排除ないし放逐する意思が存在する。」というものであって、加害意思の内容となる具体的な権利侵害を明確に主張しているとはいえない。

(四) 損害額の特定

仮に、被告会社に右のような差別意思が存在し、かつ、原告らを他の同期同学歴者と比較した結果、処遇上の格差が認められたとしても、その格差のすべてが当然に差別意思に基づくものとなるものではなく、右差別格差は裁量権を濫用した結果であるから、原告らは、被告会社が裁量権を濫用しなければかかる損害は発生しなかったというけん連関係が認められる範囲内でのみ、損害額を主張し得るものである。前記のとおり、人事諸制度が個々の従業員の職務遂行能力及び勤務成績を賃金等の処遇に反映させ、それによって格差が生ずることを当然の予定としている制度であるから、右格差は、原告らと他の同期同学歴者との間の職務遂行能力及び勤務成績による格差であると推定されるべきものであり、そして、右格差のうち、どの範囲が被告会社の差別意思に基づく格差で、他方、どの範囲が職務遂行能力及び勤務成績による格差であるかについては、原告らの主張において、全く特定がなされていないのであるから、結局、差別による賃金上の損害額を算出することができない。

(五) 慰謝料請求における要件事実の特定

原告らは、被告会社に対し、その賃金差別及び人権侵害行為を理由に、各自一律三〇〇万円の慰謝料を請求しているが、原告らとしては、まず、個々の人権侵害行為がそれぞれ原告らのいかなる権利ないし利益を侵害したか、また、何ゆえに原告らが各自一律三〇〇万円の慰謝料を請求し得るのかを明らかにしなければならないところ、原告らはこれを明らかにしていない。

2  賃金・人事制度に関する原告らの主張の問題点

(一) いわゆる「平均賃金」について

(1) 原告らは、各自の受けるべき賃金額を算定するために、統計結果の中位数を探り出し、そこから「平均賃金」を算出する方法を採用しているが、被告会社が個々の従業員をどの職務に割り付けるかは、業務上の必要性、各従業員の服務及び職務遂行能力等を総合勘案して、裁量により定められるものであるから、現実に行われた職務任用につき統計結果を割り出して得られた「平均賃金」なるものは、単なる結果であって、右結果が、各原告がそれぞれ「平均賃金」を与えられるべきであったことの論拠となり得るものではない。

(2) 原告らの引用する賃金実態調査結果によれば、実在の職級分布は、中位数を基点として、基本給は二分の一位数を基点として、いずれも上下に大きく広がっている。

各原告が、同期同学歴者の「平均賃金」を受けるべきであったとすれば、同期同学歴者の二分の一弱に当たる多数の従業員が、各原告よりも下位に格付けされるべきこと、すなわち、服務と業務遂行能力において、各原告より劣る同期同学歴者が半数近く存在するという結論にならざるを得ないが、これは不合理であり、「平均賃金」という主張の問題を露呈している。

(3) 「平均賃金」の主張は、各原告とそれぞれの同期同学歴者との比較において成り立っているものであるが、被告会社では入社年次を超えて職務任用が行われているから、入社年次の異なる従業員との比較を考慮する必要がある。したがって、このような考慮に基づかない「平均賃金」が各原告の受けるべき賃金額であるとみることの妥当性には疑問がある。

(4) 原告らが「平均賃金」の算出に用いた資料は、被告会社全店大の賃金実態調査結果であるが、特定の原告に関する職級について見るに、全店大から割り出した平均職級を群馬支店大にそのまま当てはめると、同支店内においては同期同学歴者より抜きん出た職級に位置する結果が見られ、結局、「平均職級」ひいては「平均賃金」なる主張の構成には、重大な疑問がある。

(二) 職務任用の要件とその裁量性

被告会社が、個々の従業員をどの職務に任用するかについては、被告会社が、一方では個々の従業員の服務と業務遂行能力を勘案しつつ、他方で業務上の必要性を総合判断して、適材適所の観点から行うものであって、基本的に、被告会社の裁量の範囲に委ねられているものである。そして、職務任用を中心とする職務給制度の下では、年功序列型賃金体系の場合よりも会社の裁量の幅は大きいといわざるを得ない。

原告らが、他の従業員との比較において、仮に服務及び業務遂行能力につき平均的であったとしても、それだけでは業務上必要とされる職務に対して適材であるとは必ずしもいえず、特定の従業員につき職務任用をしなかったことが違法性を帯びることになるとは、通常考えられない。

(三) 役職任用の要件

被告会社における役職者は、業務の指揮命令系統を構成するポストにあって、「業務方針を正しく理解し、これを現場に即して展開しつつ、業務の指揮監督や部下の指導に当たり」、「集団の中核として全員が意識行動を共にし、常に一致協力して事にあたるような優れたチームづくりに当たる」など、一定の組織集団を指揮して、会社の業務方針の実現に尽力する職責を担うものである。したがって、これらの役職任用のための要件としては、単に勤務成績が優れているというだけでは足りず、(1)高い指導統率力を有し、かつ、責任感が強いこと、(2)折衝力を有すること、(3)協調的かつ積極的であること等組織集団の一部をその指揮下に委ねるに必要な素養が求められることになる。そして、原告らは単に自分らが少なくとも「平均以上の業務遂行能力を有する」旨主張するのみで、前記のような、役職任用に必要な要件を有することについて、何ら主張をしていない。

(四) 平均賃金制度の年功序列性

「平均賃金」の主張が合理的といえるためには、被告会社の従業員は、年功序列的に職級及び賃金が上昇していくことが前提となるところ、被告会社は職務給体系を採用しており、運用においても年功制を採っていないのであるから、原告らの「平均賃金」の主張は採ることができないものである。

3  原告らの劣悪極まる勤務振り

原告らは、いずれも「平均以上の業務遂行能力を有する」旨主張するが、これは真実に反し、原告らの勤務振りは劣悪であって、原告らが比較的低額の賃金しか受給できていないのは、この劣悪極まる勤務振りによるものである。すなわち、被告会社の原告らに対する査定は適正なものであって、原告らの思想、信条に基づく差別的査定などは全く行われていない。

(一) 原告青木の勤務振り

(1) 原告青木は、仕事の上で消極的かつ協調性に欠けた姿勢に終始し、遅刻は頻繁で、同僚の繁忙時にもこれを応援しようとせず、一方、自己の仕事に手抜きをし、しかも、勤務時間中に仕事に関係のない本を読んだり無駄話をしたり、私用の長電話をするなど、劣悪極まる勤務振りを続けていた。

(2) 原告青木は、昭和三五年一月一八日から同年一二月一八日まで、藤岡営業所料金係に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告青木は、タイプを打つ仕事が一人前にできず、周囲の応援を求めるといった有様で、他の従業員に大きな負担を強いる結果となっていた。

② 原告青木は、タイプ打ちが苦手でありながらその練習もせず、会社の業務とは無関係の本を読むなどして、周囲のひんしゅくを買い、また、身の回りの整理もだらしなかった。

③ 原告青木は、被告会社が合理化の一環として計画していた料金業務の機械化及び支店への集中化について、これを不当な合理化であると決め付け、これを許すと支店へ転勤させられ、通勤も大変になるなどと事実をわい曲して職場の不安をあおる発言を行って、職場を混乱させた。

(3) 原告青木は、同三五年一二月一九日から同四二年五月三一日まで、桐生営業所総務係(ただし、同三九年五月三〇日、職制改正により総務課総務係となる。)に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告青木は、他の従業員が現品の荷卸しなどで繁雑にしている状況下において、その仕事を手伝おうとせず、協調性に欠ける態度をとっていた。

② 原告青木は、勤務時間中の私用電話が非常に多く、しかも一回の電話が一〇分から一五分にも及ぶことが珍しくない上、仕事への集中を欠き、集計ミス、転記ミスを重ね、他の人をつかまえては無駄話をし、あるいは仕事に無関係な本を読んでいた。

③ 原告青木は、資材の現品の動きの状態を把握して適時情報を伝えるように上司から指示されたにもかかわらず、この指示を的確に処理せず、そうした情報連絡を正確に行わなかった。

④ 原告青木は、机の上の書類等の整理の状態や身だしなみが悪かった。

(4) 原告青木は、同四二年六月一日から同四四年五月九日まで、太田営業所総務課総務係に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告青木は、週一、二回は一〇分前後の遅刻をしていた。

② 原告青木は、担当業務に関する種類の整理が悪く、同原告の休暇中に、他の従業員が同原告の机上の書類を探す際に、支障を来していた。

③ 原告青木は、自己の仕事の範囲を限定して他人の仕事を積極的に手伝おうとしなかった。

④ 原告青木は、休暇の取得について業務の繁忙時にも身勝手な取得をしていた。

(5) 原告青木は、同四四年五月一〇日から同四七年五月一四日まで、富岡営業所総務課に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告青木は、倉出入合計表の作成の際に集計ミスを犯し、上司からミスを防止するための指導を受けながらそれを守らないことが多かった。

② 原告青木は、相変わらず他人の手伝いをせず、協調性を欠いていた。

③ 原告青木は、現品担当となって倉庫内外の整理、清掃をやるべきところ、これをほとんどやらない上、電線を倉出しするたびにその荷札に数量及び残数を記入しなければならないのに、これを怠り、決められた仕事のやり方さえ守らなかった。

④ 原告青木は、相変わらず、遅刻や勤務時間中の私用電話が多く、また、時間中に仕事と無関係な漫画の本などを読み、書類の整理も悪く、休暇の取得も仕事の繁閑を考えずに、当日の朝になって電話で連絡してくるか、全く連絡なしという状態であった。

(6) 原告青木は、同四七年五月一五日から同五一年九月三〇日まで、安中営業所総務課に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① この間、原告青木は、机上の整理が悪く、周囲に迷惑をかけ、また、書類の回付及び文書の回覧においても、これを速やかに他の従業員に回さないという状態であった。

② 原告青木は、現品方の担当業務として当然やるべき倉庫の整理整頓をほとんどやらなかった。

③ 原告青木は、安全のために作業時には作業に適した服装をし、安全靴を用いるべきところ、これを怠るなど、安全意識に欠けていた。

④ 原告青木は、遅刻が多く、かつ、終業時刻一〇分前になるとショルダーバックを机の上に置き、終業のチャイムと同時に退社し、出社は遅く、退社は早いという状態の中で、勤務時間中は、無駄話や私用の長電話をしたり、業務とは全く関係のない読書をしたりということを繰り返していた。

(二) 原告安藤の勤務振り

(1) 原告安藤は、被告会社に入社した当時から横着な人物であり、前橋通信所に配属となった当初から、始業時刻ぎりぎりに出勤しては、現場保守作業に出掛ける前に洗面所に入ったまましばらく戻らず、他の従業員を待たせるといった具合に、仕事に取り掛かるのが遅く、入社数年後からは常習的に遅刻をするようになり、一方、終業時には定時退社をするために、終業時刻が近づくと帰り支度を始め、作業の後片付けは同僚に押しつけるという有様で、仕事の面でも、作業報告は遅い上にその内容がずさんであり、仕事に対する前向きな姿勢は見られず、自己研さんや技術習得の意欲に欠け、責任をもって仕事をやり遂げようとの自覚も薄かった。

(2) 原告安藤は、同三六年四月一一日から同四六年三月三一日まで、群馬支店送電課前橋通信所に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告安藤は、頻繁に遅刻し、現場保守作業に共同して出向く他の従業員を待たせるなど、仕事の取りかかりが遅かった。

② 原告安藤は、現場から戻ってきた後、測定器及び工具の整理等の後片付けをすべきところ、終業時刻が近づくと、これを他の同行者に押し付けていた。

③ 原告安藤は、通信所で宿直した際、本来であれば翌日の始業時刻までに通信セット室の巡視、点検等を行った上で、当直日誌及び受付処理票を作成して、始業時に次の当番者へ引き継ぐべきところ、これができていない場合が多く、翌朝出勤してきた所員の応援を得ながら、あわてて巡視等を行い、当直日誌及び受付処理票を作成している有様であった。

④ 原告安藤は、巡視、点検の結果等について、本来であれば電話又は口頭で作業結果について報告した後、遅くとも作業翌日の午前中までに、作業結果をまとめて作業箋の処理欄に記入して提出すべきところ、この作業箋の提出を常に遅らせていた。

⑤ 原告安藤は、同四二、三年ころ、前橋通信所と太田営業所との間のマイクロ回線搬送部の復旧のための対向試験を担当することになり、同営業所へ出向いた際、前橋通信所側に待機していた柳澤班長が、昼の一二時直前に、試験を開始しようとして、太田営業所側の同原告を呼び出そうとしたところ、同原告が、無断で持ち場を離れて昼食を取りに行ったために、試験が長引いてしまった。

⑥ 原告安藤は、他の従業員が通信設備の故障の際に、自己の仕事の割り当てとなっていなくとも、積極的に原因分析等の検討作業に加わっていたにもかかわらず、協力しようとせず、終業時刻になると、他の従業員が検討作業をしているのに、構うことなく退社している状態であった。

⑦ 原告安藤は、所内での講習会や研修に一応参加しながら、居眠りを繰り返すといった状態で、前向きに知識を吸収しようという意欲に欠けていた。

⑧ 原告安藤は、休暇を取得する際、作業計画に支障が生ずることにも何ら構わず、当日の朝、始業時刻を過ぎてから、電話で突然休暇の連絡をしてくることがしばしばで、他の従業員が急遽その日の作業計画を組み替えなければならなくなったこともたびたびであった。

(3) 原告安藤は、同四六年四月一日から同四八年三月三一日まで、群馬支店金井通信所に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告安藤は、現場作業結果の報告書の提出が他の従業員に比べて著しく遅く、時には班長から催促されない限り報告書を提出しないこともあった。また、作業終了後、通信所に戻ってからの器材の後片付けも満足にやらず、他の従業員に任せていた。

② 原告安藤は、通信設備に障害が発生して所員たちが復旧について検討している際、一人自分の席に座ったまま検討の場に加わることがほとんどなく、退社時刻になると一人で退社するといった状態で、知識や技術を吸収しようとする意欲に欠けていた。

③ 原告安藤は、遅刻が多く、その上、現場に出掛ける前に洗面所に入ってしばらく出てこないこともしばしばであり、同原告と共同して現場に出掛ける他の従業員に迷惑をかけていて、主任、班長らから何度も注意を受けたのに、少しも改まらなかった。

(4) 原告安藤は、同四八年四月一日から同五〇年七月二七日まで、群馬支店渋川工務所電子通信課に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告安藤は、夜間及び休祭日の緊急応動に備えて応動要員として電話番号の確認を求められたところ、「連絡されても留守だからだめだ。」などと、出動はできないと言わんばかりの返事をして、協力できないとの態度を見せ、現実に緊急応動のため電話をされたときも留守であり、緊急応動の要員としてあてにすることができなかった。

② 原告安藤は、他の従業員が、渋川工務所の発足により、業務運営の早期定着を図るべく、積極的に日常業務の処理方法の標準化、手順手引書の作成等に取り組み、それらについて職場会議を開いて意見交換を行っていたにもかかわらず、右会議において積極的に意見交換に加わず、再三居眠りを繰り返している状態であった。

③ 原告安藤は、渋川工務所勤務時においても、遅刻及び突発休暇が多く、仕事を安心して任せられないばかりか、運営係では「設備保守(指導)」の職務を担当していたのに、現場では、後輩の指導をしなかった。

④ 原告安藤は、同四九年四月、通信課運営係から同課工事係に移動したが、工事係の業務内容における肝腎な部分についての理解が不十分で、しかも、進んで仕事を覚えようとする意欲が見られず、いつになっても満足な業務遂行ができなかった。

(5) 原告安藤は、同五〇年七月二八日から同五一年九月三〇日まで、高崎工務所電子通信課工事係に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告安藤は、自分が担当する工事について、工事請負業者との打合せを約束した日、あるいは所内の各関係課、係との工事前の打合せの日に、突然休んでしまい、工事請負業者や関係課、係に迷惑をかけることがあった。

② 原告安藤は、相変わらず遅刻が多かった。

③ 原告安藤は、昼休みに入る前の午前一一時四〇分ないし四五分ころになると、仕事の状態いかんにかかわらず、昼食を取りに社員食堂へ行ってしまい、一二時前に食事から戻っても、仕事をするわけでもなく、時には所長席の前のソファーに座り込んで新聞を読むなど、職場の規律を乱していた。

④ 原告安藤は、自分に与えられた仕事だけを、ことさら必要以上に時間をかけて処理しており、期限のある仕事や、突発的で急を要する仕事などを安心して任せることができなかった。また、同原告は、新しい業務知識を身につけようとする意欲がなく、責任感も欠如していたため、重要な仕事を任せるには信頼がおけなかった。

(三) 原告飯田の勤務振り

(1) 原告飯田は、終始自分の仕事の範囲を狭く限定し、それ以外の業務を積極的に手伝うあるいは自己の仕事の幅を広げるという姿勢に欠け、定時出勤又は始業時刻ぎりぎりの出勤及び定時退社をモットーとし、また、被告会社の職級制度を逆手にとって、自分の職級以上の仕事を手伝うことを拒否し、また、後に述べるように、他の従業員に対するけん責処分に絡んで被告会社をひぼうするビラを配布するなど、規律無視の反抗的姿勢にも著しいものがあった。

(2) 原告飯田は、同三四年四月三〇日から同四四年九月三〇日まで、群馬支店送電課前橋通信所に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告飯田は、普段から時間外勤務をほとんどやらず、仕事が途中であっても、また、上司や同僚が忙しくしていも、終業チャイムと同時に退社しており、勤務時間中に通信回線に事故が発生して他の従業員らが復旧作業に取り組んでいる状況にあっても、何ら構うことなく定時退社をしていた。

② 原告飯田は、自分の担当業務を狭く限定し、総括者から仕事の一部について補助を指示されても、「これはおれの仕事ではありません。」と述べてこれを断り、意欲的に仕事の範囲を広げていこうとする姿勢に欠けていた。

③ 原告飯田は、請求の原因6(三)(1)において主張されているとおり、同四〇年一月、従業員川面次男のけん責処分に関し、これを被告会社が同人に対し不当な処分を行ったという内容の事実をわい曲した被告会社をひぼうするビラを社内各所に配布し、けん責処分を受けた。

(3) 原告飯田は、同四四年一〇月一日から同五一年九月三〇日まで、群馬支店送電課通信係(ただし、同四七年六月一日、職制改正により送電課電子通信係となる。)に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告飯田は、工量工事の伝票処理を担当していたが、規則類の不勉強による適用項目の誤りや、計算違いの見落とし等が度々見られ、その都度、主任から注意を受けていたにもかかわらず、その後も同様の間違いを繰り返し、一向に改善が見られなかった。

② 原告飯田は、相変わらず、自分の担当業務を狭く限定し、終業時刻になると、他の従業員が忙しそうにしている場合であっても、さっさと退社していた上、同五一年七月、千明秀彦が同支店送電課電子通信係運営グループ主任として着任した際、同人に対し、「主任、最初に言っておきますが、おれは定時出勤、定時退社がモットーで残業はしません。それから自分の職級以上の仕事もしませんので心得ておいてください。」と宣言することもあった。

③ 原告飯田は、同四四年一〇月、本店宛の同年度上期の期末報告を作成するについて、従業員らで手分けした際に、分担の一部を割り当てられたところ、報告の提出期限が数日後に迫っても定時退社を繰り返し、仕事を期限に間に合わせようとしないため、やむなく同原告への割り当て分を他の従業員で再度手分けして、報告提出期限に間に合わせたことがあり、また、本店から主任への電話について、その取次ぎや伝言すら満足にしないなど、同原告の仕事への取り組み姿勢には、責任感が欠けていた。

④ 原告飯田は、始業時刻ぎりぎりの出勤が多く、時々遅刻をし、また、休暇取得についても当日の朝突然電話で申し出てくるというもので、しかも、それは土曜及び日曜の疎通状況確認等で週のうちで一番忙しく大切な月曜日に多かったため、業務への支障も大きく、他の従業員に迷惑をかけていた。

⑤ 原告飯田は、工務所の電子通信課等と電話で業務上の連絡を取り合う際に、不親切で威圧的な態度をとることが多かった。

⑥ 原告飯田は、同四九年以降、保守委託契約を担当している立場を利用し、請負会社(東邦電気)の社員梅原に「赤旗」の講読を強要した。

(四) 原告市川の勤務振り

(1) 原告市川は、仕事の処理軒数が他の従業員に比べて少ないのにミスが多いため、職場の同僚に大きな負担を強いる結果となったばかりか、社外からの苦情まで招来していたほどであったが、それに加えて、同原告は業務に関し、勉強不足及び知識不足が顕著であった。

(2) 原告市川は、同三四年四月一日から同四四年四月一四日まで、伊勢崎営業所配電係に勤務していたが、このうち、同三四年四月一日から同四三年二月二八日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告市川は、新増設調査において屋内配線に内線規程等に適合しない箇所が認められた場合、当該工事を行った電気工事店に対し、不良通知書を発行して改修を指示する職務を担当していたが、不良通知書の記載の仕方が、「天井裏の配線に不良あり」といったように抽象的で、不良通知書を見ただけでは不良の具体的内容が理解できないというずさんなもので、上司からその点について注意を受けても一向に改まらず、また、同原告が、同四一年ころ、所内検査を担当した際、検査記録を作成したところ、記載の誤りが認められたり、計器などの不良品を良品としてしまうなど、仕事のやり方がずさんで、同じミスを繰り返していた。

② 原告市川は、試験業務に携わっている関係で、内線規程や技術基準等を勉強して知識と技術を吸収していく必要があったにもかかわらず、そのような意欲が見られず、結果として、業務知識も不十分であった上に、業務に関する打合せや支店における主任会議の報告会の際に、他の従業員が積極的に意見や質問を出している中で、メモもとらず、意見や質問も出さないという全く意欲に欠ける消極的な姿勢をとり続けていた。

③ 原告市川は、処理する調査軒数が少なく、他の調査員に比べてその六割程度にとどまっていたため、新増設調査を同原告と二人で組んでいるパートナーは、同原告の分担軒数を増やすことができず、その分、パートナーの側でより多くの軒数を処理しなければならなかった。

(3) 原告市川は、同四四年四月一五日から同五一年九月三〇日まで、前橋営業所配電課配電係に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告市川は新増設調査の処理軒数が相変わらず少なく、しかも、同原告の作成する不良通知書は、伊勢崎営業所時代と同様、不良の具体的内容がわからないものが多く、主任らが頻繁に同原告に注意、指導して書直しさせなければならなかった。

② 原告市川は、試験業務を一〇年も担当していながら、各需要家における電気使用の効率による基本料金の割引又は割増をする際の計算ができないといった状態で、不勉強ぶりが目に付いた。

③ 原告市川は、上司から新増設調査と定期調査の一部を担当するようにとの指示を受けた際、「定期調査なんて仕事は新入社員のやる仕事ですよ。」と仕事をより好みして反発し、また日ごろから会社や上司の業務上の指示あるいは提案に対し、「それでは労働強化だ。」などの発言を繰り返して、仕事や会社に対する不平不満の姿勢をあらわにしていた。

④ 原告市川は、同四六年六月の参議院選挙の際、被告会社の調査員という立場を利用して、同営業所管内の電気工事店木村電気商会らに対し、勤務時間中に「赤旗」の講読を強要した。

⑤ 原告市川は、同四九年九月に設計係に移り、初めて設計業務を担当するようになったため、上位職者及び主任から設計に関する指導を受けたものの、指導内容を理解しようとする意欲に欠けており、同原告の設計内容も粗末なものであり、フリーハンドによる作図も結局できなかった。

⑥ 原告市川は、設計書を作成した際、付属材料に関する記載を頻繁に落としていて、工事担当者が工事を中断して付属材料を取りに倉庫へ戻らねばならないという事態を引き起こしていた上、その他にも記載間違いといった単純な誤りを繰り返していた。

⑦ 原告市川は、設計をする際、経済的及び機械的合理性と電気的安全性の双方をクリアーしなければならないところ、この点についての理解ができなかったためか、しばしば常識外れの設計を行っていた。

⑧ 原告市川は、工事現場近隣等の関係需要家の承諾を要する設計をする場合に、現場調査の段階で承諾を得るべきところ、これを往々にして怠り、その結果、作業者が工事に出向いても、関係需要家の承諾を得ていないために工事に着手できないことが度々あって、周囲に迷惑をかけていた。

⑨ 原告市川は、病気など特段の理由がないにもかかわず、当日の朝になって、電話で理由もはっきり告げず、仕事上必要な連絡すらしないで休暇を取ることが多く、そのために、他の者に迷惑をかけていた。

⑩ 原告市川は、他発工事の標準処理日数などのように期限の決められている設計などについて無頓着で、急を要する仕事を先に処理することをしなかった。

(五) 原告兼松の勤務振り

(1) 原告兼松は、業務に前向きに取り組む意欲に欠け、仕事に対する責任感、協調性が欠如し、仕事のより好みや手抜きが見られ、勤務時間中の無断離席や私用の長電話も目立つなど、甚だ劣悪な勤務振りに終始していた。

(2) 原告兼松は、同三八年五月二一日から同四〇年七月三一日まで、太田営業所営業係(ただし、同三九年五月三〇日、職制改正により営業課営業係となる。)に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告兼松は、同営業所に転勤してきて、初めて営業業務を担当するようになったのであるから、手空き時間には規程及び基準を読むなどして担当業務やこれに関連する知識を深めるべきところ、そのような姿勢が見られず、周囲の者に無駄話を仕掛けるなどしていた。

② 原告兼松は、自分が直接担当する業務以外の仕事に対して非協力的で、他の従業員が繁忙であって残業をするような事態であっても、全く手伝おうとせず、終業時刻になると退社していた。

③ 原告兼松は、同三九年春のサービス期間中の繁忙な状況の下で、東電労組支部大会の傍聴のためと称して、上司の説得をも振り切って早退を強行し、営業担当者としての自覚や責任感を欠いていた。

④ 原告兼松は、勤務時間中に受付の自席を離れ、作業グループ用の電話を使って長時間の私用電話をかけていたため、作業グループの電話連絡に支障を来し、あるいはまた、同原告の仕事である客への応対を他の従業員がしなければならなくなるなど、周囲に迷惑をかけていた。

(3) 原告兼松は、同四二年六月一日から同四七年五月一四日まで、安中営業所営業課に勤務していたが、このうち、同四三年五月一日から同四七年五月一四日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告兼松は、営業統計を坦務して需要想定原案を作成することとなったが、その基礎となる統計資料の作成、分析等が遅れがちであった上、同原告の作成した原案も、契約口数、契約電力等過去の実績についての増減理由の分析等がなされていないため、そのままでは到底使えないものであった。

② 原告兼松は、受託品の管理がいい加減であったため、期末の棚卸し時になって受託品の残数と台帳に記載された数字が合わなくなるという事態を生じさせるなど、担当業務の取り組みに手抜きがあった。また、同原告は、貸付電球引換所の廃止に対して積極的に取り組む姿勢が見られなかった。

③ 原告兼松は、太田営業所時代と同様、規程及び基準類についての勉強が不十分であり、上司の営業課長福田が開いた勉強会へも参加しようとしなかった。

④ 原告兼松は、当時、安中営業所においては、仕事上の目標を立てて六か月後にその報告をするという個別自己管理表の作成、提出が義務付けられていたところ、期限になってもその提出を怠り、業務指示に従わなかった。

⑤ 原告兼松は、相変わらず私用の長電話、無断離席が多く、上司から注意されたが、改めなかった。

⑥ 原告兼松は、遅刻や始業時刻ぎりぎりの出社が多く、従業員用の駐車場に車を置きに行く時間がないために、従業員の駐車が禁止されている来客用駐車場に車を停めて出社し、後に従業員駐車場へ車を移動するといった行動が度々見られた。

(4) 原告兼松は、同四七年五月一五日から同五一年九月三〇日まで、渋川営業所営業課に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告兼松は、奉仕業務の一環として、各種講習会等を開催する業務を担当していたが、これらの行事の開催について上司に相談することなく勝手に決めてしまうという、ルール無視の業務処理を行っていた。

② 原告兼松は、右各行事の報告書の作成及び資料の作成に当たっては、上司である主任の指示がなければ満足なものを書けないなど、地道な業務処理が不得手であった。また、同原告は、電気安全表彰を申請するための自家用電気施設者について選考資料を作成したが、不十分な記載が目立った。

③ 原告兼松は、同四七年五月に渋川営業所に転勤してきた際、営業課長瀬間から需要想定業務を担当するよう指示されたところ、「需要想定は前の営業所でやっていますので、やりたくありません。」と反発し、また、同五〇年七月、営業課長多賀谷から同様の指示を受けたところ、「自分には会社の中でこつこつやっている需要想定は向いていないし、飛び回る現在の仕事の方が好きなので勘弁してほしい。」と述べて固辞するなど、仕事のより好みが見られ、仕事に対する後ろ向きな姿勢がうかがえた。

④ 原告兼松は、奉仕業務を担当していた関係で、客からの様々な問い合わせに答える必要があり、そのためには規程及び基準等の勉強が不可欠となるにもかかわらず、これらの勉強を怠り、電気相談等で客から簡単な質問を受けても答えられず、客からの電話による問い合わせがあっても答えられず、すぐに関係箇所に電話を回してしまうことがよく見られた。

⑤ 原告兼松は、パンフレットや行事に使う品物、移動相談所の報告書等及び改修受付箋(控)を整理保存する業務を担当していたが、その整理状態が極めて悪く、主任から度々注意を受けた。

⑥ 原告兼松は、繁忙となる行事や停電広報の時などでも業務のことを全く考えない突発休暇が多かった。

⑦ 原告兼松は、同四九年夏ころ、停電広報のために現場へ出掛けた際、電気工事店(協立電気、堀地電気等)に「赤旗」の購買を強要した。

(六) 原告倉賀野の勤務振り

(1) 原告倉賀野は、伊勢崎営業所料金課検針係勤務当時の同四一年七月、被告会社における検針の定例日制の定めに違反し、同僚三名を誘って検針予定日の前日に翌日分を繰り上げて検針するいわゆる「繰り上げ検針」を行い、本来の検針予定日には無届けで職場を離脱して登山に行くという不始末を犯したが、同原告のこうした「ルール無視」の姿勢は根強く、その後も所定のルールを守らずに上司に無断で請負工事業者に資材の貸し出しを行った外、時間中の無駄話や頻繁な遅刻、繁忙日の突発休暇が目立つといった従業員としての基本的なルール、常識にも欠け、また、仕事上自分が繁忙なときには周囲の応援を受けていながら、他の者が繁忙なときには手伝おうともせず、協調性及び積極性の欠如した勤務振りに終始していた。

(2) 原告倉賀野は、同四三年一月一三日から同四四年三月三一日まで、群馬支店料金課記帳係に勤務していたが、このうち、同四三年五月一日から同四四年三月三一日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告倉賀野は、勤務時間中、他の従業員に無駄話を仕掛け、そのために仕事の仕上がりが遅く、割当てられた仕事を他の従業員に処理してもらうことが度々あり、また、料金計算早見表の見間違いや、記入欄の相違などの単純ミスも多かった。

② 原告倉賀野は、他の従業員が総括者から担当分を振り分けられるのを待つまでもなく、自発的に料金カードの記帳等を行っていたにもかかわらず、同僚に割当分の料金カードを渡されない限り仕事に手を付けようとせず、他の従業員と力を合わせて業務を早期に処理しようという態度が見られなかった。

③ 原告倉賀野は、始業時刻ぎりぎりに、しかも二日酔いで酒の臭いをさせて出社したり、また、仕事を始めている周囲の者にやたらと無駄話を仕掛けて邪魔をすることもあり、従業員としての基本常識に欠けていた。

④ 原告倉賀野は、電気供給規程、細則等についての勉強を怠り、仕事上、規程又は基準等の知識が必要なケースが出てくると、自分で調べようともせず、周囲の同僚に尋ねるなど、その場をしのぐだけの姿勢に終始していた。

(3) 原告倉賀野は、同四四年四月一日から同四八年三月三一日まで、沼田現業所事務課に勤務していたが、このうち、同四四年四月一日から同四六年八月一二日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告倉賀野は、職場において、他の従業員の容貌、口癖、発音をからかうなど、職場の雰囲気を悪くする言動を繰り返し、周囲の者のひんしゅくを買っていた。

② 原告倉賀野は、被服業務及び社宅業務を担当していたところ、同四四年四月の着任以降、異動者の被服についての被服台帳の加除修正をせず、また、社宅修繕記録としての社宅調書の記入を怠るなど、業務処理における肝心な部分に手抜きが見られた。

③ 原告倉賀野は、毎月末に現業所が統括する二〇〇名以上の勤務表の整理については担当者以外の者も手分けして短期日で処理すべきところ、これに全く協力せず、また、同四四年八月一二日、片品川水系の栓之滝発電所の変圧器等が集中豪雨により流失し、他の従業員が、その復旧のために一週間近く夜半まで事故対応に当たっていたにもかかわらず、同原告一人だけ終業時刻に退社したほか、支店からの突発的な調査依頼がよくあったがこのようなときも、他の者の応援はしない上に定時退社を徹底させるという態度であった。

④ 原告倉賀野は、勤務時間中に他係の若手従業員らに無駄話を仕掛けていた。

⑤ 原告倉賀野は、月に四ないし五回、五分から一〇分程度の短時間の遅刻を繰り返していた。

⑥ 原告倉賀野は、毎日定期的に担当しなければならない文書発受信業務を担当しており、休暇をとる場合には事前に他の従業員に代行を依頼しておくなどの手はずを整える必要性が高い状況にありながら、当日の朝になって電話で休暇をとることが多く、しかも、その翌日には周囲の者に対し、わびの言葉すらかけなかった。

(4) 原告倉賀野は、同四八年四月一日から同五一年五月六日まで、高崎営業所総務課経理係に勤務していたが、このうち、同四八年一二月二〇日から同五一年五月五日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告倉賀野は、資材業務に従事していたが、資材の納入時期は多忙であったところ、このような日を狙っているのではないかと感じさせるほど、多忙日の休暇取得が多く、それも、ほとんどは当日の朝になって電話で連絡してくる、いわゆる突発休暇であった。

② 原告倉賀野は、自分の担当する倉出し業務が早く終了した際、倉入れ業務を担当する同僚の尾身や林が忙しそうにしているのを尻目に、退社時刻になればさっさと退社するといった態度であり、率先して他人の手伝いをする意欲及び協調性に欠けていた。

③ 原告倉賀野は、勤務時間中に他の係へ打合せに行った際、いつまでも従業員に無駄話を仕掛けていた。

④ 原告倉賀野は、資材を請負工事業者に貸し出す際に、本来であれば工事監理係で発行した小作業箋に基づき経理係長又は資材主任の許可を得ることとされているにもかかわらず、この小作業箋を受取らないまま上司に無断で貸し出しを行うことがあった。

⑤ 原告倉賀野は、現品台帳への記入ミスを犯して右台帳と貯蔵品数量受払台帳との照合を担当する天田にその旨指摘された際、「分かっているんなら自分で直しておけ。」と高飛車な言い方をするなど、自分のミスを反省する姿勢が見られなかった。

⑥ 原告倉賀野は、始業時刻の午前八時三〇分ぎりぎりか又はそれより五ないし六分程度遅刻して出社することが多かったばかりか、遅刻をしても平然と事務室に入ってくる有様であった。

⑦ 原告倉賀野は、気が向けばてきぱきと作業をやるものの、気が向かないときは、他の従業員が作業にとりかかっているのになかなか事務室から出てこないことがあり、また、作業の途中で事務室に引っ込んで休むこともあるといった状態で、仕事にむらがあった。

(七) 原告桑原の勤務振り

(1) 原告桑原は、当初、検針業務に従事していたところ、当然やらねばならない業務にも手抜きをするなど、仕事に対する責任感や意欲、積極性に欠ける上、協調性も見られず、後に倉庫管理業務を担当するようになってからは、時間中の私用電話や無駄話が目立つなど、自覚に欠けた勤務振りが一層ひどくなった。

(2) 原告桑原は、同三七年五月七日から同四二年一月一四日まで高崎営業所料金係(ただし、同三九年五月三〇日、職制改正により料金課検針係となる。)に勤務していたが、このうち、同三九年五月三〇日から同四一年三月三一日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告桑原は、検針専務員として、メーターを検針して前月検針日の指針との差し引きにより使用電力量を計算する業務を担当していたが、メーターの指針の読み間違い、料金カードへの記入誤り及び使用電力量の誤算が多かった。

② 原告桑原は、メーターの故障等で使用電力量が正常に計量できない場合、本来であれば、過去の使用量実績等を参考にして需要家と話し合い、その結果使用量を決めるべきであり、やむを得ない場合に限って事故員にその解決を依頼すべきところ、需要家との話し合いを怠り、安易に解決を事故員に依頼することが多かった。

③ 原告桑原は、不在戸締まり等でメーターの指針が判読できない場合、本来であれば、当日の最後か、あるいは、後日に同需要家宅を再訪問して判読に努め、それでも判読できない場合に、最後の手段として前月と同じ使用量で仮計算をすべきところ、判読のための努力を怠り、他の検針員と比べて不在仮計算扱いが多かった。

④ 原告桑原は、中心的業務である検針のみならず、需要家の意見、要望等を聞き処理するサービス業務、メーターの正常性のチェックといった検針に付帯する業務に熱意を示さなかった。

⑤ 原告桑原は、他の検針専務員が社外のスポーツ大会に参加した場合など、応援検針をしてこれに協力すべきところ、「おれは運動をやらないので、応援ばっかりさせられてたまんねえや。」と消極的な態度をあらわにしていた。

⑥ 原告桑原は、他の検針専務員が午後二時ころには帰社して整理業務を行い、その日に出た事故分を速やかに事故員に提出するといった即日処理に努めていたにもかかわらず、同原告だけ帰社時刻が遅いばかりか、当日発見した事故分を事故員に提出するのも遅く、夕方近く提出していたため、事故員が事故分の即日処理を行うのに支障を来し、迷惑をかけていた。

⑦ 原告桑原は、休暇を取得する際に、当日の朝、他の検針専務員が出掛けた後になって連絡してくることが多く、その結果、当時定例日制をとっていたので他の検針専務員の応援検針を急遽求める必要が生じるなど、周囲が業務処理を行うのに困難を来すことが度々であった。

⑧ 原告桑原は、被告会社から貸与された自転車の清掃点検整備を行おうとせず、検針かばんの扱いも乱暴であった。

(3) 原告桑原は、同四二年一月一五日から同四七年五月一四日まで、沼田営業所総務課に勤務していたが、このうち、同四二年四月一五日から同四五年六月三〇日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告桑原は、同課課長に対し、半期に一度業務に対する意欲付け、見直しの意味を含めて提出すべき「私の目標」として、「現品の適正管理」、「安全作業」といった具体性を欠いた抽象的なものにとどめたため、課長から、右目標実現のためには、具体的に何をすべきかを検討した上で、具体性をもった目標を提出するよう指導を受けたにもかかわらず、その見直しをしないという、おざなりの態度が見られた。

② 原告桑原は、自分の担当する倉庫管理の仕事さえやればよいといった態度であり、資材管理など、自分の仕事と関連のあるものについて全く無関心で、自ら勉強しようとする意欲が見られなかった。

③ 原告桑原は、自分の仕事以外にはやろとうとせず、終業時刻を越えて後輩の金子が仕事に取り組んでいるにもかかわらず、これを横目にさっさと退社し、勤務時間中にも自己の主に担当する倉出しでは金子に手伝ってもらいながら、同人の仕事を手伝おうとしなかった。

④ 原告桑原は、同四四年六月七日夜半の沼田営業所資材倉庫の全焼の後始末のため、同営業所総務課の資材担当者全員に対し、一週間程度の残業が命じられた際、他の従業員が右一週間の経過後も残業しており、しかも、自分が倉庫管理担当者であって、他の従業員以上に率先して残業等により後始末に従事すべきであるにもかかわらず、定時に退社していた。

⑤ 原告桑原は、倉庫管理担当者として、倉庫内の清掃に積極的に取り組むべき立場にあり、もう一人の担当者である金子が率先して倉庫内の清掃を行っていたにもかかわらず、他人から言われない限り取り組まないといった態度であった。

⑥ 原告桑原は、同四四年一一月から、それまで資材主任が担当していた倉出し集計表の作成を手掛けることになったが、単純な計算ミスが多く、しかも悪びれた様子さえない始末であった。

⑦ 原告桑原は、勤務時間中に私用電話していることがよくあり、配電方の作業員詰所で電話をかけていることまであった。

(4) 原告桑原は、同四七年五月一五日から同五一年九月三〇日まで、桐生営業所総務課経理係に勤務していたが、このうち、同四九年一二月一九日から同五一年九月三〇日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告桑原は、資材の倉出しを担当していながら、これを自分でやらず、現品を取りに来た作業者にやらせるという、手抜き行為を行っていた。

② 原告桑原は、メーカーからアルミ電線のドラムなどの大きな物が搬入された際、同営業所内の他の従業員が荷卸しを手伝っており、しかも、荷卸しは同原告自身の本来業務であるにもかかわらず、そのまま机上での事務処理を続けるという具合に、自分の本来の業務でさえ他人任せにすることがあった。

③ 原告桑原は、配電用資材業務が機械化された際、それに伴う資料を渡されたにもかかわらず、これを勉強しようとする意欲に欠け、マークミスをしても平気でいた。

④ 原告桑原は、自分自身が書類がどこにあるか分からなくなって机上をあちこち捜すことがあるくらい机上の書類整理が非常に悪かった。

⑤ 原告桑原は、資材の現品を扱う際には作業服、安全帽及び安全服を着用することになっていたにもかかわらず、これを怠り、サンダル履きで作業をするなど、安全意識に欠けていた。

⑥ 原告桑原は、勤務時間中に請負会社の関係者とその人の迷惑も考えずに雑談を延々とすることが多く、それも大声で、高笑いを交えて続けたり、雑談の電話が多かった。

⑦ 原告桑原は、倉庫管理の担当であるにもかかわらず、倉庫内の清掃及び整理整頓あるいはフォークリフトの清掃を自分から積極的にやろうとしなかった。

(八) 原告田村の勤務振り

(1) 原告田村は、西窪発電所勤務時及び中之条保修所勤務当時、椎間板ヘルニアないし十二指腸かいようの疾病による就業制限を受けており、周囲の者に比べて仕事の質量ともに劣る結果となっていたが、それにとどまらず、そもそも仕事に対する意欲、熱意及び責任感に欠け、汚れ仕事を嫌って怠るなど、仕事上の手抜きが見られ、ミスを繰り返した上に、遅刻は常習的であり、全くプライドのない勤務振りに終始した。

(2) 原告田村は、同四〇年五月一日から同四一年一二月三一日まで、群馬支店発変電課前橋保修所に勤務していたが、このうち、同四〇年五月一日から同四一年七月一四日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告田村は、同四〇年秋ころ、前橋変電所におけるリレー試験の際、班長多胡覚司からキュービクルリレー試験装置の結線や調整等の仕事をしているところをよく見て覚え、将来役に立つようメモしておくことを指示されたにもかかわらず、これを怠り、また、同班長が右試験を一時中断して変電所の事務所に出掛けた際、同人から、それまでやったところをもう一度見直しておくようにとの指示を受けたにもかかわらず、これを無視し、「トイレに行く。」と言って持ち場を離れ、立入禁止区域内をぶらぶらするなど初歩的ルールさえ理解していなかった。

② 原告田村は、同四一年春ころから、リレー試験を行うための作業指導を受けたが、初歩的な過電流リレー試験について、試験手順、チェック方法等の説明を受けていたにもかかわらず、説明を真剣に聞いていないためか、あるいは、知識不足や注意力散漫のためか、一向に、満足できる作業ができなかった。

③ 原告田村は、若年従業員にとって格好な勉強の機会とされている工具及び計器類の点検、整理整頓作業を行う際、他の従業員が一生懸命に作業に従事している中、それをただぼんやりと見ていることが多かったばかりか、いつの間にか、作業中の従業員に雑談を仕掛け始め、時には詰め所でたばこを吹かすといった有様で、また、仕事を終えて保修所に帰所した際、他の従業員が工具及び計器類を車から降ろして倉庫に運搬したり、あたりを清掃している中、小さく軽い物ばかりを運び、その数も少ないといった様子で、仕事上の手抜き行為が度々見られた。

④ 原告田村は、他の従業員が研修や仕事の手空き時間を活用して保修所マニュアル等の勉強に努めていたにもかかわらず、そのような姿勢がみられず、手空き時間にもたばこを吸っているだけという態度が見られ、また、同四〇年秋ころ、保修所内で若年層を対象とした機器取り扱い及びリレー関係の試験方法の研修が行われた際、一人だけ、メモをとろうともしないでぼけっとした態度であり、勉強する意欲に欠けていた。

⑤ 原告田村は、同年秋ころ、桐生変電所におけるリレー試験のため作業車を運転して桐生方面に向かう途中、自転車との接触事故を起こすなど、注意力及び慎重さに欠けていた。

(3) 原告田村は、同四四年二月五日から同四五年一月三一日まで、渋川現業所西窪発電所に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告田村は、油圧で操作する機器からの漏油の処理、発電機上部の励磁機のカーボンのかすの掃除及び水車まわりの油拭きといった体の汚れる作業を嫌い、漏油の拭き取り等を怠ったり、その作業を翌日の担当者に任せるといった態度が見られた。

② 原告田村は、給電所からの指令、万一の送電事故等に備えて配電盤を常時監視すべき業務にありながら、配電盤の前の座席から立ち上がって部屋の内外をうろうろするといった極めて落ち着きのない勤務振りであり、また、勤務時間中に私用電話を受けることが多く、電話機のある事務室で長々と話をしていたため、本来、同原告が採録しなければならない定時の運転状況を、班長が代わりに運転日誌に記録しなければならないことがあるなど、周囲に迷惑をかけ、さらに、同原告は居眠りの常習者で、監視机やソファーで寝ていることもあった。

③ 原告田村は、交替制勤務に就いていた関係で、運転状況等について引き継ぎを行った際、他の従業員が引き継ぎ終了後も世間話や、運転日誌に記載しにくい微妙な機械の状態等について話し合うことにより、懇親ないし相互理解を深めていたにもかかわらず、直ちに帰ってしまう態度で、協調性を欠いていた。

④ 原告田村は、同四四年七月ころ、同年一二月の西窪発電所自動化に備え、主任から必要性をいい含められて同発電所の図面整理をするよう指示されたところ、上司からの進行状況についての問い合わせには「やっていますよ。」と答えていたにもかかわらず、実際にはやっておらず、結局、最終的にもできずじまいで、仕事に対する責任感が欠けていた。

(4) 原告田村は、同四五年二月一日から、同五一年九月三〇日まで、渋川現業所中之条保修所(ただし、同四八年四月一日、組織改正により渋川工務所中之条保修所となる。)に勤務していたが、このうち、同四五年二月一日から同五一年六月二七日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告田村は、月に四分の一から後には月の半分に至るほど、五分程度、時には三〇分近い遅刻をし、しかも、他の従業員が当日現場に持参する機器や工具類を作業車に積み込む作業をしているのにこれに参加しなかったことがあり、さらに、悠々と着替えをした後、持参したインスタントラーメン等を食べ始め、上司から注意を受けても、「だって朝飯まだ食ってないんですよ。仕方ないじゃないですか。」と悪びれずに答える有様であった。

② 原告田村は、現場に到着してから計器類を降ろす作業を行う際にも、ごく軽いものを一、二個持って作業現場へ向かうと、他の従業員が作業中にも一人たばこを吸っていたり、後輩をあごで使うといった態度で、作業終了後の後片付け、帰所後の作業車からの積み降ろし等においても、同様の態度をとり、作業に参加し協力する姿勢が見られなかった。

③ 原告田村は、相変わらず、がい子の清掃、点検、絶縁油の性能試験等の汚れ作業を嫌い、サボリの姿勢に終始していた。

④ 原告田村は、保守作業員としては、保修読本や機器の取扱説明書などを積極的に読んで知識と技術を身に付け、技術の進歩に十分対応できるよう知識及び技術を吸収しようとする態度に欠け、自分の席でぼおっとしていたり、漫画本を読むといった状態であり、また、同保修所で実施された研修会の席上、毎回のように途中から居眠りしていた。

⑤ 原告田村は、同保修所における機械関係の人員の減少に伴い、本来の点検班の仕事のみにとどまらず、作業班の仕事である機械関係の仕事についても知識及び技術を吸収することを期待されていたにもかかわらず、「おれは機械に向いてないから嫌です。」と言って、仕事の幅を広げようとする意欲に欠けていた。

⑥ 原告田村は、同四八年春、金井発電所においてリレー試験を行った際、二度続けて位相計の電流レンジの切り替えミスを犯し、しかも、その点について上司から指摘されても、「ああ、そうか。」と言うだけで、ミスについての検討を行わないのみならず、反省の態度も見られない有様で、普段も、後輩従業員から配線ミスをしばしば指摘されるなど、勉強不足や慎重さ及び集中力の欠如からくる仕事上のミスが多かった。

⑦ 原告田村は、保修所員として、出社後は作業服に着替え、安全靴をしっかり履いて作業に臨むべきところ、安全靴の紐をしっかり締めず、また、暑くなると上着のボタンを一個も掛けないといっただらしのない服装で作業に従事していた。

(九) 原告千綿の勤務振り

(1) 原告千綿は、ほぼ一貫して送電関係の職場に勤務してきたが、高所作業、鉄塔上での作業に当初から恐怖感を抱いており、送電業務そのものに向かう姿勢に問題があったが、それに加えて、体力的な面で自信が持てなかったこともあってか、送電マンとして精神的にも技術的にも成長が見られず、積極的な仕事の取り組みが全く見受けられなかった。

(2) 原告千綿は、同四〇年三月二五日から同四三年六月一九日まで、群馬支店送電課野中保線区(ただし、同四一年五月三〇日、職制改正により送電課野中送電所となる。)に勤務していたが、このうち、同四〇年三月から同四三年三月までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告千綿は、鉄塔や木柱上での作業が満足にできず、材料出しなどの補助作業でさえいちいち指示されなければやらないといった具合に、送電マンとしての基本的作業能力に欠けており、しかも、作業に早く慣れようとする努力も意欲も見られなかった。

② 原告千綿は、一〇分程度の遅刻をすることが珍しくなく、時には一〇時、一一時になってようやく出社することがあった。

③ 原告千綿は、設計業務を担当するようになってからも、意欲が感じられず、班長花田から「あの工事はどうなっているか。」、「請負付託はどうか。」、「資材手配はどうか。」といったように、細かい指示を受けない限り、進んで次の設計に移ろうとしない極めて消極的な態度に終始していた。

④ 原告千綿は、設計業務を担当する以上、時には現場に赴いて状況を確認することも必要であったにもかかわらず、これを怠り、現場の確認は外勤者を当てにするといった態度であった。

⑤ 原告千綿は、送電所に勤務する者として、送電設備に事故が発生すればまずその復旧に努める必要があり、そのため、雷の発生が予想されるなど、事故発生のおそれがある場合には、上司からの命令がなくとも、勤務時間後まで送電所に居残り、あるいは帰宅後再びかけつけるといった姿勢が求められていたにもかかわらず、上司からの命令がないかぎり、雷の接近があってもさっさと帰宅してしまうという、送電マンとしての自覚を疑われる勤務振りであった。

(3) 原告千綿は、同四三年六月二〇日から同五一年八月三一日まで、群馬支店送電課吾妻送電所(ただし、同四八年四月一日、職制改正により渋川工務所吾妻送電所となる。)に勤務していたが、このうち、同四三年六月から同四七年四月までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告千綿は、時々一〇分ないし一五分程度の遅刻をし、現場に出掛ける前の資材及び工具等の積み込み作業を他人任せにすることがしばしばであったが、遅刻の原因はほとんどが二日酔いで、自動車の運転はもとより、特にひどい時には外勤作業に当たらせることすらできないこともあった。

② 原告千綿は、支障木伐採に使うなたなどの道具の扱いにいつまでたっても習熟せず、しかも、そのこつを覚えようとの意欲も見られず、さらに、自分が使った道具の手入れさえもやらないことがよくあった。

③ 原告千綿は、同四四年一一月五日に発生した小串鉱山へ電気を供給している送電線の木柱三基の倒壊事故の復旧作業の際、厳寒時の作業のために被告会社から支給されている防寒着、防寒ズボンを着用せず、アノラックだけを着用して作業に当たったため、がたがた震えていて、作業をしている者の手元を照らすランタンの照明の焦点が定まらず、柱上で作業をする者に非常に迷惑をかけるなど、保修作業に対する心構えに甘さが見られた。

④ 原告千綿は、初歩的作業とされる、木柱を建てるときにその根元に根かせとして丸太を鉄線を用いて取り付ける作業ですら、満足にできなかった。

⑤ 原告千綿は、巡視業務中に、送電線付近で工事をやっていたり、建物等が建っているのを発見した際、本来であれば、工事責任者や建物所有者に会って、状況の確認を行ったり、危険であること等を説明したり、障害物等については可能な限り除去する等の措置を講じた上で、その旨所長まで報告書を提出することになっていたにもかかわらず、工事責任者らと会いもせず、そのまま帰所して報告するにとどまるなど、巡視業務で手抜きをしていた。

(4) 原告千綿の、同四八年四月から同五一年七月までの間の渋川工務所吾妻送電所における勤務振りは、次のとおりである。

① 原告千綿は、相変わらず二日酔いによる遅刻を繰り返し、同四九年一二月二七日には、事前に水路工事現場での立ち会いをするよう指示を受けていたにもかかわらず、二〇分程度の遅刻をしたため、現場立ち会いをすることができないという失態を演じ、所長宛に「遅刻理由書」という事実上の始末書を提出させられた。

② 原告千綿は、現場で工事関係者や周囲の人たちと会って話を聞いたり、折衝し、「線路付近異常報告書」を作成すべき特定巡視において、巡視に手抜きをして、現場で関係者と会って話をすることを怠っていた。

③ 原告千綿は、毎月一回全員出席の下に行われる所内の打合せ会議の席上で、意見を述べることもなく、疑問があればそれを聞くでもなく、度々居眠りをしていた。

④ 原告千綿は、支障木を伐採するに当たり、関係者に伐採することの承諾と伐採補償料の折衝をする難しい交渉が多く、二人で協力し合うべきところ、先輩従業員にその一切を任せ切ってしまい、自らは全く交渉しようとしなかった。

⑤ 原告千綿は、前途のとおり「遅刻理由書」を提出した後も、二日酔いによる遅刻の改善がみられなかった。

(一〇) 原告富所正義の勤務振り

(1) 原告富所正義は、責任をもって仕事を果たそうとする姿勢や、業務上必要な知識を早期に身に付けようとする意欲に欠け、また、規律を遵守しようともせず、さらに、同僚に迷惑をかけても一向に構おうとしない勤務振りに終始していた。

(2) 原告富所正義は、同三七年五月七日から同四四年五月九日まで、群馬支店料金課記帳係に勤務していたが、このうち、同三九年五月から同四一年一一月までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告富所正義は、従業員の大半が始業時刻より一〇分前には出社していたにもかかわらず、始業時刻ぎりぎりに出社するか、一週間のうち三、四日は一〇ないし一五分程度遅刻をするという遅刻の常習振りである上に、時には三〇分近くも遅れたりしていた。

② 原告富所正義は、休暇を取得する際、あらかじめ届け出ずに、始業時刻を三〇分も過ぎる当日の午前九時ころになって突然休暇の連絡をしてくることがしばしばあり、仕事上、他の従業員に迷惑をかけていた。

③ 原告富所正義は、仕事に対する集中力や慎重さに欠けていたため、単純な計算間違い、料金カードの転記相違、需要家の取り間違い等のミスを繰り返していた。

④ 原告富所正義は、勤務時間中、極めて落ち着きのない態度であり、一生懸命に仕事に従事している他の従業員に雑談を仕掛けたり、他の係に出向いて話し込むなどの態度が目立った。

⑤ 原告富所正義は、電気供給規定、同取扱要則等の知識等を習得しようとの意欲に欠け、同四一年秋ころ、記帳グループに勤務する若年従業員のための勉強会が企画され、収入管理グループからも参加希望者が出て勉強しようとする気運が高かった中で、同原告も参加を勧められたにもかかわらず、勤務時間外であることを理由に参加しようとしなかった。

(3) 原告富所正義は、同四四年五月一〇日から同四七年五月一四日まで、渋川現業所事務課に勤務していたが、このうち、同四五年四月から同四七年五月までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告富所正義は、ほとんど毎日のように一〇分から二〇分程度遅刻しており、相変わらず遅刻が多かった。

② 原告富所正義は、主任から、より効率的な業務処理ができるように処理方法の工夫改善を図るよう指示されたところ、これに取り組もうとする姿勢を全く見せず、「労働者は賃金分だけの仕事をすればいいはずです。難しい仕事はできません。」と反論するなど、向上意欲が見られなかった。

③ 原告富所正義は、群馬支店に備品現在高調書、社宅入退去の報告等の請求書類、報告書を提出する業務をも担当していたが、それらの提出をしばしば遅らせていた。

④ 原告富所正義は、同四六年ころから、備品、準備品の購入等の予算計画作成、予算消化状況把握といった業務をも担当するようになったが、群馬支店の担当者に対し、「一応計画は出したけれど、予算なんかくれなくていいよ。そうすりゃこっちは仕事しないで済むから。」と述べたことがあり、その仕事ぶりは無責任極まるものであった。

⑤ 原告富所正義は、日頃から身を入れて仕事に取り組もうとする姿勢に欠けていたため、同四七年五月一日付けで渋川現業所に配属された数名の新入社員の被服請求手続をするに際し、森下哲雄のためには安全靴を請求すべきところ、誤ってズック靴を請求してしまうなど、多くのミスを犯し、また、備品台帳、社宅調書等の記載もれが多々あるなど、記帳処理にずさんな点が見られた。

⑥ 原告富所正義は、勤務時間中に頻繁に離席して、他課へ行っては長時間の無駄話を仕掛けていた。

⑦ 原告富所正義は、同四五年一一月ころ、原町発電所に社宅の現場調査のために出向いた折、調査終了後直ちに帰所せずに、油を売って遊んできたものと判断されるほど、業務上外出した際、帰社を遅らせることがしばしばであった。

⑧ 原告富所正義は、群馬支店又は現業機関等に文書を送る際の送り状を作成する業務を担当していたが、これらはもともと定形的で簡単な文書である上、従業員全員に配布されている「文書作成ハンドブック」等を参照すれば、容易に作成できるものであるにもかかわらず、同原告の作成した送り状には、誤字、脱字が目立ち、趣旨も理解できない等、粗末な文章であった。

(4) 原告富所正義は、同四七年五月一五日から同五一年九月三〇日まで、富岡営業所総務課に勤務していたが、このうち、同四七年五月から同四九年六月までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告富所正義は、同営業所の資材職場に配属されたことを不満に思い、おれは資材の仕事が嫌いだとか、支店の労務あるいは総務関係の仕事をやりたかった等の愚痴を頻繁にこぼしており、そのためか、現品方の仕事をする上で基本となる貯蔵品の名称及び形状を覚えようとする熱意が全く見られず、これらを覚える絶好の機会となる現品台帳と貯蔵品との残高照合などの仕事を同僚に任せてばかりで、仕事に取り組む熱意に欠けていた。

② 原告富所正義は、自己に分担された仕事以外にはやろうとせず、同僚が繁忙であっても、これを手伝おうとしないばかりか、他の従業員と協同して処理すべき業務も、とかく同僚に押し付けていた。

③ 原告富所正義は、相変わらず、規程及び要項の勉強をしようとする姿勢を見せず、資材事務所に来る者に雑談を仕掛けていた。

④ 原告富所正義は、倉出集計表に基づき現品台帳への記帳処理をすべきであるにもかかわらず、これを怠り、倉入集計表の記帳を担当する同僚の齊藤に任せていた。

⑤ 原告富所正義は、始業時刻までに出勤することはほとんどなく、多くは八時三五分ころ現れ、毎日のように、遅刻をしていた。

⑥ 原告富所正義は、休暇を取得するに際し、倉入れ作業が非常に忙しくなり資材グループ総出でこれに対応する月曜日に、しかも当日の朝、始業時刻を過ぎた後に連絡してくることが多く、他の従業員に迷惑を掛けていた。

⑦ 原告富所正義は、倉庫担当者として、作業の際には安全靴を使用し、また、頭上から物が落下するおそれのある場所での作業に際しては、電気安全帽を着用することが指示されているところ、安全を考えない服装のまま作業をすることが多かった。

⑧ 原告富所正義は、勤務時間中、レバーのから揚げを購入する等のために上司に無断で外出し、また、在庫調査の目的で工事業者の関電工の資材担当者と一緒に電柱置場に行く際にも上司に断らず、さらに、同五一年春ころには、資材グループの誰一人にも断ることなく、関電工の資材車を出させて、自己が購入予定の家に立ち寄ったこともあるなど、勤務時間中の無断外出が少なくなかったし、昼休みに外出してパチンコをしたりすると、定刻までに戻らないことがあった。

⑨ 原告富所正義は、勤務時間中あるいは宿直中、社内専用の青電話を使って私用電話をしていた。

(一一) 原告富所陽子の勤務振り

(1) 原告富所陽子は、遅刻及び私用電話といった他の原告にも共通する問題点があったことに加え、仕事に取り組む意欲に欠け、仕事をしているように見せかけながらサボることに精を出していた。

(2) 原告富所陽子は、同三六年四月二六日から同四一年一月九日までの間、群馬支店配電課管理係に勤務していたが、このうち、同三九年六月から同四一年一月までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告富所陽子は、勤務時間中であるにもかかわらず、機械室内においてもう一人のオペレーター(元原告窪田麗子)とともに雑談をしたり、私用電話を頻繁にかけていた。

② 原告富所陽子は、機械室において会計機操作による当日分の集計を終えた後は、管理係の自席に戻って打ち込み内容の照合を行ったり、各営業所から提出された各種資料の集計を行うべきところ、機械の打ち込み終了後も自席に戻らず、機械室に閉じこもっていることが多く、自席での資料集計を意図的に避けていた。

③ 原告富所陽子は、同三九年七月から同四〇年一〇月までの群馬支店社屋建て替えに伴う仮社屋時代を通じて、毎日のように遅刻し、午前九時前後に出社していたが、同原告は、仮社屋への通勤という特別事情の下、被告会社と労働組合との間で、最寄り駅まで各自が乗ってくる電車や路線バスがやむを得ない事情で遅れた場合には、午前九時ころに仮社屋に到着するバスに乗ることになっても止むを得ないという口頭了解があったことから、右事情に該当しないのに、右了解を盾にとって、遅刻して当然という態度を見せていた。

④ 原告富所陽子は、仕事に対する意欲に欠けていたため、オペレーターとしての会計機の処理速度が遅かった。

⑤ 原告富所陽子は、同四〇年六、七月ころ、管理係長中村から検査統計業務の機械化について、既に実施している店所に行って見学してくるよう勧められたにもかかわらず、「私たちはそのような機械化のことを勉強する気はない。」と言ってこれを断るなど、自ら進んで新しい仕事に触れようという意欲を示さなかった。

(3) 原告富所陽子、同四一年一月一〇日から同四三年七月三一日までの間、前橋営業所営業課営業係に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告富所陽子は、窓口における料金収入業務を担当していたが、需要家が料金の支払いのために窓口にやってきた場合、定例残収入消込表で古月分の電気料金の有無を確認し、古月分の未納があると、規則により古い方の料金から順番に充当する取り扱いをすべきところ、定例残収入消込表による古月分の電気料金の有無の確認を怠り、一度は古月分があるのに領収分を当月分に充当するミスをしていた。

② 原告富所陽子は、毎朝宿直者から引き継ぎを受けて窓口における収入金額の科目別合計及び総合計を確定する、精算締切業務をも担当しており、その締切時には、領収証原符及び記録紙の内容チェックを欠かせないにもかかわらず、これを行おうという積極的な態度を見せなかっただけでなく、総括者細谷登が繁忙でチェックに手が回らないときにも、言わなければチェックをしようとせず、また、命じられてもなかなか取り掛かろうとしなかった上、チェック漏れや訂正漏れが目立ち、周囲に迷惑をかけていた。

③ 原告富所陽子は、手空き時間に相変わらず私用の電話で話し込んでいる姿がよく見かけられた。

④ 原告富所陽子は、休暇を取得するに当たって、当日、しかも始業時刻過ぎの午前九時ころになって連絡してくることが多く、その結果、急遽他の従業員が代行を勤めなければならないことになり、周囲に迷惑をかけていた。

⑤ 原告富所陽子は、始業時刻後と終業時刻前に宿直者との間で、昼休みの前及び後に昼当番者との間で窓口業務の引き継ぎを行うべきところ、スムースに引き継ぎができるような時刻には出社せず、また、昼休み後の午後一時過ぎになっても窓口の受付席に戻らず、その結果、やむなく上司又は同僚が代わって引き継ぎを受けることとなり、周囲に迷惑をかけていた。

⑥ 原告富所陽子は、受付箋の記入に不備が多く、また、自分で規程、基準などを勉強せず、周りの者に同じことを尋ねており、業務知識の習得に積極性が見られなかった。

(4) 原告富所陽子は、同四三年八月一日から同四七年一二月一四日までの間、前橋営業所料金課集金係に勤務していたが、このうち、同四五年四月から同四七年一二月までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告富所陽子は、相変わらず、定例残収入消込表の収入消込及び集計並びに定例残受払表の記入及び集計にミスが多く、そのためにほとんど毎月の収入残高が合わなくなり、原因究明のために上司及び同僚に迷惑をかけていたのみならず、電気料金の早収又は遅収の判定ミスも一度ならずあった。

② 原告富所陽子は、仲間からかかった電話を一〇分から一五分、長い時は三〇分以上も続けていることがあり、また、帰社した集金員にやたら無駄話を仕掛けていた。

③ 原告富所陽子は、週二、三回で一五分程度の遅刻が多く、勤務時間中にしばしば無断で離席し、さらに、昼休み終了後、就業時間の午後一時になっても営業所に戻って来ないなど、職場の規律を無視した行為があった。

④ 原告富所陽子は、収入消込業務全般を担当していたが、処理能力からいってとてもこなし切れず、他の従業員に一部を分担してもらわざるを得ないなど、同僚の助けを必要とした。

⑤ 原告富所陽子は、休暇の取得について、相変わらず、当日電話で連絡することが多く、始業時刻を過ぎて連絡することがあった。また、収入管理業務が最も多忙な月末の締切時期にも、同原告は、何回か突発休暇をとった。

⑥ 原告富所陽子は、被告会社が同四七年一月、集金業務につき下川淵農協への団体委託を行った際、委託集金員及び検針員で結成する常傭労働組合の理解を得られていたにもかかわらず、「あんなことを組合が了解するのはおかしい。」などと批判するなど、被告会社の施策が円滑に実施されようとしている中で、これに異を唱えたばかりか、一部の委託集金員を扇動して混乱を引き起こそうとした。また、同原告は、この関係の仕事として、業務区変更のための地図の線引きや切り張りなどの準備作業を手伝おうとしなかった。

(一二) 原告橋本の勤務振り

(1) 原告橋本は、仕事に取り組む意欲、積極性や責任感、同僚に対する協調性等に著しく欠ける勤務振りに終始していた。

(2) 原告橋本は、同三七年五月七日から同四四年三月三一日までの間、群馬支店送電課送電係に勤務していたが、このうち、同四〇年一一月一五日から同四二年一〇月三一日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告橋本は、主任以下三名の小グループに属し、自分が繁忙なときには同僚の中垣から応援を受けていたにもかかわらず、逆に、中垣が月初めに繁忙なときに、自分が手が空いて暇であっても、主任奥原から指示されない限り、応援しようとせず、協調性に欠けていた。

② 原告橋本は、比較的手空き時間が多かったにもかかわらず、これを活用して勉強し、業務知識を吸収しようとする意欲に欠けていた。

③ 原告橋本は、勤務時間中主任が席を外しているときなどに一五分ないし二〇分もの長時間、私用電話をよくかけていた。

④ 原告橋本は、始業時刻ぎりぎりに出社するか、あるいは遅刻するという出社態度であり、遅刻の回数も月に四ないし五回程度であった。

⑤ 原告橋本は、職場内で周囲の者と良好な人間関係を築いていこうとする姿勢が見受けられず、出社時及び退社時には周囲にあいさつを交わさず、人事異動の際の歓送迎会等の席上でも、周囲の者と溶け込まず、いつの間にか姿を消すという有様であった。

(3) 原告橋本は、同四四年四月一日から同四五年七月八日までの間、藤岡営業所総務課に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告橋本は、被服の定時貸与等の時期に周囲の者が自発的に被服の仕分け、配布の作業を手伝っていることや、講習会の準備作業で繁忙な他の従業員の応援をしようとせず、終業時刻になると、他の従業員が時間外まで残って忙しく仕事をしている中でも、これを手伝おうとせず、上司から手伝うよう指示を受けても、「時間外は用があるのでできません。」といつもこれを拒否していた。

② 原告橋本は、手空き時間を利用して規程類の勉強をするとか、他の担当者の手伝いをして自分の仕事の幅を広げようとする意欲に欠けていた上、同営業所職員を対象とした講習会及び講演会等の準備作業、出席についても消極的姿勢に終始し、課長田久に促されてしぶしぶ出席しても、最後部席で居眠りをしていることが多く、極めて問題の多い受講態度であった。

③ 原告橋本は、同四四年五月ころ、支障木伐採の交渉の応援をすることになり、群馬県鬼石町方面において、松下嘉之助と共同して支障木伐採の交渉に当たっていたところ、午後四時三〇分近くになると、「このまま予定どおり交渉を続けていたら五時の終業時刻までに営業所に戻れなくなりますから、もう帰りましょう。」と言い出し、松下を一人残して、車に乗り込んで帰社してしまったことがあり、また、同原告は、社内預金払い戻し業務を担当していたところ、本来であれば、資金繰りの関係から、当該月に何名の従業員がどれくらいの金額の払い戻しをするかという予定を把握するための調査を行うべきところ、右調査に手抜きをしていい加減な金額を会計担当者に提出し、同四四年六月ころ、一五万円もの資金繰りを狂わせたことがあるなど、業務における無責任な対応が目立った。

(4) 原告橋本は、同四五年七月九日から同四七年五月一四日までの間、藤岡営業所営業課に勤務していたが、このうち、同四五年七月九日から同四六年一一月一九日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告橋本は、他の従業員が受付箋及び小作業箋等の処理票の整理のために、終業時刻を越えて作業をして即日処理に努めているにもかかわらず、終業時刻になると、整理すべき処理票が多少残っていても、往々にして他の従業員に分からないようにこっそりと退社しており、受付箋等を群馬支店に運搬する定時便が午後五時過ぎに到着した後、初めて同原告が処理票の整理を完了させずに退社したことが判明し、慌てて、その整理を他の従業員が手分けして行わざるを得なくなるなど、周囲に迷惑をかけていた。

② 原告橋本は、営業作業用の材料の管理を担当していたが、営業所の窓口は、外来者が多く、言わば会社の顔として機能しているところであり、乱雑な状態にしておくと被告会社のイメージを損ねかねないにもかかわらず、同原告は、作業者から撤去材料を受け取っても、それを整理せずに放置しておき、何日分かをため込んでからようやく倉入をするといった方法をとって、作業グループの席の周囲及び机上に撤去材料を山積みにしており、勤務に手抜きをしていた。

③ 原告橋本は、同四五年一二月ころ、上司が担当していた需要想定業務に関する新たな情報が入ったために、他の従業員が応援して需要想定をやり直す必要が生じた際、他の従業員が応援に加わっている中、手空きの状態であったところ、主任から応援するよう指示されたにもかかわらず、「それは自分の仕事ではありません。そんなに給料はもらっていません。」と拒否するなど、協調性に欠けていた。

④ 原告橋本は、無線指令業務を担当しており、これを効率的に運行するには、営業所受け持ち区域内の地理、交通事情、無線交信範囲及び作業に要する平均的な時間等の知識を身に付けておく必要があり、そのためには、作業者に同行して地理を覚えたり、実際の作業状況を見て所要時間を把握するなど、知識を積極的に習得しようとする意欲が必要であるところ、現場にもほとんど出ることがなく、結局、無線指令業務の大半を他の者が処理せざるを得なくなるという無責任な態度であった。

⑤ 原告橋本は、相変わらず、業務上必要不可欠な規程及び基準等を勉強しようとする意欲に欠け、そのために、受付箋の整理の際に、記載ミスが見られるなど、いい加減な業務処理を繰り返していた。

(5) 原告橋本は、同四七年五月一五日から同五一年九月三〇日までの間、富岡営業所営業課に勤務していたが、このうち、同四八年八月一五日から同五一年九月三〇日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告橋本は、受け持ち区域内の大口需要家の動向、開発計画の実態等、需要想定の基礎資料を収集する業務を担当していたが、資料収集のためには需要家ごとに個別調査を要するところ、基礎資料収集をしていなくてはならない一〇月になっても、訪問計画を立てようとせず、主任一倉から注意を受けても、「行ったって話もしてくれない。」とか「富岡辺りじゃ大した計画もない。」などと無責任な言い訳を繰り返していたため、やむなく、主任一倉が計画を立てなければならなかった。

② 原告橋本は、需要想定用の資料を自分の机上にバリケードのように積み上げ、その陰に隠れるようにして、勤務時間中に居眠りをしていた。

③ 原告橋本は、停電工事の前にその旨需要家に周知させるための停電広報を担当していたが、同五〇年秋ころ、群馬県甘楽郡下仁田町内の工藤パン店に対し停電広報をする際、同店に対しては以前から、従業員が出向いて直接停電についての説明をしなければなかなか了解を得られないことが分かっていたにもかかわらず、手を抜こうと思ったのか、これを電話で周知させようとしたために同店経営者の怒りを買う結果となり、しかも、その解決を自分でやろうとせず、主任一倉に依頼し、あとは知らぬ振りを決め込もうとする有様であった。さらに、同原告は、その後も同様のトラブルを起こしたり、定時退社をして、停電周知をやり残したままのことがあった。

④ 原告橋本は、休暇取得の際、前日の夕方に申請することが多く、そのために、周囲の者が翌日の仕事のやり繰りに困難を来すことがあり、また、同原告は、休暇取得日が停電広報日に当たっていることを知りながら、周囲の迷惑を考えずに自分本位の休暇を取得することも多かった。

⑤ 原告橋本は、上司から自分の担当業務以外の仕事の手伝いを頼まれると、「へぇー、これは主任の仕事なのに七級職のおれに任せていいんですか。」とか「こんな仕事の給料もらっていないのに無償奉仕ですか。」などと一言皮肉を言ってからでないと取りかからず、同原告のこのような上司に対する不そんな態度は、職場の士気統率に問題を残すのみならず、同僚からもひんしゅくを買っていた。

⑥ 原告橋本は、朝八時三七、八分ころ安全体操(電気体操)が終了する間際に出社するという遅刻の状態がほとんどであった。

(一三) 原告福井の勤務振り

(1) 原告福井は、仕事に対する意欲、責任感及び協調性に欠けており、上司に対し反抗的な姿勢をとり、職場の状況を考えない身勝手な行動さえも見られた。とりわけ、同原告は、「うたごえ」活動等の社外活動に精力を傾注しており、社外活動に自己実現の場を求めることは否定されるべきでないとしても、他の従業員が自らの仕事にその場を求めているのと比較すれば、その勤務振りや成果に差が生じていた。

(2) 原告福井は、同三五年六月一四日から同四四年四月一四日まで、前橋営業所配電係(ただし、同三九年五月三〇日、職制改正により配電課配電係となる。)に勤務していたが、このうち、同四〇年一〇月一日から同四四年四月一四日までの勤務振りは、次のとおりである。

① 原告福井は、同四二年上期に前橋市の朝日町から三河町にかけて引込線改修の設計を他の従業員数名とともに指示された際、一人だけ提出期限までに設計書を提出せず、その点について上司から注意を受けると、「こんなの少しくらい遅れたっていいじゃないですか。」と反抗的な態度をとり、仕事への取り組みがずさんであった。

② 原告福井は、部分的な電柱建て替えや電線張り替え等のいわゆる小口設計を担当していたが、将来、より大規模の大口設計を担当するのに備えて、設計基準などの勉強をしている様子がなく、また、大口設計に取り組みたいとの申し出もなく、同四三年初めころには、大口設計である大利根一号団地の鉄柱工事の設計を主任から促されても、「私にはできない。」と消極的な態度しか示さなかった。

③ 原告福井は、同四二年ころ、応援で他発設計を手掛けた際、電気工事店との間で、需要家の要望と調整のために現場立ち会いをする約束があったにもかかわらず、当日の朝に、突然電話連絡で休暇を取り、しかもその日に現場立ち会いがあることの引き継ぎ連絡をしなかったため、相手の電気工事店から苦情を受けたことがあり、その仕事振りは無責任であった。

④ 原告福井は、勤務時間中に度々一〇分以上に及ぶ私用長電話をしていた。

⑤ 原告福井は、他発設計分の一般供給設計が集中し、未処理分の山を崩さなければならない場合、他の従業員が自分の割当て量を消化し更に山を減らそうと時間外に及んでも積極的に処理しようと努めているにもかかわらず、これに協力せず、マイペースで仕事を処理していたし、設計書の積上げの場合も、同様の姿勢であった。

⑥ 原告福井は、始業時刻ぎりぎりの出勤を繰り返し、月に何回かは、遅刻をしており、他方、退社については業務の繁閑を無視して退社していた。

⑦ 原告福井は、山を崩すようなときや積上げ設計を必要とするときのような繁忙時に周囲の迷惑を考慮しないいわゆる突発休暇が目立つ状態だった。

⑧ 原告福井は、勤務時間中に設計員としての立場を利用して電気工事店(応用電気)に対し、「赤旗」の講読を強要した。

(3) 原告福井は、同四四年四月一五日から同五〇年三月三一日まで、伊勢崎営業所配電課配電係に勤務していたが、このうち、同四七年三月一日から同四九年八月三一日までの勤務振りは、次のとおりである。

① 原告福井は、四七年春、翌年度の配電予算編成資料の基礎データ作成の一環として、主任平塚から、地中線工事関係の所用材料及び工量の算出を命じられたところ、同主任や係長吉野に対し、「自分は八級職なので、こんなことはやらなくてもいいはずだ。」等と述べて、上司に対する反抗的姿勢を見せ、また、需要家の要請による工事の設計(他発設計)の応援を指示されても、「自分の仕事が忙しいから。」と言って指示を無視するなど、上司に対する協力の姿勢に欠け、同四八年三月、人物所見の提出について、係長吉野に対し、「こんなもの出しても仕方がない。」と言って、被告会社の制度を頭から否定してかかるごう慢さが見られた。

② 原告福井は、他発設計を担当したときにも、他の従業員が多忙で全員が協力し合っている中、それらを尻目に、一人で先に退社しており、また、所員の日課であり、午前八時三〇分の始業と同時に始まる安全体操に、同四八年の前半ころまでほとんど参加しないといった具合で、その勤務態度は自分本位で協調性を欠いていた。

③ 原告福井は、当日の朝始業時刻前に、営業所の宿直者に一方的に電話で連絡して休む、いわゆる突発休暇が多かった。

(4) 原告福井は、同五〇年四月一日から同五一年九月三〇日まで、伊勢崎営業所配電課工事係に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告福井は、初めて検収業務を担当するようになったことから、請負工事がその規模、場所、実施時間帯等によりどの程度の工事量となるのか等、工事についての知識、判断を身に付ける必要があるにもかかわらず、上司から、標準作業方法での施工ができない規則外工事の検収を勧められた際、忙しいなどの理由をつけてこれをやろうとせず、意欲、積極性に全く欠けた取組み姿勢であった。

② 原告福井は、配電線の工事のために送電を停止する作業に携わることがあり、右作業は人命にも関わりかねないものであることから、停止の前日午前中に停止に関する者を集めて休電工事事前打合せを行うとともに、その夕方には送停止操作に当たる者の事前打合せを行い、さらに、当日、現場への出発前に事前打合せを行い、また、作業には気持ちに十分余裕をもって当たることが必要であるにもかかわらず、現場出発前の集合時刻に遅れることがあり、上司から注意されても、現場への出発時刻には間に合っているから問題ないと言わんばかりの態度を示しており、作業前の余裕の必要性を理解しようとせず、仕事に対する自覚が全く感じられなかった。

③ 原告福井は、休暇に際しては極力職場の繁閑を考慮した取得の仕方をしてくれるよう係長から話されていたのに、周囲への影響を考えない突発休暇が多かった。

④ 原告福井は、当日の仕事の流れの中で出てきた業務についてそれを片付けるためや、上司から当日になって命じられた時間外の仕事を全くやろうとせず、業務を積極的に協力して処理しようとの態度に欠けていた。

⑤ 原告福井は、相変わらず、人物所見を提出することについて反抗的な姿勢を見せていた。

(一四) 原告本木茂の勤務振り

(1) 原告本木茂は、全体として仕事に対する意欲や責任感、周囲の者に対する協調性に欠け、自己中心的な態度に終始しており、とりわけ定時退社を徹底するために仕事を手抜きし、本来やらなければならない仕事をおろそかにし、自分の定時退社の妨げになりそうな仕事は上司に無断で後輩や同僚に回し、また、手抜きのために請負工事業者にも迷惑をかけていた。

(2) 原告本木茂は、同三八年一〇月一日から同四四年四月一四日まで、渋川営業所配電係に勤務していたが、このうち、同四一年四月一日から同四四年四月一四日までの勤務振りは、次のとおりである。

① 原告本木茂は、主任荒木から新増設調査の割り振りを受けた際、それが一人で十分処理できると思われる業務量が割り振られても、一〇件をちょっと越えると、「こんなに多くはできません。」と文句を言い、手空きの時間には新器材及び機器の構造、原理等を積極的に勉強することもなく、ただぼんやりしているか、保守作業員の詰所へ赴いて雑談を仕掛けるなどしており、試験グループにおける打合せの席においても、メモを取らず発言もしないままであり、業務に対する意欲に欠けていた。

② 原告本木茂は、新増設調査において、不良箇所を発見した際、不良通知書に具体的な不良工事内容を記載して営業課契約グループに送付する業務を担当していたが、同原告の作成した不良通知書への記載が「内線器具一部未取付のため一部送電のみ」といった具合に抽象的で、記載内容を読んだだけではいかなる点が不良とされるのか具体的内容が分からないというように、仕事に手抜きをしていた上、上司からその旨注意を受けると、「自分で工事した人だから、現場に行けば分かりますよ。」と言い訳をしてその後も改めようとせず、謙虚な姿勢に欠けていた。

③ 原告本木茂は、同四二年四月一日から、同僚樋口が会社の研修施設東電学園専門部に留学のため不在になった際、他の従業員が自主的に応援していたにもかかわらず、応援に加わらず、上司から厳しく注意されると、「それは私の分担業務ではありません。」と極めて不満げな態度を示し、しぶしぶ応援するという協調性に欠けた態度であった。

(3) 原告本木茂は、同四四年四月一五日から同五〇年六月二二日まで、桐生営業所配電課に勤務していたが、このうち、同四九年四月八日から同五〇年六月二二日までの勤務振りは、次のとおりである。

① 原告本木茂は、自分一人で可能な新増設調査件数の上限を勝手に決めており、自分が決めた件数(一四、五件)よりも少しでも多いと、上司に無断で後輩等に仕事を回して応援させ、定時退社をしていた。

② 原告本木茂は、同四九年夏、終業時刻前から落雷が発生し、桐生市内にも落雷による被害が予想されるため、他の従業員が雷に備えて自主的に勤務時間外に待機しているにもかかわらず、黙って定時に退社しており、無責任な態度であった。

③ 原告本木茂は、新増設調査につき、需要家から調査時刻を指定された場合、足順どおりに調査をすすめにくくなるため、このような時刻指定の調査をしばしば拒否し、主任内山に対し、「これはおれには行けないから誰か他の人に行ってもらってください。」と言い出し、その理由を尋ねられると、勤務時間内に帰社できなくなるかもしれないからという身勝手なことを言い出していた。

④ 原告本木茂は、重度のA、B不良を発見した際、不良通知書を発行すると、改修後再調査に赴かなければならないため、このような重度の不良についてはほとんど不良通知書を発行せず、施工業者に電話連絡をするだけで調査結果を「良」として処理し、再調査を要しない軽度のC、D不良についてのみ不良通知書を発行するという手抜きをしていた上、相変わらず、発行した不良通知書の記載内容が、抽象的でいい加減であった。

⑤ 原告本木茂は、新増設調査を行う際、本来ならば一見して判明する箇所のみならず、隠れている工事施工箇所についても調査すべきところ、これを怠り、目視できる箇所のみをざっと調査し、後は主開閉器に測定器を当てて、絶縁抵抗と接地抵抗を計るだけという、手抜き調査を行っていた。

⑥ 原告本木茂は、始業時刻ぎりぎりに出社し、朝の安全体操にほとんど参加せず、安全標語の呼称や安全ミーティングにも参加しないなど、安全に対する関心が薄かった。

⑦ 原告本木茂は、自分の手空き時間には「月刊天文」という雑誌を読むなどしており、繁忙にしている他の従業員の担当業務を応援しようとする姿勢が全く見られなかった。

(4) 原告本木茂は、同五〇年六月二三日から同五一年九月三〇日まで、渋川営業所配電課に勤務していたが、この間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告本木茂は、本来の担当ではない定期調査の応援を命じられたところ、「なんでおれが定期調査なんかやらなけりゃなんねえんだ。」、「あんなくだらん仕事はもっと若いやつがやればいいんだ。」と発言し、それ以外に、新増設調査の応援の際にも同様のことを口にし、協調性に欠けていた。

② 原告本木茂は、同五〇年秋ころ、配電課長正木から、これまで主に担当してきた試験業務以外にも職域を広げさせ、かつ、同原告の勤務振りを改めるきっかけにしようとの配慮により、設計グループへの異動を打診された際、「設計に行くと時間外をしなければならなくなるのでお断りする。」と返答し、あっさりと拒否するなど、業務に対する意欲が欠けていた。

③ 原告本木茂は、手空き時間が生じると、勤務時間中に漫画本や雑誌を読んでいたり、無断離席をして他課や他グループの従業員に雑談を仕掛けていた。

④ 原告本木茂は、同じグループの飯塚、町田らが終業時刻後も残り作業することが分かっていても手伝うことなく、定時退社をするなど、協調性に欠けていた。

⑤ 原告本木茂は、業務の一環として行われる始業時刻直後の安全体操に、ほとんど参加しなかった。

(一五) 原告本木八千代の勤務振り

(1) 原告本木八千代は、業務に対する積極的な取り組み姿勢が全くなく、定形的な業務を与えられた範囲でこなすだけであって、自分から勉強して新しい分野で能力を伸ばそうという意思が見受けられなかった上、職場における上司、同僚との協調性もなく、他の従業員から応援を受けることはあっても、逆に、他の従業員に協力することはなく、いつも職場で孤立し、また、勤務時間中の無断離席、私用電話、突発的な休暇取得など、職場規律に反する行動が多く、組織人として極めて問題の多い行為を繰り返していた。

(2) 原告本木八千代は、同二六年五月一日から同四三年一月一二日まで、群馬支店経理課会計係に勤務していたがこのうち、同二七年一月から同三八年五月までの勤務振りは、次のとおりである。

① 原告本木八千代は、同三七、八年ころには、会計係に一〇年以上在籍するベテラン従業員となっており、経験の少ない後輩従業員に対し、積極的にアドバイスをすべき立場にありながら、これをせず、後輩から尋ねられてもそっけない返事しかしなかった上、同三七年一〇ないし一一月、ノイローゼ気味の従業員丸岡輝雄が会計係に転入して同原告の隣の席に配置された際、これを嫌がり、上司に席替えをするよう申し入れてほしいと同僚の金垣に要望し、再三にわたる説得にも応じないことがあり、先輩従業員としての自覚や仲間意識を欠いていた。

② 原告本木八千代は、決算時や監査資料作成時などの繁忙時に、従業員が相互に応援し合って業務処理に当たるべきであり、しかも、既に中堅的立場にあったにもかかわらず、これをすることなく、自分の仕事さえ処理すれば後は関係ないという態度で、率先して応援する姿勢が見られず、仕事の仕方が自己本位であった。

③ 原告本木八千代は、伝票発行の元となった取引内容の確認のためりん議を確認するなど自分なりに探究心を持って業務処理に当たることをせず、自分に与えられたものを機械的に処理するという姿勢しか見られなかった。

(3) 原告本木八千代は、同四三年一月一三日から同五一年九月三〇日まで、群馬支店労務課生活係に勤務していたが、このうち、同四三年一月から同四六年五月までの勤務振りは、次のとおりである。

① 原告本木八千代は、諸貸付金の管理を担当していたが、毎月末に経理課の残高と照合することを怠り、その結果、会計監査が近付いた同四三年一〇月、諸貸付金のうち学資金の貸付残高が、経理課の計上している残高と合わないことが判明したため、他の従業員がその原因を突きとめるために夜中まで調査をしなければならなくなるといった具合に、周囲に迷惑をかけていた。

② 原告本木八千代は、生命保険業務をも担当していたが、生命保険の配当金について、生命保険カードへの記入を相当数怠っていたため、同四四年の年末調整の間際になって、記入漏れが発見され、生活係長山岸らが年末調整に間に合わせるために、夜遅くまで居残り、その記入をしたことがあり、周囲に迷惑をかけていた。

③ 原告本木八千代は、文化会の運営など従業員らの相互協力が必要なときに、非協力的な態度をとり続け、同四五年一月、金井発電所で事故が発生して従業員が殉職した際にも、安全を担務する主任が中心となって情報のまとめ、本店への報告の作成等に携わっていたところ、本来は関係のない生活係の従業員もこれに協力していた中で、同原告は無関心な態度であった。

④ 原告本木八千代は、ほとんど毎日のように、午後になると無断で離席し、三〇分以上も喫茶室で、雑誌などを読んで時間をつぶしていた。

⑤ 原告本木八千代は、勤務時間中、時折、小声で私用としか考えられない長電話をしていた。

⑥ 原告本木八千代は、昼休み時間が終了してもしばらく自席に戻らず、他の係員が不審に思っているところへ無言で入ってきて着席し、仕事にかかることが度々あった。

(4) 原告本木八千代の同四八年六月から同五一年九月までの勤務振りは、次のとおりである。

① 原告本木八千代は、業務知識が不十分であり、同四九年の学資金貸付にあたって、従業員の子供の夜間大学入学による新規貸付の申込みがあった際、規則上この場合には貸付が認められていないにもかかわらず、右規則を理解していなかったため、これを受け付けてしまうことがあった。

② 原告本木八千代は、長年にわたって同一業務を担当しており、業務量も以前に比べ少なくなっていたにもかかわらず、職域の幅を広げるため、新しい仕事に取り組みたいという申し出を一度もせず、課、係の打合せでも何の発言もないなど、意欲、積極性を感じさせる姿勢が全く見られなかった。

③ 原告本木八千代は、毎年数回実施される文化体育行事の準備等に自発的に協力するという態度が見られず、係の中に溶け込もうという姿勢のない、孤立した存在であった。

④ 原告本木八千代は、休暇取得の際、原則として数日前までに上司に申し出るべきところ、当日の朝、突然に電話で連絡して取得したり、前日の退社間際になってその旨告げるといった場合が多かった。

⑤ 原告本木八千代は、相変わらず、無断離席が目立ち、その間に同原告の業務に関する問い合わせの電話があって、主任や同僚がこれに対応せざるを得ないことがあった。

⑥ 原告本木八千代は、昼休み時間を過ぎても自席に戻らないことが度々あり、時には三〇〜四〇分も過ぎることがあった。

⑦ 原告本木八千代は、勤務時間中に業務と関係のない書き物をしたり、金銭のやり取りをすることがあり、公私の区別をわきまえない勤務態度であった。

⑧ 原告本木八千代は、勤務時間中の私用電話が多く、それも、回りをうかがいながら一〇分以上にも及ぶことがあった。

(一六) 原告山本の勤務振り

(1) 原告山本は、仕事に取り組む積極性及び意欲に欠け、注意力を集中させないためか、仕事上のミスを多発させた上、協調性にも欠けた自己中心的な勤務振りに終始していた。

(2) 原告山本は、同三七年六月一日から同四三年四月三〇日までの間、高崎営業所料金係(ただし、同三九年五月三〇日、職制改正により料金課検針係となる。)に勤務していたが、このうち、同四一年四月一日から同四三年四月三〇日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告山本は、検針専務員の中堅的立場にあったもので、検針係が毎月末開いていた需要家サービスの向上やミスの再発防止対策等についての打合せ会において、本来ならば積極的に意見を述べ、自分が中心となって打合せ会をまとめるなどして、後輩や委託員を指導すべきところ、これを怠り、いつも後方の座席に着席し、質問や建設的意見を述べることもなく、時には居眠りをしており、その上、誤針、誤算が多く、また、同原告は検針をする際、本来ならば検針を行うにとどまらず、需要家からの意見、要望等を聴取してその内容をサービス箋に記入し、これを関係課係に伝える業務をも担っていたにもかかわらず、検針を行った際には需要家に検針票を渡すのみで、意見等の聴取をせず、結果としてサービス箋の発行も少なかった。

② 原告山本は、他の検針員がやむを得ない事情により休務となった場合に、中核者になってからも、率先して応援検針を行おうとせず、他の従業員が応援配分を受けるのを待っているという態度で自己中心的な勤務振りであった。

③ 原告山本は、同四一年一二月中旬、高崎営業所検針係において、一般検針業務を含む業務の委託化についての打合せ会が開催された際、右委託化については被告会社本店及び東電労組本部間並びに被告会社群馬支店及び東電労組群馬支部間において、既に意見の一致を見ているにもかかわらず、右説明会を職場集会と取り違えたかのよに、前記委託化に異を唱え、被告会社の方針に対し非協力的であった。

④ 原告山本は、同四二年三月から四月にかけて行われた群馬県議会議員選挙の運動期間内に、検針のため訪問した需要家に対し、勤務時間中であるにもかかわらず、共産党公認候補うつの洋一のちらしを配っていた。

(3) 原告山本は、同四三年五月一日から同四八年三月三一日までの間、高崎営業所総務課経理係に勤務していたが、このうち、同四六年六月一八日から同四八年三月三一日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告山本は、倉出しの際に倉出集計表を記載し、現品台帳に記帳するに当たり、不注意による単純な記載漏れ、計算間違い等のミスが多かった。また、同原告は、清算方へ回付する倉出集計表の作成についても手抜きによるミスが度々あった。

② 原告山本は、倉出し作業等をするに当たり、ホイストやフォークリフトを運転する場合等には、安全靴、ヘルメット等を着用し、上衣の裾をズボンの中に入れる等、安全に適した服装をすることが義務付けられていたが、これを怠り、机仕事のときと同じ服装でフォークリフトの運転をするなどしていた。

③ 原告山本は、倉出しを行うには設計書をとった上で行うことが原則とされ、例外的に、「小作業箋」という仮の設計書をとるか、資材事務所内にある黒板にメモ書きした上での倉出しが認められることとなっているにもかかわらず、関電工の倉出し担当時、自分の担当でない直営工事担当者からの請求に対し、小作業箋もとらず、黒板にメモ書きもしないで、口約束だけで倉出しをするルーズな資材の無断貸出しをしたことがあった。

④ 原告山本は、同四七年秋、電線メーカーから直納便(藤井産業株式会社のトラック)で電線数束の受け取りをした際、納品書と納入品との照合を怠ったため、実際に受け取った電線の束が一つ足りないことに気付かないまま、納品書にサインしたことがあった。

⑤ 原告山本は、月一、二度の割合で、午後四時三〇分ころになると、勤務時間中であるにもかかわらず、上司に無断で営業所の当直者用風呂に入浴することがあった。

⑥ 原告山本は、大抵、始業時刻ぎりぎりに出社し、週に一、二度は五ないし六分程度の遅刻をしていた。

⑦ 原告山本は、資材倉庫の整理、清掃を率先してやろうとせず、先輩従業員上原が先に清掃を始めても知らぬ顔で事務室に残って読書をし、同人から大声で指図されてようやく清掃にとりかかっていた。

⑧ 原告山本は、手空き時間になっても居眠りをしているか、自分の興味のある語学、数学の本を読むなどして時間をつぶし、資材業務に関係する規程、基準等の勉強をしようとする姿勢に欠けていた。

(4) 原告山本は、同四八年四月一日から同五〇年三月二四日までの間、高崎営業所営業課営業係に勤務していたが、このうち、同四八年四月一日から同四九年一二月一六日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告山本は、週に一、二度の頻度で遅刻しており、毎朝始業時刻に当直者との間で行う引継ぎに対する責任感に欠ける態度であり、また、休暇取得に当たっても、前日の終業時刻間際に申し出ることが多く、当日の始業時刻を過ぎてから電話で申し出てくることもあった。

② 原告山本は、同四八年秋ころ、窓口で需要家から電気料金の支払を受けた際、需要家に対し、領収証(A片)と一緒に、会社側で保管すべき振込整理票(D片)を渡してしまい、それから一か月もたたないうちに、再度、同じミスを繰り返し、また、同年末に近いころ、電気料金を支払に訪れた需要家から現金五〇〇〇円を受け取らずに、釣銭を渡してしまうことがあり、さらに、窓口で収入となった電気料金の集計における単純ミスが多かった。

③ 原告山本は、電気供給規程、基準等の理解が不十分であり、これらを勉強しようとする意欲も欠けていたため、同四九年春ころ、小柱移設の申し込みのために窓口を訪れた需要家から、移設工事が有償か無償かを尋ねられて、基準によれば有償であるにもかかわらず、無償と答えてしまったため、主任岩井が需要家に謝罪しなければならなかったことがあった。

(5) 原告山本は、同五〇年三月二五日から同五一年九月三〇日までの間、藤岡営業所総務課に勤務していたが、このうち、同五〇年三月二五日から同年一一月三〇日までの間の勤務振りは、次のとおりである。

① 原告山本は、不注意のため倉入集計表や現品台帳の記載において、単純ミスを繰り返していた。

② 原告山本は、慎重さに欠けていたにもかかわらず、メモをとることをしなかったため、仕事をやり忘れたり、業務連絡をしないことが度々あり、同五〇年初夏、藤岡営業所から前橋営業所へ材料を届ける旨指示され、藤岡営業所から出掛けたところ、届けるべき材料を同営業所に忘れ、取りに戻ったことがあり、また、同年秋、同営業所から伊勢崎営業所へ材料を移出する際、主任岡田から材料を取りそろえておくよう指示されたにもかかわらず、指示された材料のいくつかが漏れていたことがあり、同じころ、大きめの自発工事の計画が遅れたとの連絡を受け、主任岡田に伝えるべきところ、これを忘れたことがあった。

③ 原告山本は、倉出しの際、相変わらず小作業箋等の必要書類がなくとも口約束だけでこれをやってしまうことがあった。

④ 原告山本は、同五〇年秋、高崎営業所から資材の特大アンカーの融通を求められた際、藤岡営業所に在庫がなかったため、その旨回答すればよいところ、依頼されたわけでもないのに太田営業所に問い合わせて右資材があることを確認した上、同営業所から藤岡営業所へ、更に同営業所から高崎営業所への移出入手続をとったことがあり、無駄な労力をかける仕事振りであった。

⑤ 原告山本は、手空き時間に業務に関係のある勉強をせず、趣味の英語や数学等の本を読んだり、無断で離席しており、また、勤務時間中に月に三、四回、一六時三〇分ころになると上司に無断で入浴していた。

⑥ 原告山本は、トランスを動かす作業をするときなどに、サンダルばきのままという規則に反する安全を考えない服装で作業に従事していた。

⑦ 原告山本は、定期便の入る日、旬間倉出しの日等、現品方の繁忙な日に、周囲の者の迷惑を考えずに休暇を取得することが多かった。

⑧ 原告山本は、月のうち半分くらいは始業時刻ぎりぎりに出社するか、五、六分程度の遅刻をし、時には一五分も遅れて出社することもあった。

四  抗弁(消滅時効)

1  賃金差別に基づく損害賠償請求について

(一) 被告会社は、本訴の提起より三年前に当たる昭和四八年一〇月一二日以前にも、原告らに対する賃金決定行為を行っていたが、同決定行為から起算して三年が経過した。

(二) 賃金差別に基づく損害賠償請求について、不法行為の要件である「行為」に該当するものは、被告会社の原告らに対する賃金支払行為ではなく、原告らについての賃金決定行為である。したがって、同日以前になされた賃金決定行為に基づく差額部分の損害賠償請求権は、時効により消滅した。

(三) 仮に、被告会社が違法な賃金決定行為を行ったとしても、三年の経過で消滅時効にかかる以上、時効完成時以降においては、当該差額部分を不法行為における損害として観念することができなくなり、右決定行為で決せられた賃金額を基礎として、次の違法な賃金決定行為で新たに上乗せされる部分について、他の従業員との差額を損害として観念しうるにとどまる結果となるのであるから、同四八年以前の累積差額は、損害額には当たらない。

2  人権侵害行為に基づく損害賠償請求について

被告会社の行ったとされる各人権侵害行為について、原告安藤の同四九年三月の社宅入居拒否、同五八年春の研修からの排除、原告兼松の同五二年五月の受講排除、同五四年四月の特種無線講習会への参加排除を除く各行為から起算してそれぞれ三年が経過した。

3  時効の援用

被告会社は、原告らに対し、同五四年九月一三日の本件口頭弁論期日において、右各損害賠償請求権の消滅時効を援用する旨の意思表示をした。

五  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)は認めるが、同1(二)及び(三)は争う。

2  同2は認める。

六  消滅時効の抗弁に対する原告の反論

被告会社が原告らに対して行ってきた賃金差別及び人権侵害行為は、単一の不法行為意思に基づく継続的不法行為である。すなわち、右不法行為は被告会社の反共労務政策という基本方針に基づいて、共産党員又はその支持者と認定された原告らに対し、その集団を対象として、単一の差別意思の発現としてなされた継続的な加害行為であるところ、継続的不法行為に基づく損害は、加害行為がやんで初めて損害の総体が明らかになるものであり、そして、被告会社は未だに加害行為をやめていないのであるら、時効は進行を開始していない。

七  再抗弁(権利の濫用)

1  被告会社の加害行為はすべて故意による行為であり、被告会社は、加害行為が開始された時点から、損害の発生について熟知していた。

2  被告会社は、原告らとの雇用関係において、圧倒的に優位な立場にあるばかりでなく、企業別労働組合である東電労組にも、本件加害行為について、必要な協力を得られる関係を保っており、原告らと被告間の力の優劣は明白であった。

3  原告らは、右のような状況の下で、被告会社に対し、まず、処遇、昇級等についての問いただし及び苦情処理の申立て等を行い、本件不法行為をやめるよう要求して努力を重ねたが、被告会社が、これらの要求を退けたため、原告らは、やむなく困難な状況の中で、被告会社の不法行為とこれによる損害を立証するために必要な資料を集め、ようやく本訴の提起を実現したものであり、原告らは、権利の上に眠ったことは瞬時もない。

4  以上の経過に照らせば、被告会社による消滅時効の援用は、権利の濫用であり、許されないというべきである。

八  再抗弁に対する認否

再抗弁1ないし3はいずれも否認し、同4は争う。

理由

第一請求の原因事実の特定について

一不法行為に基づく損害賠償請求においては、原告が被侵害権利を特定すべきものである。

ところで、本件訴訟における原告らの主張は、次のとおり要約することができる。

「原告らは、被告会社と雇用契約を締結しており、被告会社としては、雇用した原告ら従業員に対し、その能力及び勤務状況に相応する賃金を支払うべき義務があり、したがって、原告らは、被告会社から、これらに相応する賃金を受ける権利を有しているところ、実際に支払われた賃金の額は、その一部に相当する額にとどまっているので、被告会社は、その差額分につき原告らの賃金債権に対する侵害行為を行い、かつ、原告らに不当配転、賃金差別、転向強要その他の人権侵害行為を行い、原告らに精神的苦痛を被らせた。」

そうすると、原告らの本訴請求の原因事実において、被侵害権利としては、賃金債権、人格権であることの特定がされているというべきであるから、本訴請求は、適法であると解するのが相当である。

二抽象的要件事実については、これに該当する具体的事実が主張、証明責任の対象たる主要事実であると解するのが相当である。

ところで、本訴請求における原告らの「職務遂行能力」については、審理並びに防御及び反証の対象が相当程度絞り込まれる上に、これを主張する当事者にとっては、原告らの各職務分担に応じ、その内容を具体的かつ詳細に証明することが容易であり、不意打ちのおそれも生じないと考えられる。

よって、原告らとしては、各自が「標準以上の職務遂行能力を有する。」と主張すれば、最小限主張責任において充足されており、そして、各原告が、平均的処遇を受けている従業員と比較して、少なくとも、これと同等以上の職務遂行能力を有し、業務上それを発揮して勤務成績を挙げていたことの具体的内容は、立証の段階で明らかになれば十分と解するのが相当である。

三原告らは、被告会社の個々の賃金支払行為にそれぞれ対応する極端な差別的職級任用及び人事考課が加害行為である旨主張しているから、この程度の主張がされていれば、被告会社の給与体系上その時期、内容が明らかになるので、加害行為の特定はされていると解するのが相当である。

四原告らは、被告会社が共産党員又はその指示者に対する排除ないしは放逐する意思が存在することを前提として、被告会社が、原告らに財産上の損害及び精神的苦痛の結果を発生させる意思が存在した旨主張していると解釈しうるから、原告らの主張において権利侵害の意思が特定されていると解するのが相当である。

第二請求の原因について

一請求の原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二<書証番号略>、原告青木本人尋問の結果(第二回)及び<書証番号略>、原告安藤本人尋問の結果及び<書証番号略>、原告飯田本人尋問の結果(第二回)及び<書証番号略>、原告市川本人尋問の結果及び<書証番号略>、原告兼松本人尋問の結果及び<書証番号略>、原告倉賀野本人尋問の結果及び<書証番号略>、原告桑原本人尋問の結果及び<書証番号略>、原告田村本人尋問の結果及び<書証番号略>、原告千綿本人尋問の結果及び<書証番号略>、原告富所正義本人尋問の結果及び<書証番号略>、原告富所陽子本人尋問の結果及び<書証番号略>、原告橋本本人尋問の結果及び<書証番号略>、原告福井本人尋問の結果及び<書証番号略>、原告本木茂本人尋問の結果及び<書証番号略>、原告本木八千代本人尋問の結果及び<書証番号略>、原告山本本人尋問の結果及び<書証番号略>を総合すれば、請求の原因2の各事実を認めることができる。

三そこで、請求の原因3の事実について検討する。

1  被告会社の労務政策一般について

<書証番号略>、証人寺尾一夫の証言及び<書証番号略>、証人後藤和夫の証言及び<書証番号略>並びに証人佐藤紀男の証言を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  被告会社代表者ら幹部は、昭和二六年五月の被告会社設立当時から、同二二、三年ころにおいて活発な労働運動を繰り広げていた日本電気産業労働組合(いわゆる電産)に見られたような階級闘争主義的活動を好ましく思わず、企業防衛の見地からは、むしろ、労使協調路線が望ましいと考えていたので、被告会社内に左翼的活動の動きが現われることについて懸念を抱き、会社内部においては個々の従業員の思想傾向を把握してその左傾化防止に努め、また東電労組に対してもその穏健化に努めてきた。

(二)  被告会社は、具体的には、次のような政策を行ってきた。

(1)  被告会社は、従業員の採用時に思想調査を行い、同四三年ころまでは、新規採用従業員から「共産党あるいはその同調者と判明したときは採用を取り消されても異議なきこと」との記載が含まれている請書を提出させており、また、被告会社内の労務担当部課において発行する労務資料に、学者及び評論家等による共産主義の批判的解説、共産党の現状あるいはその展望に関する批判的資料、共産党の指導下にあるとされる民青、新日本婦人の会、労音、労演等の諸組織に関する批判的解説等を掲載すると同時に、従業員に対する研修の一環として、共産主義批判を内容とする講演等を開催し、時には、警察署を通じて、従業員の思想傾向を把握した上、左翼的思想を持つ従業員に対し、穏健的思想への転向を促すための工作を行うなどし、それにもかかわらず左翼的思想を抱き続ける従業員に対しては、人事考課において低い査定を行うことで対処してきたものであり、また、支店長会議、研修等を通じて、労務管理を担当している各支店及び各営業所の課長、主任らの職制に対し、左翼的勢力を抑制する対策を講じるよう、徹底した指示を行っていた。

(2)  被告会社は、東電労組に対し、執行委員等の役員を把握する等の手段によって、各支部、分会の活動傾向を分析して、その対策に考慮を払い、さらに、支店長会議等を通じて、被告会社の職制に対し、組合をよきパートナーとならしめ、組合の穏健化に努めるよう指示し、徹底して、被告会社内に左翼的勢力が伸長するのを抑制するよう図ってきた。

(三) 一方、かつて左翼的傾向に走りつつあった東電労組内部においても、被告会社の意向を受け、左翼的傾向の活動方針に異を唱える動きが現われ、穏健的活動に徹し、労組協調路線を是とする集団が形成され、やがて、これら穏健派が多数を占めるまでに至った。

2  被告会社群馬支店における労務政策について

(一) <書証番号略>、証人豊島秀次の証言、原告青木本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 被告会社群馬支店においては、同四〇年三月一七日、労務情報連絡に関する会議が開催され、小川労務課長、各営業所総務課長らが出席した。

(2) 東電労組群馬支部内における青年婦人部の活動については、その思想、行動傾向が急進的、左翼的であるために、被告会社の職制のみならず、穏健的立場をとる東電労組群馬支部でも困っていたところ、右会議の席上、前日である同月一六日、東電労組群馬支部執行委員会が青年婦人部の活動停止を決定したことを群馬支店は好意をもって見守るとの態度をとることが表明され、また、新たに労組内に左翼的な動きが生じることのないよう、労組の各分会と連携をとることが指示された。

(3) さらに、右会議において、参議院選挙に民社党から立候補した片山武夫元東電労組執行委員長を当選させることが、会社として至上命令的であり、支援を要請する旨の話があった。

(二) <書証番号略>、証人神久清及び同豊島秀次の各証言、原告青木本人尋問の結果(第一回)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 被告会社群馬支店においては、同四一年一二月一六日、総務課長会議が開催され、浅野勲労務課長、吉倉丈一労務課労務係長ほか労務担当の職制らが出席した。

(2) 右会議の席上、労務課長から左翼的活動家に関する報告及び指示があり、その内容は、次のとおりであった。

① 共産党員又はその指示者の中から、五名以上の思想転向者が出始めており、これは、各営業所長、各課長及び東電労組分会等の協力の成果であると思われる。

② 思想転向工作が表面化すると、職制のみならず労組も困るので、左翼思想者に転向を勧める際には、一対一で、それも密室で行い、証拠書類は残さないようにすること。もし証拠が残ると、他所でもその影響が出てしまうので注意してもらいたい。転向を承諾させたら、できれば誓約書を書かせ、受け取っておくことが望ましい。

③ 左翼思想者に事故、すなわち何か不都合といえる事態が生じた場合には、直ちに群馬支店労務課まで報告してもらいたい。思想者に転向を勧めるには、とにかくそのチャンスをとらえることが必要である。

(3) また、右会議では、中堅クラスの従業員の中に、上位職者の命令を受ける自覚の少ない者がおり、上意下達に支障が生じている例が紹介され、その対策について、異動時に考慮すべしとの発言があったが、それに続いて、思想者についても同程度の交換異動を考慮すべきである旨の発言がされた。

(4) さらに、右会議の席上、出席者から、同盟の結成等国内の労働情勢、共産党の現状及び動向についての報告がされ、次いで、若年層対策についての説明があった際、不満を持つ若年層が民青に流れやすいとの話があった。

(三) <書証番号略>、証人豊島秀次の証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 被告会社群馬支店においては、同四三年二月一四日、管理者研修会が開催され、群馬地方公安調査局長石川勝二を講師に招き、同支店の課長以上の役職者、各営業所長及び総務課長、各現業所長、事務課長が出席した。

(2) 同研修会は、七〇年対策の一環として行われたもので、研修内容は、「管理者全員が民青対策につき意思統一せよ」というものであり、講師から、具体的対策として、次のとおり説明があった。

① 民青同盟員からは、昇級昇格について苦情が申し立てられることが多いが、職制がその応対に当たった際のやりとりについて、メモをとられることがあるので注意すべきである。

② 職制が対応する際には、話す内容は核心にふれず、大きな問題、つまり相手の勤務振りが劣悪であるからこそ昇級昇進がままならないということのみにとどめるべきであって、言質を取られることのないように注意すべきである。

(3) 次いで、労務課長から、民青同盟員からの苦情の応対に際しては、相手方は一人に絞るようにすること、二人以上が相手となると、他の者が証人的役割を果たし、話された内容についての立証性が高くなってしまうからとの指示があった。

(四) <書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

被告会社群馬支店においては、同四三年九月一一日、新労務課長のあいさつを兼ねた懇談会があったが、同課長から、民青の動向と企業に対する影響についての説明があり、同四五年(一九七〇年)に日米安全保障条約改定(いわゆる七〇年安保改定)を控え、これに対する民青の活動が予想されるところ、場合によっては同年より前に活動の山が来る可能性もあるので、被告会社の供給に支障を生じることを防止し、足元をすくわれることのないよう対策を講じる必要がある旨の話がなされた。

(五) <書証番号略>、証人田部井隆司の証言及び<書証番号略>、同豊島秀次の証言並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 被告会社群馬支店においては、同四三年九月二四日、総務、事務課長会議が開催され、野沢事務次長、田部井隆司労務課労務係長、各営業所総務課長及び各現業所事務課長らが出席した。

(2) 同会議では、七〇年安保改定を控えて若年層対策をいかにすべきか(いわゆる七〇年対策)について話し合われ、まず、野沢次長から、学生運動等若年層の実態について説明があった後、若年層に対しては、企業活動に参加させ、参加意識を持たせることが必要であるとの説明がなされた。

次いで、従業員の下宿、独身寮の管理について話し合われたが、その際、次のような発言があった。

① 従業員の下宿に民青同盟員が集まっているらしい。

② 独身寮の一つである羽根尾寮が改築中であるところ、将来、入寮させる者としては、若年層対策の一環により思想者は避けるのが望ましい。

③ 独身寮内に、民青同盟員及びその同調者がないわけではない。

(六)(1) 証人豊島秀次は、<書証番号略>は同人が出席した会議の資料であり、同会議は被告会社の管理職を対象にしたものであったと思われるが、会社外の会議であったような気がする旨証言している。

右証人の証言はその内容においてあいまいさを残していると言わざるを得ない反面、<書証番号略>によれば、労務管理に精通していたと認められる豊島秀次が、被告会社外で開催された労務管理に関する会議に出席することもあり得ないこととはいえず、仮にそのような場合の会議資料であれば被告会社以外の者によって作成されることも十分考えられる。したがって、証人豊島秀次の証言により<書証番号略>の印刷部分が被告会社により作成されたと認めることは難しい。また、その余の証拠を検討しても、同部分が被告会社の作成にかかると認めるに足りる証拠はない。

もっとも、原告青木は、本人尋問(第一回)において、被告代理人から、<書証番号略>は外部で配布されたものではないかとの質問に対し、そうは思わない旨供述するが、その根拠については必ずしも明確に述べておらず、結局、同本人の供述によっても右部分につき被告会社が作成したと認めることはできない。

(2) しかし、<書証番号略>、証人豊島秀次の証言及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

豊島秀次は、富岡営業所総務課長在職当時の同四三年ころ、群馬県内の某所で行われた労務管理に関する会議に参加し、共産党及び民青の実態並びにその対策についての講話を傍聴した。そこで話された民青対策は、おおねむ次のとおりであった。

① 全管理者が意思を統一し、民青の何たるかを従業員に知らしめる必要があり、採用内定者に対しても、民青の問題点についてPRをすべきである。

② 民青は、若年層を引き付ける手段として、様々な文化、スポーツ活動等を行っているが、企業としては、民青の活動を上回るものを行い、若年層が民青の活動に参加することのないようにする必要がある。

③ 民青に加入する者は欲求不満が多く、そのような者を民青から脱退させるには親切な指導が必要であり、しかも、加盟から一ないし二年目程度の者ならば脱落しやすい。

④ 一方、根底まで民青の思想に同調していて思想転向に乗ってくる可能性の薄い者に対しては、経度の企業規則違反に対しても断固たる措置をとり、始末書を取るなどして違反内容を記録しておくことが望ましい。

⑤ 友人、保護者、保証人を選んで、転向を促す方法もある。

⑥ 民青加盟者の異動については、他の従業員への影響を考慮する必要があり、そのような影響を少ない段階に留めうる所へ異動させることが望ましい。

(七) <書証番号略>、証人豊島秀次の証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 被告会社群馬支店においては、同四四年二月五日、県内の労働情勢についてと題する管理職研修会の開催が計画され、実際には同月七日、群馬県警察本部警備部管理官太田一男を講師に招いて右研修会が開催された。出席者は、高木支店労務課長、田部井労務係長、支店主任、各営業所係長及び現場長らであった。

(2) 同研修会も七〇年対策の一環として行われたもので、警察からの見地で治安問題、企業防衛等の講演があり、今後の労務管理に資することを目的としていた。

講師から、冒頭に、「平素何かと御支援いただいている。今後もよろしく。」とのあいさつがあり、最後に、「警備係が伺うことがあるが、御理解御協力いただきたい。」との発言があった。

(八) <書証番号略>、証人豊島秀次の証言並びに原告青木本人尋問の結果(第一回)を総合すれば、次の事実が認められる。

被告会社群馬支店においては、同四四年二月二六日、労務管理研修会が開催され、被告会社本店労務部連絡担当課長浅野勲を講師に招き、同支店及びその管内営業所の各課長ら職制が出席して、最近の職場における問題点として、七〇年問題を中心に労務管理のあり方が話し合われた。その際、

(1) 民青に加盟している従業員の結婚式に、被告会社の職制が出席することの是非については、共産党や民青が冠婚葬祭の場を党員の拡大のために利用している現状が明らかにされ、また、祝辞の中に、被告会社をひぼうする内容が見られることもあり、このような現状からすればなるべく出席を差し控えたほうがよいとの意見があった一方で、右浅野から、出席することにより、共産党及び民青への同調者を把握することができることから、出席したほうがよい場合もあろうとの発言があった。

(2) 従業員の思想把握の目的で、警察に情報収集のための調査を依頼することの是非については、右浅野から、同四三年一二月一五日に開催された元被告会社従業員で左翼活動家の竹中幹の追悼集会への出席者について、警察を通じて把握したことを実例として挙げた上で、これを肯定する発言があった。

(九) <書証番号略>、証人柏原秀夫の証言(第一回)及び<書証番号略>並びに証人草間佳一の証言を総合すれば、同四八年一月二〇日当時における被告会社渋川現業所佐久発電所長石井国三が、共産党又はその支持者である従業員は企業活動に支障を及ぼすとの懸念から、共産党支持者である従業員草間佳一に関し、同日付け人事調書において、転勤可否欄に、「優秀ではあるが、支持政党に問題。」と記載した事実が認められる。

(一〇) 以上の事実に加え、<書証番号略>、証人神久清の証言及び<書証番号略>、証人柏原秀夫の証言(第一回)及び<書証番号略>、原告青木本人尋問の結果(第一回)及び<書証番号略>を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1)  被告会社本店から、前記のような労務管理に関する指示が出されていた結果、群馬支店においても、労使関係については協調路線が望ましいとの考えから、共産党勢力を支店管内から排除すべく、冠婚葬祭への出席者を把握することや、時には警察署から情報の提供を受けることによって、従業員の思想を調査し、共産党又はその指示者と目される従業員に対しては、職制を通じて絶えず転向を勧めるなどの工作が行われていた。

(2)  職制の研修会では、左翼的勢力の動向についての説明がされると同時に、左翼的勢力への対策について綿密に話し合われ、具体的にどのようにして転向工作を勧め、また、右工作が左翼的勢力に発覚するのを防止するかといった点に関する指示がされていた。

(3)  左翼思想に染まった従業員の処遇についても、独身寮への入寮は差し控えたほうが無難であり、また、異動の際には他の従業員に影響を及ぼさない部署へ移すことが望ましいといった趣旨の話がされていた。

(4)  同支店労務課においては、東電労組群馬支部の状況、とりわけ執行委員等組合役員の構成について、各営業所長等の職制を通じて情報の収集に努めていた。

3  しかし、請求の原因3(一)及び(二)の事実のうち、被告会社が、会社の思うままになる労働者づくりを目指していたこと、被告会社全体として、組合役員選挙における共産党及びその支持者の立候補者への妨害活動等の干渉を行ったこと、被告会社がインフォーマル・グループを組織させたこと、被告会社として立候補予定者らに圧力をかけるなど選挙活動の妨害を行ったこと及び研修の受講における差別を行っていた事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

4  請求の原因3(三)の事実について検討する。

(一) 原告らに対する左翼的活動家としての認定について

(1) <書証番号略>、証人吉倉丈一の証言並びに<書証番号略>を総合すれば、<書証番号略>を直接記載したのは、昭和四一年八月八日当時、被告会社群馬支店労務課労務係長であった吉倉丈一であると認められる。

会社の従業員が、会社の職務を遂行するに際し、職務に関連して書面を作成する権限を与えられていた場合、右従業員が当該権限に基づいて作成した書面は、原則として、会社の作成した書面といえる。

右吉倉は、前記のとおり、被告会社群馬支店労務課労務係長であり、同支店管内の労務関係の職務に従事していたと認められるところ、証人吉倉丈一は、<書証番号略>について、労務係長の職務遂行上作成した旨証言していること、その文書は「当店における左翼グループの現状」と題し、日付及び労務課と表示され、かつ、欄外に「厳秘」と記載されていることからすれば、これらの文書は、被告会社が作成したものと認めるのが相当である。

もっとも、同証人は、被告代理人からの反対尋問の際、右各文書を作成するに当たっては、労務課長の指示を仰いではおらず、独自の判断で作成したものであると証言しており、さらに、右各文書の作成動機について、企業防衛の見地から左翼勢力の活動状況を的確に把握する必要があると判断したことによると証言している。しかし、前記のとおり、被告会社が左翼的勢力に警戒を払っていた理由は正に企業防衛にあたると認められることに照らせば、右証言部分を考慮しても、右各文書が被告会社の作成にかかるものであるとの認定は覆るものではない。

(2) <書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、被告会社群馬支店は、その後、原告倉賀野が転向したものと判断し、右「当店における左翼グループの現状」中の同原告の氏名を横線で抹消したことが認められる。

(3) 右各文書に加え、既に認定したように、原告らがいずれも共産党員又はその支持者であって、様々な活動を行っていた事実並びに被告会社が、社内に左翼的勢力が根付くのをおそれ、その抑制を図るべく、個々の従業員について思想及び活動状況を調査していた事実を総合考慮すれば、被告会社は、被告会社群馬支店管内の原告一六名のうち山本幾猛を除く一五名の従業員について、右各文書作成時の同四一年八月八日の時点で既に共産党員又はその支持者と認定していたこと、被告会社は、原告倉賀野について、その後一旦、左翼活動から離れたと認定したことが認められる。

(二)(1) 原告倉賀野に対する再度の左翼的活動者としての認定について検討するに、<書証番号略>及び原告倉賀野本人尋問の結果を総合すれば、同原告は、同四三年七月における参議院議員選挙の際、共産党公認候補二名(全国区及び地方区各一名)を応援する活動を行った事実が認められるところ、前述したとおり、被告会社は労務政策において様々な左翼的勢力の抑制対策を講じ、情報収集に努めていた事実、そして、とりわけ選挙応援活動は人に対するアピールを伴い、人目に付きやすい活動である事実に照らせば、被告会社は、遅くとも同年七月ころには、同原告について、再度共産党員又はその支持者と認定していたことが推認される。

(2) 原告山本に対する左翼的活動者としての認定について検討するに、<書証番号略>、証人高橋茂美の証言及び<書証番号略>並びに原告山本本人尋問の結果を総合すれば、同原告は、同四二年四月における群馬県議会議員選挙の際、共産党公認候補うつの洋一を応援する活動を行ったこと、それに伴い、群馬支店料金課長春山茂吉が、同原告の上司であった同課検針係主任高橋茂美に対し、同原告が選挙ビラを配布している件について注意するよう申し入れたことが認められるところ、前記被告会社の労務政策及び選挙に対する関心を考慮すれば、被告会社は、遅くとも同年四月ころには、同原告について、共産党員又はその支持者と認定していたことが認められる。

(三) 以上によれば、被告会社は、遅くとも原告倉賀野については同四三年七月ころ、原告山本については同四二年四月ころ、その余の原告一四名については同四一年八月八日ころまでには、いずれも共産党員又はその支持者と認定していたものである。

四1  <書証番号略>、証人大橋誠の証言及び<書証番号略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、請求の原因4(一)(1)ないし(3)の各事実を認めることができる。

2  <書証番号略>、証人佐藤紀男の証言及び<書証番号略>を総合すれば、請求の原因4(二)(1)①及び②の各事実を認めることができる。

3  請求の原因4(二)の(2)の事実について検討するに、<書証番号略>及び証人佐藤紀男の証言によれば、被告会社における一般職の業績評定の項目は、次のとおりであることが認められる。

(一) 仕事の質

(1) 業務(作業)の成果は正確かつ妥当であったか。

(2) 創意工夫を発揮したか。

(二) 仕事の量

(1) 所定の仕事量を処理したか。

(2) 期日、期間は守ったか。

(三) 管理

下位職者の指導や情報の伝達は十分であったか。

(四) 執務態度

(1) 仕事に熱意を持ち積極的にやったか。

(2) 責任感を持ってやったか。

(3) 関係者と協調したか。

(4) 職場規律を守ったか。

(五) その他

(1) 安全に十分注意したか。

(2) 地域との協調に貢献したか。

五原告各自の職務遂行能力及び業績(前項3参照)並びに被告会社による差別査定の有無について

1  原告青木について

(一) 証人菊池栄二の証言及び<書証番号略>、証人高橋貞夫の証言及び<書証番号略>、証人田部井隆司の証言及び前掲<書証番号略>には、被告の主張3(一)に沿うような事実及び原告青木の提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>、証人神久明子の証言及び<書証番号略>、原告青木本人尋問の結果(第二回)及び<書証番号略>には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人菊池、同高橋及び同田部井の各供述は、いずれもあいまいな点が少なくない上に、原告青木に有利な点をあえてふせていると認められ、また、前掲<書証番号略>もその内容において客観性を欠く点があることがうかがわれる。

(二)(1) そこで、原告青木の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告青木本人尋問の結果(第二回)及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告青木は、東電労組において、昭和三四年に藤岡分会執行委員、同三五年に群馬支部大会代議員等を歴任するなど、組合活動に奔走しており、他方、被告会社外において、同四七年に日本共産党電力後援会群馬県会長を勤めるなど、政治的活動にも精力的に参加していた事実が認められる。

原告青木のこのような組合活動状況及び政治的活動状況に加え、弁論の全趣旨により原告青木が日ごろ労働者の権利の向上を盛んに強調していた事実が認められることに照らせば、原告青木は、日常の仕事は特段問題なく処理していたとしても、自己の本来の職務外の仕事については、自ずから回避せざるを得ない状況に至ったこと、それがひいては、周囲の従業員に対し非協力的な態度となって現われたことも十分考えられ、また、勤務時間内における前記諸活動に関する私用の長電話も多かったことが推認される。

自己の本来の職務外の仕事を拒否することは、雇用契約上、必ずしも非難されるべきことではないが、これを拒否することにより、他の従業員にその分負担がかかるのであり、これに対処するため、別の形で他の従業員に協力する態度が会社組織の従業員に求められるべきところ、原告青木については、証拠上、このような協力的態度を講じ、自己の職務外の仕事をしなかった埋め合わせをしていたとの事実を認めることは困難であり、したがって、他の従業員との強調性及び仕事の処理量の点において問題があったことが認められる。

(2) また、原告青木は、本人尋問(第二回)において、勤務時間中に仕事と関係のない読書をしていた事実を認めつつ、他の従業員も勤務時間中に釣り具の手入れ等を行っていた旨供述しているが、他の従業員の行動がどのようなものであっても、勤務時間中に読書をすることは、それが仕事と関係のないものである限り、職場規律上問題のある行動といわざるを得ない。

(3) さらに、前掲<書証番号略>によれば、原告青木が、同三五年ころ、料金業務の機械化及び支店集中化に絡んで職場内に不安をあおる言動をとっていた事実が認められるが、弁論の全趣旨によれば、原告青木が、業務の合理化については労働強化につながるとの考えから一貫してこれに反対していた事実が認められ、このことに照らせば、原告青木の前記の言動をもって「事実をわい曲した発言」をしたとはいえないまでも、原告青木は、被告会社の施策方針に異を唱え、既に労使間において妥結に至った事項についてまで、納得することなく、抵抗を続けていたことは明らかである。

(4) 他方、原告青木の遅刻、意欲欠如と受け取られかねない態度、集計ミス、突発休暇といった事実は、右証人菊池、同高橋、同田部井の各供述及び前掲<書証番号略>において記述されているほどではなかったにせよ、弁論の全趣旨によれば、多少の事実はあったことが認められ、また、服装の乱れ、整理の不行き届きなどは、多分に主観の絡む問題であるが、前掲各証拠によれば、原告青木は、作業服着用を怠ったことがあったことも認められる。

(三)(1) 一方、原告青木の勤務上他の従業員より優れていた点について、証拠上認定し得るものは、特段見当らないといわざるを得ない。

(2) もっとも、前掲<書証番号略>及び証人神久明子の証言中には、原告青木の職務遂行能力が優れている旨述べられている部分もあるが、そのうち、原告青木の上司が原告青木の能力につき特別に高い評価を与えていたとの点は、前記認定の事実に照らすと、かえって唐突な感があり、また、原告青木が群馬支店の主任会議に代理出席していたとの点は、前掲<書証番号略>に照らすと、これを認定するのは難しい。

(四)(1)  以上によれば、原告青木の勤務振りは、特に優れた点が見当らない反面、執務態度や仕事の量の点で問題があったものであるから、原告青木の職務遂行能力及び業績は同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることはできない。

(2)  しかし、原告青木は、右のような問題点を有しながらも一応の仕事処理を果たしてきたことも認めることができ、原告青木の職務遂行の状況と同原告に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)とを対比すれば、原告青木に実際に支払われた賃金は、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、同原告の職務遂行能力及び業績に比して、相当低額であると認められる。

そこで、実際の賃金が低額である理由について検討するに、前記のとおり、被告会社は左翼的精力を抑制する労務政策を採っていた上、原告青木につき、共産党員又はその支持者であると認定していた事実が認められることに加えて、被告会社から、共産党員又はその支持者であると認定されている従業員で、同期同学歴者の平均以上の職級任用、人事査定を受けている従業員の存在が、証拠上うかがわれないこと、原告青木につき、前記認定の問題点以外に、低賃金に据え置かれている理由となりうる特段の事情が証拠上認められないことに照らせば、被告会社は、原告青木に対する業務査定を行うに際し、主として同原告の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

2  原告安藤について

(一) 証人角田茂治の証言(第一回)及び<書証番号略>、証人西村夙正の証言及び<書証番号略>、証人藤井要の証言及び<書証番号略>には、被告の主張3(二)に沿うような事実及び原告安藤の提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>、原告安藤本人尋問の結果及び<書証番号略>には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるところ、右証人三名の各供述は抽象的であったり、原告安藤に不利な心証を抱かせようとするものであることが認められ、客観性に疑問があるといわざるを得ず、また、前掲<書証番号略>もその内容において客観性を欠く点があることがうかがわれる。

しかし、右<書証番号略>及び右各証人の証言が内容においてほぼ共通しているのは、原告安藤の動作が悠長であるという特徴であるところ、この点をあえて大げさに供述していると思料される証拠も一部に見られるが、原告安藤の態度の一面を表わしているものであると認められる。

(二)(1) そこで、原告安藤の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告安藤本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告安藤は、東電労組支店分会、支部青年婦人部委員を歴任し、同四一年四月の支部代議員選挙及び同四二年四月の分会代議員選挙に立候補して後者の当選を果たした後、反戦運動に尽力し、また、被告会社外でも同三八年二月に民青に加入した後、労働運動のための学習会等に参加するなど、会社の内外を問わず、労働者の地位向上、平和運動等の活動に参加していた事実が認められる。

原告安藤のこれらの活動状況及び弁論の全趣旨によれば、原告安藤は、周囲への協力態度に欠ける点があり、また、時間外勤務についても回避する傾向が高かったと認められる。

(2) 前記のとおり、原告安藤は動作が悠長であったことに(一)掲記の各証拠を総合すれば、原告安藤は、宿直引き継ぎ、書類提出等が遅れ気味であった上、頻繁に遅刻し、仕事の処理量も他の従業員より少なめであったこと及び突然休暇を取得することも少なくなかったことが認められる。

(三)(1) 一方、原告安藤の勤務上他の従業員より優れていた点について、証拠上認定し得るものは、特段見当らないといわざるを得ない。

(2) 証人小林太一の証言(第一回)及び<書証番号略>によれば、原告安藤が、同三九年又は同四〇年ころ、通信線の故障箇所を的確に指摘した事実及び研修の際に熱心にノートをとっていた事実が認められるが、これらはいずれも、被告会社の従業員として当然のことをしたまでであり、取り立てて高く評価すべきものとはいえない。

(3) さらに、<書証番号略>によれば、原告安藤は、電話級アマチュア無線技士、電気工事士等の様々な資格を取得している事実が認められるが、これらは、原告安藤の携わっている業務内容に照らすと、やはり取り立てて高く評価するほどのこととはいえない。

(四)(1)  以上によれば、原告安藤の勤務振りは、特に優れた点が見当らない反面、執務態度や仕事の量の点で問題があったものであるから、原告安藤の職務遂行能力及び業績は同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることはできない。

(2)  しかし、原告安藤についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告安藤に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告安藤に対する業務査定を行うに際し、主として原告安藤の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

3  原告飯田について

(一) 証人松本一男の証言及び<書証番号略>、証人岡田明の証言及び<書証番号略>、証人杉本喜八の証言及び<書証番号略>、証人角田茂治の証言(第二回)及び<書証番号略>には、被告の主張3(三)に沿うような事実及び原告飯田の提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が在するのに対し、前掲<書証番号略>、証人小林太一の証言(第二回)及び<書証番号略>、原告飯田本人尋問の結果(第二回)及び<書証番号略>には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人松本、同岡田、同杉本及び同角田の各供述はいずれも具体性を欠いている部分が多く、あるいはあいまいさがあることが認められ、また、前掲<書証番号略>もその内容において客観性を欠く点があることがうかがわれる。

(二)(1) そこで、原告飯田の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告飯田本人尋問の結果(第二回)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告飯田は、東電労組において、同三七年に群馬支店分会大会代議員、同三八年に群馬支部大会代議員、同三九年四月に同支店分会大会代議員を勤め、同三八年度及び同三九年度の群馬支店分会青年婦人部長を勤めるなど、積極的に労組活動に取り組み、被告会社外において、同三八年六月に原子力潜水艦寄港反対横須賀集会に参加するなど、平和運動に積極的に取り組むとともに、同四二年ころから公職選挙の際には共産党公認候補への支持を訴える活動を行うなど、労働者の地位向上、平和運動等の活動に尽力していた事実が認められる上に、前掲<書証番号略>によれば、原告飯田は、同四七年ころから通常午後五時になると、保育園に預けている長男を迎えに行っていた事実が認められ、これらの事実及び弁論の全趣旨によれば、原告飯田は、時間外勤務を拒否したり、自己の職務外の仕事を拒否するなどの行動があったと認められる。

もっとも、<書証番号略>によれば、原告飯田は、同四八年四月に合計三四時間の時間外勤務を行ったことが認められるが、それは、証人岡田明の証言によれば、被告会社群馬支店は、同四八年四月から、従前の通信所を廃止し、新たに工務所体制を発足させたので、これに関する業務が多忙を極め、原告飯田にも時間外勤務をしてもらったことが認められるので、右事実をもって前記認定を動かすことはできない。そして、弁論の全趣旨によれば、原告飯田の期限のせまった報告等の職務について他の従業員の応援を頼まざるを得なかったことがあったと認められ、仕事の処理量及び協調性の点で問題があったことは明らかである。

(2) 原告飯田が受けたけん責処分の点については、被告会社の労務政策に照らせば、思想を理由とする側面があったものと推認できないではないが、弁論の全趣旨によれば、川面次男に対する被告会社の処分には、同人の行動に軽率な点があったことが認められ、原告飯田が、その点を考慮せずに、処分の不当性のみを取り上げられたとすれば、被告会社の従業員として求められる執務態度にもとるものといわざるを得ない。

(3) 前記原告飯田の社会活動及び保育園への送迎といった事実及び弁論の全趣旨によれば、原告飯田については、遅刻及び突発休暇も通常の従業員よりは多かったと認められ、仕事上のミスについても、前掲<書証番号略>の記述及び証人松本一男の供述には誇張が見られる反面、前提<書証番号略>における原告飯田の反論はある程度のミスがあったことを前提としていることからすれば、多少のミスはあったものと認めざるを得ない。

なお、証人岡田明、同角田茂治(第二回)の各証言によれば、原告飯田は、仕事上の関係者に赤旗の購読を勧めたことが認められるが、それが強要にわたるものであると認めるに足りる証拠はない。

(三)(1) 一方、原告飯田の勤務上他の従業員より優れていた点について検討するに、<書証番号略>、証人小林太一の証言(第二回)及び原告飯田本人尋問の結果(第二回)を総合すれば、原告飯田は、作業関係の基準、要項及び要領等の取りまとめ、作成に度々関与していたことが認められるところ、前掲<書証番号略>、証人小林太一の証言(第二回)、原告飯田本人尋問の結果(第二回)並びに<書証番号略>並びに証人松本一男の証言を総合すれば、原告飯田は、詳細にメモをとり、日記類を記載するなど、几帳面な性格を有していることが認められる上に、原告飯田本人尋問の結果(第一回)によれば、本件訴訟において、原告一六名の差別賃金額の算定にも携わっている事実が認められ、したがって、原告飯田は、こと細かな作業を処理する能力に比較的秀でていることが認められる。

この点につき、前掲<書証番号略>には、右要項等の作成は原告飯田が自発的に作成したとはいえないと記述されているが、確かにそのような事実があったとしても、原告飯田が、これらの作成に寄与したことは前掲証拠上、明らかであり、原告飯田の右能力を否定することはできない。

(2) 弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる<書証番号略>によれば、原告飯田は、電気事業主任技術者資格検定第三種、特殊無線技士(多重無線設備)等の様々な資格を取得していることが認められるが、これらは、原告飯田の携わっている業務内容に照らせば、取り立てて高く評価するほどのこととはいえない。

(四)(1)  以上によれば、原告飯田の勤務振りは、前記のような優れた作業処理能力を考慮しても、執務態度等に問題があったものであるから、原告飯田の職務遂行能力はともかく、その業績は同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることはできない。

(2)  しかし、原告飯田についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告飯田に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告飯田に対する業務査定を行うに際し、主として原告飯田の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

4  原告市川について

(一) 証人山岸雄の証言及び<書証番号略>、証人戸室忠久の証言及び<書証番号略>には、被告の主張3(四)に沿うような事実及び原告市川の提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>、原告市川本人尋問の結果及び<書証番号略>には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人山岸及び同戸室の各供述は、いずれもあいまいな点が少なくないばかりか、右<書証番号略>とともに内容において原告市川の欠点を大げさに供述及び記述している点があることがうかがわれる。

(二)(1) そこで、原告市川の問題点について検討するに、<書証番号略>、原告市川本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告市川は、同三四年八月ころから労働運動に関心を持つようになり、同三六年には東電労組群馬支部伊勢崎分会の青年婦人部の委員に、翌三七年には同部の部長に選任されるなど、労働組合における活動を精力的に行い、被告会社外においても、前記のとおり同三五年一二月に民青に加盟し、同三六年春から同三八年春にかけて同盟員の拡大に尽力して、同年三月及び四月に民青の群馬県大会及び高崎地区大会においてそれぞれ表彰され、また、安保条約反対行動、原水爆禁止平和行進に参加するなど、平和運動にも奔走し、さらに、学童保育所設置運動にも参加していた事実が認められる。

原告市川のこれらの活動状況及び弁論の全趣旨によれば、原告市川は、夜間及び休祭日の調査業務を拒否したことが認められる。

(2) (一)掲記の各証拠によれば、原告市川は、設計書の作成にミスをしたことが少なからずあり、突発休暇を時々し、また、仕事の処理量も他の従業員に比べて少なめであったことが認められる。もっとも、原告市川本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる<書証番号略>によれば、原告市川は、同三四年三、四月ころ、定期調査を五〇軒以上処理した日もあったことが認められ、証人山岸雄が、他の従業員の定期調査、新増設調査処理軒数の六割くらいしか処理していなかったとする供述は、にわかに採用できない。

(3) 前掲<書証番号略>及び証人戸室忠久の証言中には、原告市川が、常識外れの設計をしたとの記述及び供述があるが、前掲<書証番号略>、証人柏原秀夫の証言(第二回)及び<書証番号略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告市川は、常識外れまでとは言い切れないものの、一見そのように受け取られかねない設計案を作成したことが認められる。

(三)(1) 一方、原告市川の勤務上他の従業員より優れていた点について検討するに、<書証番号略>及び原告市川本人尋問の結果によれば、原告市川は、論文「防災を考慮した架空配電線路の建設」を執筆し、それが雑誌「電気現場技術」に掲載されたことが認められるところ、このような論文を執筆するに当たっては、それなりの知識を備え、文章を書き上げる能力を要することから、原告市川は、配電線路の設計の分野に関する知識を相当有し、この分野を得意としていたことが認められる。

(2) 原告市川については、他に勤務上他の従業員より優れていたと認められる証拠はない。

(四)(1)  以上によれば、原告市川の勤務振りは、前記のような知識量、執筆能力を考慮しても、執務態度等に問題があったものであるから、原告市川の職務遂行能力及び業績は同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることはできない。

(2)  しかし、原告市川についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告市川に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告市川に対する業務査定を行うに際し、主として原告市川の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

5  原告兼松について

(一) 証人瀬間利英の証言及び<書証番号略>、証人多賀谷次郎の証言及び<書証番号略>、証人須藤孝雄の証言及び<書証番号略>には、被告の主張3(五)に沿うような事実及び原告兼松の提出した証拠に抵触する内容は供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>、原告兼松本人尋問の結果及び<書証番号略>には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人三名の各供述は、原告兼松に有利な点に言及するのをあえて避けようとしていることが認められ、また、右<書証番号略>も内容において大げさに記述している点もうかがわれる。

(二)(1) そこで、原告兼松の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告兼松本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告兼松は、東電労組において、同三六年四月に青年婦人部前橋分会副部長、同三七年四月には同部長、同年五月、群馬支部前橋分会執行委員となり、その後も労働者の地位向上を目指して積極的な活動を続け、被告会社外において、労使関係に関する学習活動、うたごえ運動等の左翼的活動に参加する傍ら、同四一年から、共働き夫婦のための保育所を建設する運動に参加し、同四三年四月に無認可の「はと保育園」の建設を実現させた後も認可取得のための活動を行い、同四五年四月一日には厚生省の認可を得るに至り、その後も保育園の拡充、増設のための活動を繰り広げた結果、同五四年四月には定員九〇名の「はと保育園」の建設を実現させ、現在も同保育園の監査を担当するなど、社会活動にも奔走していた事実が認められる。

原告兼松のこれらの活動状況及び弁論の全趣旨によれば、原告兼松は、自己の所定業務以外の仕事を拒否し、周囲への協力態度に欠ける点があったことが認められる。

(2) また、(一)掲記の各証拠によれば、原告兼松は、勤務時間中に私用の長電話をしていたこと、突発休暇を取ったこと及び上司の許可を得たとはいえ多忙であるにもかかわらず労組支部大会の傍聴に出掛けてしまったこと、遅刻、仕事上のミス、駐車場の不当使用をしたことが相当あったこと及び上司から担当業務の変更を支持されてもこれを固辞し、ルールを無視した業務処理を行い、業務上の指示に従わなかったこと等が認められる。

なお、被告が主張する「赤旗」の購買を強要したとの点については、前掲<書証番号略>及び証人瀬間利英の証言には、これに沿うような記述及び供述があるが、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる<書証番号略>及び原告兼松本人尋問の結果に照らすと、これを認めることはできない。

(三)(1) 一方、原告兼松の勤務上他の従業員より優れていた点について検討するに、前掲<書証番号略>を総合すれば、原告兼松は、同四八年二月、群馬県子持村立子持中学校において電気講習会の講師を、同年五月から一一月まで、渋川市主催の電気教室の講師をそれぞれ担当した事実が認められる。

後者については、前掲<書証番号略>によれば、営業課多胡清がメインとなって講師を勤めたことが認められるが、しかし、原告兼松も講師を勤めたことを否定するものとは認められず、これらは、原告兼松が電気に関する知識及びそれを他人に伝授する相当の能力を有していたことを示す事実と認められる。

(2) 原告兼松については、その他、勤務上他の従業員より特段優れていると認めるに足りる証拠はない。

(四)(1) <書証番号略>によれば、被告会社の査定において「普通」と評価される価は、八〇とされているところ、原告兼松の同五二年上期及び同年下期の総合評定は、それぞれ七六、七八となっており、しかも、原告兼松の場合、執務態度以外の点では大半が八〇となっている反面、執務態度の点に関する限りでは、七〇又は六五といった点が付けられていることが認められる。

既に述べたとおり、原告兼松には優れている点も認められるが、他方、前記のとおり執務態度に多くの問題点がある結果、右<書証番号略>の記載のとおり、総合的には、同期同学歴の従業員の平均に達していたと認めることはできない。

この点につき、証人多賀谷次郎は、右<書証番号略>に照らし、原告兼松の評定は普通である旨証言しているが、これは、右<書証番号略>中に見られる「八〇」の記載のみをとらえての証言であることが明らかであり、右認定と何ら矛盾するものではない。

(2)  しかし、原告兼松についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告兼松に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告兼松に対する業務査定を行うに際し、主として原告兼松の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

6  原告倉賀野について

(一) 証人見城雄一の証言及び<書証番号略>、証人川島昌美の証言及び<書証番号略>、証人池田貞夫の証言及び<書証番号略>には、被告の主張3(六)に沿うような事実及び原告倉賀野が提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>並びに原告倉賀野本人尋問の結果には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人三名の各供述はいずれも客観性を有するか疑問があり、とりわけ、証人川島の供述は、事実関係をあえて原告倉賀野に不利に印象付けようとしているものとうかがわれる。

(二)(1) そこで、原告倉賀野の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告倉賀野本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告倉賀野は、同三六年四月一日に被告会社に正社員として入社して間もなく、東電労組群馬支部藤岡分会の青年婦人部に加入し、翌三七年には同分会青年婦人部の部長に選出され、また、同三九年には同支部高崎分会青年婦人部部長に選任され、さらに、同四〇年四月には同分会執行委員選挙に、同四七年三月には同支部上久屋分会執行委員選挙に、同五一年四月には同支部高崎分会副執行委員長にそれぞれ立候補するなど、精力的に労組活動に取り組んでおり、一方、被告会社外においては、同三八年五月ころから労使関係に関する学習会に参加し、同四三年四月、再度前橋労音の会員となった上、運営委員として組織部に入り、被告会社群馬支店内に会員二五名の労音関係サークルを組織させるに至り、同年七月の参議院議員選挙においては、共産党公認候補への支持を訴える活動を行っていた事実が認められる。

原告倉賀野のこれらの活動状況及び弁論の全趣旨によれば、原告倉賀野は、他の従業員に対する協力をせず、時間外勤務を拒否したことが認められる。

(2) 前掲<書証番号略>及び原告倉賀野本人尋問の結果によれば、原告倉賀野は、同四一年七月一〇日、民青主催の谷川登山に参加した関係で、同日に行うべき検針をその前日に行うといういわゆる「繰り上げ検針」をしたことが認められるところ、原告倉賀野は、本人尋問において、繰り上げ検針について、当時、職場内において広く行われていた旨供述しているが、そのようなことは被告会社の規律違反行為であることは明らかであるのに、これを正当化しようとする態度は、被告会社の従業員として非常に問題といわざるを得ない。

(3) (一)掲記の各証拠によれば、原告倉賀野は、遅刻をしたことも多く、しかも、酒を好んでいたことから二日酔いの状態で出勤したこともあり、資材納入日に突然休暇を取得したこと、比較的明るくユーモアに富んだ性格を有する反面、無駄話し及びブラック・ユーモア発言も少なからずあった上、現品台帳の記入ミス等も多少あったことが認められる。

(三)(1) 一方、原告倉賀野の勤務上他の従業員より優れていた点について、証拠上認定しうるものは、特段見当らないといわざるを得ない。

(2) 前掲<書証番号略>及び原告倉賀野本人尋問の結果によれば、原告倉賀野は、剣道を得意としていることが認められるが、前記のとおり、仕事上のミスも散見された点に照らせば、剣道で培った集中力を職務に生かし、あるいはこれを通じて学んだ「礼」を職場の人間関係に生かしていたことを認めるに足りる証拠はない。

また、<書証番号略>及び原告倉賀野本人尋問の結果によれば、原告倉賀野は、被告会社に提出した自己管理表において、「自己啓発につとめようと心掛けています。」等と記載していたことが認められるが、通常の従業員であれば、自己管理表に右のような内容を記載することは十分考えられ、原告倉賀野の右記載内容は特に評価すべきものともいえず、また、原告倉賀野が実際に右記載内容どおり、自己啓発につとめていたことを認めるに足りる証拠はない。

(四)(1)  以上によれば、原告倉賀野の勤務振りは、特に優れた点が見当らない反面、執務態度等に問題があったものであるから、原告倉賀野の職務遂行能力及び業績は同期同学歴の従業員平均に達していたと認めることはできない。

(2)  しかし、原告倉賀野は、右のような問題点を有しながらも一応の仕事を処理していたことが認められるところ、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、原告青木本人尋問(第一回)の結果及び<書証番号略>、原告倉賀野本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、被告会社は、原告倉賀野が同四一年七月ころから同四三年四月ころまでの間、左翼的活動を停止していた時期とほぼ一致する期間に限って、原告倉賀野に対し、プラス査定を行っていた事実が認められること、前記のとおり、被告会社が左翼的勢力を抑制する労務政策を採っていた上、原告倉賀野につき、共産党員又はその支持者であると認定していたこと及び原告倉賀野に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告倉賀野に対する業務査定を行うに際し、主として原告倉賀野の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

7  原告桑原について

(一) 証人笠井清二の証言及び<書証番号略>、証人水出升の証言及び<書証番号略>、証人荒木直次の証言及び<書証番号略>には、被告の主張3(七)に沿うような事実及び原告桑原の提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>並びに原告桑原本人尋問の結果には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人三名の各供述はいずれも客観性を有するか疑問があり、とりわけ、証人笠井及び同荒木の各供述は、原告桑原に有利な点を隠そうとしている点が、同水出の供述は、伝え聞きの部分が多いことがそれぞれうかがわれる。

(二)(1) そこで、原告桑原の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告桑原本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告桑原は、同三五年四月に被告会社に正社員として入社して間もなく東電労組群馬支部青年婦人部代議員及び同支部前橋分会青年婦人部委員に、同三六年四月及び同三七年に同支部青年婦人部常任委員及び前橋地区労働組合協議会青年婦人部常任委員に、同三八年四月に同支部高崎分会青年婦人部部長、同支部代議員及び同支部高崎分会執行委員に、同三九年四月に同執行委員にそれぞれ選出され、その後も同四五年まで毎年のように、東電労組本部執行委員選挙及び同補欠選挙に立候補するなど、労働組合を通じて労働者の地位向上のために活動を続け、また、同三五年に前橋地協青年労働者学校の運営委員となり、平和維持のための学習活動に参加していた事実が認められる。

原告桑原のこれらの活動状況及び弁論の全趣旨によれば、原告桑原は、他の従業員に対する協力に消極的であり、時間外勤務を拒否したことが認められる。

なお、<書証番号略>には、他の従業員が残業するときには、原告桑原も必ず残業していたなどと記載されているが、その作成経過が証拠上明らかでなく、また、その時期等について具体的でもないから、これにより、右認定を左右することは難しい。

(2) (一)掲記の各証拠によれば、原告桑原は、勤務時間中に私用電話をしたことが相当あり、サンダル履きで安全を軽視した作業、仕事上のミスもあり、突発休暇の取得、他の業務を手伝わなかったことが認められる。

(三)(1) 一方、原告桑原の勤務上他の従業員より優れていた点について検討するに、前掲<書証番号略>並びに原告桑原本人尋問の結果を総合すれば、原告桑原は、同四〇年六月二五日、検針中に高崎市下小塙町内で火災を発見して早期にこれを消し止め、高崎消防署長及び被告会社群馬支店長からそれぞれ表彰を受けたことが認められるが、これは従業員としての職務をその限度で忠実に遂行していたとはいえるが、特に評価すべきものとも認められない。

(2) <書証番号略>及び原告桑原本人尋問の結果によれば、原告桑原は、同僚と共同で業務改善提案に取り組み、度々採用されている事実が認められるが、右共同提案の中で原告桑原がどの程度貢献したかを明らかにする証拠はない。

(3) 前掲<書証番号略>及び原告桑原本人尋問の結果によれば、原告桑原が、同四四年六月七日宿直の際、沼田営業所資材倉庫が火災になった際に重要書類を運び出したこと、原告桑原が業務に関する様々な資格を取得していること及び原告桑原が通勤電車内で職務上必要な物品の名前を覚えるよう努力していたことが認められるが、いずれも、被告会社従業員として通常行うべきことであり、取り立てて高く評価すべき事由とはいえない。

(4) ところで、原告桑原は、前記のとおり、同三五年四月に被告会社に正社員として入社した当初、度々東電労組青年婦人部役員に選出されていることに照らせば、仕事上は若干非協力的な態度が見られたのに反し、労組役員としての人望は有していたと認められる。もっとも、その後は労組役員選挙において落選を続けているが、前掲<書証番号略>及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告桑原が、右のように落選したのは、同原告の人間性によるものではないと認められる。

(四)(1)  以上によれば、原告桑原の勤務振りは、執務態度に問題があったことが認められる一方では、労組役員としての人望を有していたと認められるが、原告桑原の職務遂行能力及び業績は同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることはできない。

(2)  しかし、原告桑原についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告桑原に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告桑原に対する業務査定を行うに際し、主として原告桑原の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

8  原告田村について

(一) 証人笛田新太の証言及び<書証番号略>、証人松本高雄の証言及び<書証番号略>、証人岡田一三の証言及び<書証番号略>には、被告の主張3(八)に沿うような事実及び原告田村の提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>及び原告田村本人尋問の結果には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人三名の各供述はいずれも客観性を有するか疑問があり、とりわけ、証人笛田の供述内容は一貫性を欠く上、その多くの部分が伝え聞きにかかるものであることがうかがわれる。

(二)(1) そこで、原告田村の問題点について検討するに、<書証番号略>及び原告田村本人尋問の結果によれば、原告田村は、被告会社社員養成所入所中の同三七年一二月二〇日、寮内で睡眠薬を服用して医務室において手当てを受け、その後も節度のない態度であって、火力発電所見学の際に先方から注意を受け、翌三八年一月には常習的に喫煙していたこと及び飲酒していたことが発覚した上、原告田村の居室からかねてから持ち帰るよう指示を受けていた大なたが発見されたため、養成員規程違反行為により被告会社から教習停止無期(その後仮出所)の懲戒処分を受けた事実が認められ、原告田村は、その後、右のような態度が完全に改まったと認めるに足りる証拠はない。

(2) また、前掲<書証番号略>、原告田村本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告田村は、同四〇年八月ころ、被告会社内の「東電サークル」に加入して前橋労音の会員となり、同四一年二月一日にはその代表者に就任して会員拡大等に努め、同四四年六月二日には前橋労音「吾妻ブロック」を結成させてその初代事務局長に就任し、さらに、同五〇年には前橋労音運営委員会組織部長に就任するなど、現在に至るまで労音での活動を続け、一方、同四一年三月からアコーディオンサークル前橋初級教室第五期生となり、同四四年二月に群馬アコーディオンサークル嬬恋サークル、同四六年四月に群馬アコーディオンサークル渋川教室を結成させたほか、東電労組の本部執行委員選挙に際しては、原告飯田、同桑原の後援会に入り、積極的な応援活動をしたことが認められる。

原告田村のこれらの活動状況及び弁論の全趣旨によれば、原告田村は、勤務時間中に、しばしば私用電話をかけ、あるいは無断離席をしたことが認められる。

(3) 前掲<書証番号略>、証人岡田一三の証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告田村は、同四五年二月から同五一年六月までの渋川現業所中之条保修所に勤務中、遅刻することが多く、しかも遅刻して出社した後にも作業へ出発するための準備を速やかにしなかったことがあり、汚れる作業を嫌い、慎重さに欠けミスをしたことも少なくなかったことが認められる。

もっとも、<書証番号略>、原告田村本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告田村は、同四二年六月一日、椎間軟骨ヘルニアとなり、入院して治療を受け、退院後も同四七年九月一四日まで被告会社から深夜業を含む勤務を禁止、高所作業、重激な作業を禁止する等の就業制限の措置をとられ、さらに、同四九年三月一一日、十二指腸潰瘍となり、そのために同年七月一六日まで、ほぼ同様の措置をとられたことが認められる。

原告田村は、右のような就業制限という事情にあったから、その期間中については、職務遂行度合につき厳しく評価するのは相当といえない。

(4) なお、<書証番号略>には、元前橋補修所長力石松雄が原告田村の勤務態度について、悪く評定をしたことはなく、仕事ぶりについて特に問題があるという報告を受けたことはない旨記載されているが、同文書は作成された経緯が明らかでない上、弁論の全趣旨及び<書証番号略>に照らすと、にわかにこれを採用することはできない。

(三)(1) 一方、原告田村の勤務上他の従業員より優れていた点について、証拠上認定し得るものは、特段見当らないといわざるを得ない。

(2) なお、前掲<書証番号略>によれば、原告田村が室田発電所工事に携わっていたことが認められるが、弁論の全趣旨によれば、右工事は、同五二年一〇月以後のもので、それは被告会社に勤務する電気技術者として取り立てて評価すべきものとはいえない。

(四)(1)  以上によれば、原告田村の勤務振りは、特に優れた点が見当らない反面、前記就業制限を考慮に入れても、執務態度、仕事の質といった点で問題があったものであるから、原告田村の職務遂行能力及び同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることはできない。

(2)  しかし、原告田村についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告田村に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告田村に対する業務査定を行うに際し、主として原告田村の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

9  原告千綿について

(一) 証人花田民雄の証言及び<書証番号略>、証人角田博の証言及び<書証番号略>、証人太田洋の証言及び<書証番号略>には、被告の主張3(九)に沿うような事実及び原告千綿の提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>並びに原告千綿本人尋問の結果には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人花田の証言は、反対尋問に対し明確な返答ができずあいまいな点があり、同角田の証言は、殊更に原告千綿について悪い印象を与えようとしている点があり、また、同太田の証言は、思い出しても原告千綿の長所は全くないという現実離れした供述態度がうかがわれる。

(二)(1) そこで、原告千綿の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告千綿本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告千綿は、東電労組において、同三九年五月に群馬支部群馬支店分会青年婦人部の委員となり、翌四〇年二月の青年婦人部活動停止を契機に労働組合運動に真剣に取り組むようになり、同四三年四月に群馬支部代議員に立候補するなど、労働者の地位向上を目指して活動を続け、一方、被告会社外においては、同四一年一〇月に共産党に入党し、同四六年四月群馬県長野原町議会議員選挙で共産党公認候補狩野秀三郎を応援して同人を当選させ、さらに、同五〇年四月の同議員選挙において自ら共産党公認候補として立候補するに至り、また、同四一年一〇月に前橋労演の東電サークルに入会し、翌四二年ころから同労演企画部副部長、運営委員として活躍した事実が認められる。

原告千綿のこれらの活動状況及び(一)掲記の各証拠によれば、原告千綿は、職場における打合せで居眠りをし、巡視の報告に際し手抜きをするなど職務に対する意欲にやや欠けていたこと及び業務上他の従業員に協力的でなかったことが認められる。

(2) <書証番号略>、原告千綿本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告千綿は、同四九年一二月二七日、前日の忘年会で酒を飲み過ぎて目覚まし時計をセットすることを忘れたため、相当遅刻して出勤したほか、何度か遅刻をしたこと、新入社員当時に高所作業が満足にできなかったことも認められる。

(三)(1) 一方、原告千綿の勤務上他の従業員より優れていた点について、証拠上認定し得るものは、特段見当たらないといわざるを得ない。

(2) 前掲<書証番号略>によれば、原告千綿は、小、中学校及び高等学校時代、成績、クラブ活動において優秀であること等の理由により表彰された事実が認められ、これらは原告千綿に潜在的能力があることをうかがわせる事情ではあるが、右能力を被告会社の従業員として仕事に十分に生かしたと認めるに足りる証拠はない。

また、原告千綿本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる<書証番号略>によれば、原告千綿が同三六年四月の入社時に受講日誌を詳しく記載していたことが認められるが、その態度がその後も継続していたことを認めるに足りる証拠はない。

(四)(1)  以上によれば、原告千綿の勤務振りは、特に優れた点が見当たらない反面、執務態度、仕事の質といった点で問題があったものであるから、原告千綿の職務遂行能力及び業績は同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることはできない。

もっとも、<書証番号略>には、原告千綿が他の従業員と同様に勤務していた旨記述されているが、これらの文書作成者は、いずれも原告千綿と一緒に仕事をしたことがない旨記述している上、<書証番号略>に照らすと、これらは原告千綿の勤務振りが他の従業員と比較して特別に悪いほどのことはないといった趣旨で記載されたにすぎないと認められる。

なお、<書証番号略>は、前掲<書証番号略>に照らすと、これにより原告千綿の勤務振りを認定することはできない。

(2)  しかし、原告千綿についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告千綿に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告千綿に対する業務査定を行うに際し、主として原告千綿の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

10  原告富所正義について

(一) 証人金子好一の証言及び<書証番号略>、証人須田敏幸の証言及び<書証番号略>、証人齊藤博の証言及び<書証番号略>には、被告の主張3(一〇)に沿うような事実及び原告富所正義の提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>並びに原告富所正義本人尋問の結果には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人三名の各供述はいずれも客観性を有するか疑問があり、とりわけ、証人金子には、反対尋問において原告富所正義に有利な事情を隠そうとする態度がうかがわれる。

(二) そこで、原告富所正義の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告富所正義本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告富所正義は、被告会社において、同三四年一一月一一日の東電労組群馬支部伊勢崎分会青年婦人部結成に尽力し、同三六年には同分会青年婦人部長に、同三七年五月及び同四〇年五月には同支部代議員に、同四五年四月には同支部金井分会代議員にそれぞれ選出されるなど、労働組合活動を通して労働者の地位向上のために積極的に活動を繰り広げ、被告会社外においては、同四八年二月の前橋市議会議員選挙における共産党公認候補窪田治好の後援会長を勤めて同候補を当選させ、同年から同六二年まで、右議員の後援会長として活動を続け、また、同四二年ころから、原告兼松らとともに、前記「はと保育園」の建設運動に参加し、その後も保育園建設運動に委員や代表として参加し、さらに、同四六年からは、夫婦共働きによる留守家庭の子供のための「学童保育」をすすめる運動に参加していた事実が認められる。

原告富所正義のこれらの活動状況及び(一)掲記の各証拠によれば、原告富所正義は、他の従業員が忙しくしていてもこれに協力せず、自己の処理すべき仕事も遅れがちで、しかも、私用電話をしばしばかけ、あるいは他の従業員らに無駄話をしかけることが多かったこと、被告会社群馬支店料金課、渋川現業所事務課、富岡営業所総務課勤務を通じて、頻繁に遅刻をし、あるいは突然休暇を取得することがあったことが認められる。

(三)(1) 一方、原告富所正義の勤務上他の従業員より優れていた点について、証拠上認定し得るものは、特段見当たらないといわざるを得ない。

(2) <書証番号略>によれば、原告富所正義は、中学校時代の成績が優秀であったことが認められ、また、<書証番号略>によれば、原告富所正義は、同四一年三月三〇日、不払停止依頼票の一部様式変更の提案をして被告会社の本部で採用され、準優良賞を受けたことが認められ、これらの事実によれば、原告富所正義には職務遂行能力が相当あることは明らかである。

(四)(1)  以上によれば、原告富所正義の勤務振りは、特に優れた点が見当たらない反面、執務態度、仕事の質といった点で問題があったものであるから、原告富所正義の職務遂行能力は、ともかく、その業績は同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることはできない。

(2)  しかし、原告富所正義についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告富所正義に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告富所正義に対する業務査定を行うに際し、主として原告富所正義の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

11  原告富所陽子について

(一) 証人織田辰男の証言及び<書証番号略>、証人中村久の証言及び<書証番号略>には、被告の主張3(一一)に沿うような事実及び原告富所陽子の提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>及び原告富所陽子本人尋問の結果には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人二名の各供述はいずれも客観性を有するか疑問があり、原告富所陽子に有利な事情を隠し、不利な事情を印象付けようとする態度がうかがわれる。

(二) そこで、原告富所陽子の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告富所陽子本人尋問の結果及び<書証番号略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告富所陽子は、被告会社において、入社後間もない同三五年八月に行われた東電労組本部主催の林間学校に参加したのを契機に、労働運動に関与するようになり、同三九年度の東電労組群馬支部青年婦人部支部委員及び群馬支店分会配電班の委員となり、同年一〇月の東電労組群馬支部主催の婦人懇談会において母性保護のための施策を訴えて女性の権利を確保するように努力し、同四五年四月には東電労組群馬支部代議員に立候補するなど、労働者の地位向上を目指して活動を続け、被告会社外においては、同三七年から労使関係についての学習会に参加したほか、同四一年ころから、共産党の応援を受けて保育運動に取り組み、同四二年二月からは前橋市と保育時間延長の交渉、陳情に臨み、その結果、同四三年四月には前橋市から市立保育所の一部屋を無料で借り受けられるようになり、その後も保育運動に取り組んだ功績を認められて、同五〇年三月、長時間保育保護者会連合会から感謝状を受けており、また、同三九年一〇月二八日に共産党に入党した後、同四五年五月の前橋市議会議員補欠選挙及び同四八年二月の同市議会議員選挙において、共産党公認候補窪田治好の応援に奔走した事実が認められる。

原告富所陽子のこれらの活動状況及び(一)掲記の各証拠によれば、原告富所陽子は、時間外勤務を拒否する傾向にあったこと、他の従業員への応援にあまり協力的でなく、仕事の処理量も他の従業員に比較して少なめであったこと、勤務時間中に前記活動の打合せのため等にしばしば長電話をしていたこと、市への陳情等の関係で時には昼休み時間を過ぎても仕事に戻らないことがあったこと及び子供の病気等で少なからず突然休暇を申し出ていたことが認められる。

もっとも、前掲<書証番号略>において、原告富所陽子の仕事の処理量に関し、機械処理の速度が遅いことをうかがわせる<書証番号略>の記載に対する反論がされているところ、同号証は、証人織田辰男の証言があいまいである点を考慮すれば、必ずしも信用できる文書とはいえないが、その反面、<書証番号略>の記述内容が正しいことを裏付ける証拠も見当たらないので、いずれも決定的なものとは認められない。

(三) 一方、原告富所陽子の勤務上他の従業員より優れていた点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告富所陽子本人尋問の結果によれば、原告富所陽子は、県立桐生女子高等学校在学中にバトミントン競技で活躍し、学業成績も優秀であり、同四二年四月ころ、細谷登とともに「電気使用開始状」ハガキに関する改善提案をして、これが採用され、同四八年ころからは被告会社本店用地部主催の通信教育講座を受講して優秀な成績を修め、同年一二月には被告会社の女子従業員として初めて宅地建物取引主任資格試験に合格し、被告会社社長及び本店用地部長から表彰され、被告会社群馬支店管材課で、土地建物管理の仕事に従事している事実が認められ、したがって、原告富所陽子の職務遂行能力には優れたものがあることは明らかである。

(四)(1)  以上によれば、原告富所陽子はその能力面においては優秀であり、被告会社の奨励する勉学に励んでいたと認められる反面、労働運動及び社会活動に奔走していたあまり、被告会社従業員として本来処理すべき仕事が、他の従業員に比してやや疎かになった上、これらの活動のために時間外勤務や自己の本来の職務以外の仕事を積極的に協力しなかったもので、これらを総合してみれば、原告富所陽子の職務遂行能力はともかく、その業績は同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることは難しい。

なお、成立に争いのない<書証番号略>は、前掲<書証番号略>に照らすと、これにより原告富所陽子の勤務振りを認定することはできない。

(2)  しかし、原告富所陽子についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告富所陽子に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告富所陽子に対する業務査定を行うに際し、主として原告富所陽子の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

12  原告橋本について

(一) 証人田久政男の証言及び<書証番号略>、証人一倉健太郎の証言及び<書証番号略>、証人栗原信嗣の証言及び<書証番号略>には、被告の主張3(一二)に沿うような事実及び原告橋本の提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>及び原告橋本本人尋問の結果には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人三名の各供述及び右乙号各証の記述はいずれも客観性を有するのか疑問があり、とりわけ、右証人三名の各供述は、原告橋本に有利な事情を隠し、不利な事情を強く印象付けようとするものであることがうかがわれる。

(二)(1) そこで、原告橋本の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告橋本本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告橋本は、被告会社において、同三四年ころから労働運動に取り組むようになり、同年一二月末に東電労組群馬支部前橋分会青年婦人部が結成されて以来、青年婦人部主催の学習会、文化活動に参加し、同三五年には、群馬支部青年婦人部大会に代議員として参加し、同三六年に同支部前橋分会執行委員及び同支部青年婦人部支部委員を、同三八年に同支部支店分会大会代議員をそれぞれ勤め、同三九年四月、同支部青年婦人部長に選出されるにいたり、その後も群馬支部大会代議員を勤めたり、同代議員に立候補するなど、労組役員として積極的に労働運動に取り組み、また、同四七年秋に被告会社が提案したマイカー通勤制限等の通勤費削減案に対する反対活動を繰り広げるなど、労働者の地位向上を目指して活動を続け、他方、同三三年四月の入社当時、東電労組群馬支部前橋分会が原水爆禁止運動等の社会運動に参加していたのを契機に、社会運動に関心を持つようになり、同三四年一二月に行われた前記「日本のうたごえ祭典」に参加したのを初め、同三五年九月ころ、被告会社内に「月曜コーラス」を結成させ、その後も「日本のうたごえ」、「群馬のうたごえ」に参加し、同四七年四月の長女の小学校へ入学したのを機に、同四九年四月から同五二年三月まで、学童保育園の運営に携わるなど、社会活動にもかかわってきた事実が認められる。

原告橋本のこれらの活動状況及び弁論の全趣旨によれば、原告橋本は、時間外勤務を拒否し、他の従業員への応援に非協力的であったこと、勤務時間中に前記活動の打合せのための長電話をしていたことが認められる。

(2) また、<書証番号略>及び原告橋本本人尋問の結果によれば、原告橋本は、同五五年三月三日午前八時一五分ないし同三〇分ころ、富岡営業所従業員用駐車場前において、電気料金値上げ反対のビラを配布した事実が認められるが、原告橋本個人の信条がどのようなものであろうと、被告会社の従業員としては、会社の施策方針に従うべき雇用契約上の義務があるというべきところ、原告橋本が、前記認定のような勤務時間に近接した時間において、営業所駐車場前でこのような行動をとることは、被告会社従業員として許されない行為といわざるを得ない。

(3) 前掲<書証番号略>、証人一倉健太郎の証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告橋本は、共働き家庭である上、前記のような活動状況からすれば、藤岡営業所勤務時についてはともかく、遅刻することがかなりあったこと、停電広報をするに際し、人任せにするなど職務怠慢と疑われかねない行為が多少あったことが認められる。

(三)(1) 一方、原告橋本の勤務上他の従業員より優れていた点について検討するに、前掲<書証番号略>及び原告橋本本人尋問の結果を総合すれば、原告橋本は、同五〇年下期に橋本洋子と共同で「電気料金口座振替払申込書の様式変更について」の提案をして、提案賞を受け、また、富岡営業所管内の婦人会等を対象にした講習会のために編集された「やさしい電気教室テキスト」の作成に関与したことが認められる。これについては、前掲<書証番号略>によれば、原告橋本一人の功績と認めることは到底できないものの、他の従業員と共同作業をした成果であることは間違いなく、それなりに原告橋本の業務として考慮すべきものと認められる。

(2) ところで、<書証番号略>によれば、原告橋本は、同五二年一一月二二日及び同六〇年一一月二三日、富岡市長及び富岡商工会議所会頭から、同市商工業の振興に寄与したことを理由に優良従業員として表彰を受けたことが認められるが、<書証番号略>に照らせば、右表彰はいずれも一種の永年勤続表彰であると認められ、特段、原告橋本の仕事振りが優れていたことまでを示すものではないと解するのが相当である。

(四)(1)  以上によれば、原告橋本の勤務振りは、多少評価すべき事情も見当たる反面、被告会社従業員として執務態度に問題があった上、被告会社の施策方針にあからさまに反対する行動もあり、全体としてみれば、原告橋本の職務遂行能力及び業績は同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることはできない。

(2)  しかし、原告橋本についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告橋本に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告橋本に対する業務査定を行うに際し、主として原告橋本の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

13  原告福井について

(一) 証人金井菊雄の証言及び<書証番号略>、証人吉野銀治の証言及び<書証番号略>、証人福嶋長次郎の証言及び<書証番号略>には、被告の主張3(一三)に沿うような事実及び原告福井の提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>及び原告福井本人尋問の結果には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人三名の各供述及び右乙号各証の記述はいずれも客観性を有するか疑問があり、とりわけ、右証人三名の各供述は、原告福井の欠点をやゝ大げさに強調しているようにうかがわれる。

(二)(1) そこで、原告福井の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告福井本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告福井は、同三五年の六月末から三か月くらい、新入社員に対する泊りの練習ということで毎日午後七時まで無報酬で従事していたところ、労組がこれを時間外勤務扱いとするよう被告会社と交渉してこれを認めさせたことから、労組活動に関心を持つようになり、同三六年に東電労組群馬支部青年婦人部定時大会の代議員を、同三七年に同支部青年婦人部支部委員を、同三八年に同委員及び同支部定時大会代議員を勤め、さらに、同三九年に同支部青年婦人部前橋分会青年婦人部長に選出されるに至り、その後も同四二年四月に同支部前橋分会の執行委員選挙に立候補するなど、組合役員として活動しつつ、時には他社の労働争議支援活動に赴くなど、労働者の地位向上を目指して活動を続ける一方、「日本のうたごえ」運動に共感して職場内における「月曜コーラス」において活躍し、同三七年一二月、うたごえによって平和を願うことを目指す群馬合唱団に入団し、同四一年に同合唱団書記長、同四六年からは団長を歴任するなど、うたごえ運動に積極的に参加して、後には合唱指導に携わるようになり、同四七年一二月には日本のうたごえ実行委員会から表彰を受け、また、同三九年に共産党に入党し、それ以来、公職選挙において共産党系の候補者の応援に奔走するなど、共産党の支持拡大のための努力を続けてきており、なお、同四九年四月ころから、保育園運営委員、同五五年四月ころから、学童保育所運営委員を歴任するなど、社会活動にも尽力している事実が認められる。

原告福井のこれらの活動状況及び(一)掲記の各証拠によれば、原告福井は、他の従業員への応援に非協力的で、仕事を積極的に経験し、知識を広げようとする意欲に欠け、勤務時間中に私用の長電話をしていたこと、人物所見を提出することにつき上司に反抗したり、遅刻、突発休暇をして、他の従業員らに少なからず業務に支障を及ぼしたことが認められる。

(2) 前掲<書証番号略>、証人金井菊雄、同吉野銀治、同福嶋長次郎の各証言及び弁論の全趣旨によれば、原告福井は、他の従業員が忙しく時間外勤務をしているときでも定時退社をすることが多かったことが認められるが、<書証番号略>、原告福井本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告福井は、上司から強く命ぜられれば時間外勤務をしたことが認められる。

(三)(1) 一方、原告福井の勤務上他の従業員より優れていた点について、証拠上認定し得るものは、特段見当たらないといわざるを得ない。

(2) <書証番号略>の各一、二によれば、原告福井は、一応の職務をこなしていたこと及び同五三年一二月二六日に「アパッチャーカードのフィルムの電柱番号表示の変更について」の件名で徳江猛らとともに業務提案による表彰を受けたことが認められるが、これをもって直ちに、原告福井が通常の従業員以上に仕事を行っていたことを示すものと判断することは難しい。

(四)(1)  以上によれば、原告福井の勤務振りは、特に優れた点が見当たらない反面、執務態度において問題があったものであるから、原告福井の職務遂行能力及び業績は同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることはできない。

(2)  しかし、原告福井についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告福井に対する業務査定を行うに際し、主として原告福井の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

14  原告本木茂について

(一) 証人正木康二の証言及び<書証番号略>、証人平山一良の証言及び<書証番号略>、証人阿部三郎の証言及び<書証番号略>には、被告主張3(一四)に沿うような事実及び原告本木茂の提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>及び原告本木茂本人尋問の結果には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人三名の各供述及び右乙号各証の記述はいずれも客観性を有するか疑問があり、とりわけ、右証人三名の各供述は、原告本木茂の有利な事情に言及することを避けているようにうかがわれる。

(二)(1) そこで、原告本木茂の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告本木茂本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告本木茂は、被告会社に入社して間もない同三五年八月、東電労組群馬支部青年婦人部役員をしていた草間佳一らに誘われて同労組主催の林間学校に参加した後、労使関係に関する学習会等に参加し始め、これを契機に労働運動に関与するようになり、同三六年には同支部青年婦人部委員、吾妻地区選出の同支部常任委員に、同三七年には同支部青年婦人部常任委員、同支部吾妻分会執行委員に、そして同三八年には同支部青年婦人部副部長にそれぞれ選出されるなど、労組役員として活躍し、この間、同三六年秋には東電労組本部による、賞与闘争を年二回から年一回に改めるとの提案に反対する活動を繰り広げるなど、労働者の地位向上を目指す活動に奔走し、他方、同年一二月に行われた「日本のうたごえ祭典」に参加してからは、右草間に勧められ民青に加盟して、平和集会等の社会運動にも参加し、同三八年一二月末には共産党に入党して、公職選挙における共産党系候補者の応援や「赤旗」購読者の拡大等に取り組んでいた事実が認められる。

原告本木茂のこれらの活動状況及び(一)掲記の各証拠によれば、原告本木茂は、時間外勤務を拒否し、他の従業員への応援に非協力的となり、仕事の処理量が他の従業員に比較して少なめであったことが認められ、前掲<書証番号略>及び証人平山一良の証言を総合すれば、原告本木茂は、後輩従業員に自己の仕事につき一方的な応援をさせていたことが認められ、この点は誠に問題ある態度といわざるを得ない。

(2) また、前掲<書証番号略>及び証人平山一良の証言を総合すれば、原告本木茂は、新増設調査をした際、重度の不良部分のあったものにつき電話で処理するなど手抜きをしていたこと等が認められる。

(三)(1) 一方、原告本木茂の勤務上他の従業員より優れていた点について、証拠上認定し得るものは、特段見当たらないといわざるを得ない。

(2) 前掲<書証番号略>及び原告本木茂本人尋問の結果によれば、原告本木茂は、同三六年秋に実施された吾妻営業所職員に対する講習会において、電気理論の講義を担当したことが認められるが、これは単に、原告本木茂が高等学校及び仕事上習得した知識を伝授した程度のものであって、原告本木茂が一応の職務を果たしたことを示す事実とはなり得ても、それ以上のものとして評価すべきものとは認められない。

(3) 前掲<書証番号略>及び原告本木茂本人尋問の結果中には、原告本木茂が、新増設調査の地区割りを自ら提案した旨の記述及び供述があるが、これに反する前掲<書証番号略>及び証人阿部三郎の証言に照らすと、これを認めることはできない。

(四)(1)  以上によれば、原告本木茂の勤務振りは、特に優れた点が見当たらない反面、執務態度、仕事の量といった点で問題があったものであるから、原告本木茂の職務遂行能力及び業績は同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることはできない。

(2)  しかし、原告本木茂についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告本木茂に対する業務査定を行うに際し、主として原告本木茂の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

15  原告本木八千代について

(一) 証人真庭秀夫の証言及び<書証番号略>、証人中村昭一の証言及び<書証番号略>、証人金垣昭三の証言及び<書証番号略>には、被告の主張3(一五)に沿うような事実及び原告本木八千代の提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>及び原告本木八千代本人尋問の結果には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人三名の各供述及び右乙号各証の記述はいずれも客観性を有するか疑問がある。とりわけ、証人真庭は、主尋問において原告本木八千代が担当する諸貸付金の残高が経理の数字と合わないことが判明し、あたかも原告本木八千代のミスであると言わんばかりの供述をしながら、反対尋問において、調査の結果、原告本木八千代のミスは発見できなかったと証言しており、いたずらに原告本木八千代の問題点を印象付けようとする点がうかがわれ、証人中村も、被告会社の民社研への従業員の派遣の事実について、あえて証言を回避しようとする点がうかがわれる。

(二)(1) そこで、原告本木八千代の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告本木八千代本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告本木八千代は、同三五年ころ、六〇年安保闘争等の平和運動が高まった時期に、それらの集会に参加するようになり、同年に結成された東電労組群馬支部青年婦人部の活動に積極的に参加して、同年度には同支部青年婦人部機関誌「かいな」編集委員を、同三六年度には同支部青年婦人部副部長を、同三八年度には同支部婦人部財政部長及び同支部代議員を、同四一年度には同支部支店分会代議員をそれぞれ歴任するなど、東電労組役員として、労働者の権利保持、地位向上を目指す活動に取り組む一方、同三五年ころから、青年婦人部活動を通じて、前橋地区労働組合協議会主催の労働学校に参加し、その中で、労働運動、社会運動等について学習し、同三五年から同三七年まで日本母親大会に参加して同三七年の大会についてはその内容を群馬支店分会の婦人組合員に報告するなどし、また、同三九年二月、共産党に入党し、その後、同四八年から同五二年三月まで、前橋市立保育所長時間保育連合会の運営にかかわり、同四八年及び同五〇年に会計担当、同五一年及び同五二年に副会長となるなど、社会活動に奔走していた事実が認められる。

原告本木八千代のこれらの活動状況及び(一)掲記の各証拠によれば、原告本木八千代は、時間外勤務を強く命じない限り行わず、同四九年一月から同五二年三月まで(同五一年一二月を除く。)の間に、一日で2.5時間時間外勤務をしただけであり、他の従業員の業務にも非協力的であったこと、勤務時間中に無断で離席し、被告会社内の喫茶店に行くことが多かったこと、生命保険配当金の保険カードへの記入漏れをしたこと、勤務時間中に長電話をしていたこと及び昼休み時間を超過して離席していたこと等が認められる。

(2) 弁論の全趣旨によれば、原告本木八千代は、一見職務怠慢又は意欲の欠如と見られかねない態度等も散見されたことが認められるものの、原告本木八千代本人尋問の結果及び<書証番号略>の記載に照らせば、原告本木八千代は仕事に対する意欲を決して有していなかったわけではないと認められる。

(三)(1) 一方、原告本木八千代の勤務上他の従業員より優れていた点について、証拠上認定し得るものは、特段見当たらないといわざるを得ない。

(2) <書証番号略>、原告本木八千代本人尋問の結果及び<書証番号略>を総合すれば、原告本木八千代は、卓球、書道及び華道に秀でていた事実が認められるものの、これらは被告会社の従業員として要求される職務遂行能力とは直接関係を有するものとはいえない。

(四)(1)  以上によれば、原告本木八千代の勤務振りは、特に優れた点が見当たらない反面、執務態度、仕事の量といった点で問題があったものであるから、原告本木八千代の職務遂行能力及び業績は同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることはできない。

(2)  しかし、原告本木八千代についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告本木八千代に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告本木八千代に対する業務査定を行うに際し、主として原告本木八千代の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

16  原告山本について

(一) 証人丸橋久雄の証言及び<書証番号略>、証人高橋茂美の証言及び<書証番号略>、証人関直吉の証言及び<書証番号略>、証人田中文明の証言及び<書証番号略>には、被告の主張3(一六)に沿うような事実及び原告山本が提出した証拠に抵触する内容の供述及び記述が存するのに対し、前掲<書証番号略>並びに原告山本幾猛本人尋問の結果には、これらの事実を否定する内容の記述及び供述が見られるが、右証人四名の各供述及び右乙号各証の記述はいずれも客観性を有するか疑問がある。

(二)(1) そこで、原告山本の問題点について検討するに、前掲<書証番号略>、原告山本本人尋問の結果を総合すれば、原告山本は、クラシック音楽を愛好していたことから、被告会社に正社員として入社してから間もない同三七年七月に高崎労音の東電サークルに所属して労音会員となり、同四一年には高崎労音サークル代表者となって例会の企画に携わってきたが、その傍ら、労音主催の合宿の学習会に参加して、平和運動、民主的社会運動に関心を持つようになり、また、同三七年五月に原告山本の勤務する高崎営業所に、東電労組群馬支部前橋分会青年婦人部活動家であった原告桑原が異動してきたのを機に、同原告とともに青年婦人部活動に積極的に参加するとともに、労使関係、平和主義等に関する学習会に参加し、さらに同三九年七月ころ、原告桑原らに勧められて民青に加盟し、その後は平和運動への参加、労働者の地位向上のための活動等に奔走しつつ、東電労組役員選挙においては原告桑原、原告倉賀野らの左翼的活動家を、また、公職選挙においては共産党系候補者をそれぞれ応援する活動を行う一方、同四七年二月に群馬県高崎市正観寺町内の正観寺団地に転居したのを機に、同四八年八月、同団地の生活環境の向上のために団地自治会を組織させてその役員に選出されるなど、生活環境作りに取り組みつつ、同四五年一月に出生した長女を無認可保育園に預けざるを得なかったのを契機として、保育問題に取り組んでいた「新日本婦人の会」のメンバーらとともに、無認可保育園への助成、公立の長時間保育園作りを高崎市等に要請する運動を続けた結果、同四七年春、長女が通園していた保育園に対する国の認可を受けるに至り、それに伴って保育園の新築を目指して土地及び資金等の確保に奔走して、同四八年春、福祉法人「おひさま保育園」の開設を実現させて、設立時から同五二年まで同保育園の理事として活動するなどしていた事実が認められる。

原告山本のこれらの活動状況及び前掲<書証番号略>、証人高橋茂美の証言を総合すれば、原告山本は、他の従業員の応援検針について、非協力的であり、被告会社と東電労組が合意した後も検針業務の委託化に反対する旨広言し、勤務時間中に選挙用のビラを配布したことが認められる。

また、右認定事実に加え、<書証番号略>を併せ考慮すれば、原告山本は、休暇について、他の従業員の繁忙をあまり考慮せずに取得していたことが認められる。

(2) 前掲<書証番号略>、証人関直吉、同丸橋久雄、同田中文明の各証言及び原告山本本人尋問の結果を総合すれば、原告山本は書類記入の際に記載ミスを犯すことが少なからずあり、被告会社高崎営業所、藤岡営業所勤務を通じて、度重なる遅刻をし、電話で受けた連絡事項を主任に報告しなかったり、勤務時間中に、宿直者用の浴室で入浴し、あるいは趣味の読書をしていたこと、倉出し入れの際、ヘルメットを着用しなかったり、サンダルばきでフォークリフトを運転するなど安全な服装を守らないことがあったことが認められる。

(3) <書証番号略>及び原告山本本人尋問の結果を総合すれば、原告山本は、同五七年一一月二六日に酒気帯び運転の現行犯で逮捕され、同年一二月一〇日に罰金四万円の刑事処分及び同五八年一月一九日に一年間の免許取消処分を受けたにもかかわらず、これを被告会社に報告しないまま、同年六月七日に無免許で業務上の車両運転を行い、被告会社より、同年九月一二日付けでけん責処分を受けた事実が認められる。

(三)(1) 一方、原告山本の勤務上他の従業員より優れていた点について、証拠上認定し得るものは、特段見当たらないといわざるを得ない。

(2) <書証番号略>、原告山本本人尋問の結果及び<書証番号略>によれば、原告山本は、電気理論に精通しており、電気専門書の誤植を指摘し、同書の発行所から礼状を受け取ったことが認められるが、これは、原告山本が理論面においては精通していることを示すにとどまり、その能力を職務遂行に生かしたことの立証がないことから、これにより、原告山本の勤務状況が優れていたと認めることはできない。

(四)(1)  以上によれば、原告山本の勤務振りは、特に優れた点が見当たらない反面、執務態度、仕事の質及び量の点で問題があったものであるから、原告山本の職務遂行能力及び業績は同期同学歴の従業員中平均に達していたと認めることはできない。

(2)  しかし、原告山本についても、原告青木について述べたところと同様、被告会社の賃金決定における裁量権を考慮に入れても、被告会社の労務政策及び原告山本に対し現実に支払われた賃金額(これについては当事者間に争いがない。)に照らせば、被告会社は、原告山本に対する業務査定を行うに際し、主として原告山本の思想を問題視し、その実際の職務遂行能力及び業績よりも相当低い査定を施していたことは明らかである。

六請求の無原因5について判断する。

1  被告会社の人事諸制度が個々の従業員に対する賃金等の処遇に格差を生ぜしめることを当然に予定としている制度があったとしても、それをもって、直ちに、原告らの賃金格差が職務遂行能力及び勤務成績による格差であると事実上推定すべきいわれはなく、このような推定をするかどうかは裁判所の自由な心証形成に委ねられるものである。

2 ところで、原告らは、本訴において、賃金差別に基づく損害賠償として、原告らがそれぞれ同期同学歴者中の平均的能力を有すると目される従業員と同等の勤務成績を有していたことを前提として、原告らの主張する「平均賃金」に基づき算定した額を請求している。

しかし、前述のとおり、原告らは、いずれもその職務遂行能力又は業績において、同期同学歴者中の平均的能力を有する従業員と同等の勤務成績を有していたと認めることができないのである。

加えるに、仮に、原告らが主張するとおりの「平均賃金」に基づき原告らが賃金差額を受けることができるとすると、被告の主張2(一)(3)及び(4)のような不合理なことも生じかねないので、原告らの右算定方法による損害額の請求は認めることができない。

また、前述のとおり、被告会社は、原告らに対し、それぞれ賃金差別査定を行っていた事実が認められるが、他方、弁論の全趣旨によれば、原告らが差別額として主張している額の全体が思想信条に基づく差別ではなく、右差別額の中には職務遂行能力及び業績に基づく査定の結果生じた部分も含まれているものと認められ、その結果、原告らが差別額として主張する額には、被告会社の差別行為に基づく部分と査定行為に基づく部分とが混在するのであり、そのうち、どの部分が差別行為によって生じた部分であるかを特定する必要があるところ、この点につき原告らの主張及び立証も尽くされておらず、結局、被告会社の差別行為に基づく原告らの給与上の損害額を正確に算定することは不可能と言わざるを得ない。

3 以上によれば、本訴請求のうち、差別賃金相当分の損害賠償請求に関する部分については、その余の点について判断するまでもなく、これを認めることはできない。

七請求の原因6について判断する。

1  被告会社が、労使関係における協調的関係を保とうとして、左翼的勢力抑制の労務政策を採り、様々な具体策を講じてきたことは、既に述べたとおりであるが、原告らに対し、右具体策のうち、人権侵害行為が行われたと認定するには、被告会社の個々の原告に対する具体的な侵害の意思があったことが立証される必要がある。

2  請求の原因6で主張されている事実は、いずれも各原告作成の陳述書又は各原告本人尋問の結果において記述又は供述されているところ、前記認定の被告会社の労務政策に照らせば、原告らは、それぞれ思想を理由に被告会社から不利益を受けていたことは十分うかがわれるが、他方、その不利益から察しうる原告らの被告会社に対する強い悪感情を考慮すれば、右各陳述書及び各原告本人尋問の結果により、直ちに原告ら主張事実をそのまま認定することは相当でないというべきである。

3  進んで、各主張事実について判断する。

(一)(1) 請求の原因6(一)(1)の事実中、配転の事実については当事者間に争いがなく、原告青木がその主張のような活動の中心となっていたことは、前記認定事実及び弁論の全趣旨により明らかであるが、その余の点、すなわち被告会社の意図についてはこれを認めるに足りる証拠がない。

(2) 同(一)(2)及び(3)の各事実については、前掲<書証番号略>、原告青木本人尋問の結果(第二回)及び前掲<書証番号略>の間において、同原告の記述内容及び供述内容にかなり変遷が見られ、これらにより認定することは難しく、他に、これらを認めるに足りる証拠がない。

(二)(1) 同(二)(1)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告安藤本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、これを裏付けるに足りる証拠がなく、前掲<書証番号略>に照らしても、これを認めることはできない。

(2) 同(二)(2)の事実については、被告会社が関与したことを認めるに足りる証拠がない上に、前掲<書証番号略>によれば、原告安藤の結婚式には、同原告の所属していた前橋通信所長杉本喜八も出席し祝辞を述べたことが認められるのでこれを認めることはできない。

(3) 同(二)(3)の事実については、前掲<書証番号略>及び証人藤井要の証言によれば、原告安藤は、緊急応動に対する協力を拒んでいたことが認められ、そうだとすれば、原告安藤の社宅入居が認められなかった原因が差別によるものか疑わしく、これを認めることはできない。

(4) 同(二)(4)①及び②の各事実については、前掲<書証番号略>及び原告安藤本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、被告会社があえて原告安藤を排除したことを認めるに足りる証拠がないので、これを認めることはできない。

(三)(1) 同(三)(1)の事実中、原告飯田に対しけん責処分がなされたことは、当事者間に争いがないところ、その原因となった川面次男に対するけん責処分は、先に述べたように、その処分理由も一応肯定し得ないものではなく、その点を考慮すれば、原告飯田の配布行為に問題があったことも事実であって、その真の目的が、原告飯田の左翼活動を押さえ付けることにあったと認めるに足りる証拠はないので、これを認めることはできない。

(2) 同(三)(2)①の事実については、前掲<書証番号略>によれば、原告飯田作成の日記に、その旨の記載があることから、そのような発言があったものと認められるが、発言者松本の真意が明らかでなく、右各発言を見る限りでは、原告飯田に対し、松本が単に反共的態度を威勢よく示したにすぎないとも解釈し得るものであり、これを被告会社の原告飯田個人に対する転向強要と認めることは難しい。

また、同(三)(2)②の事実については、前掲<書証番号略>によれば、原告飯田作成の同三九年九月七日付け日記に「よってたかってアカ攻撃にはまいった。」という記載が見られるものの、その後には「杉田さんという人も特ちょうのあるおもしろい人だ」などと記載され、他方、その前の部分には「活動家に対する攻撃ははっきりとやらなかった。」との記載があることが認められるので、これらによって原告飯田に対し転向の強要がされたと認めることはできないし、他に転向強要の事実を認めるに足りる証拠はない。

(3) 同(三)(3)の事実については、前掲<書証番号略>、原告飯田本人尋問の結果(第二回)を総合すれば、これを認めることができる。

(4) 同(三)(4)の事実については、被告会社が関与したことを認めるに足りる証拠はない。

(四)(1) 同(四)(1)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告市川本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述もあるが、同原告本人尋問の結果によれば、原告市川は、被告会社の費用で自動車運転免許を取得し、配電係長山岸らから原告主張のように話があった際にも転向強要とまで受け取らず、思想問題について答えなかったことが認められるので、これを被告会社の原告市川に対する転向強要と認めることは難しい。

(2) 同(四)(2)の事実については、原告市川本人尋問の結果によれば、原告市川は、第三回電力キャンプに参加するつもりでいたところ、実母が急病になったために参加ができなかったこと、しかも、実母の病状を直ちに上司に連絡しなかったことが認められ、このような事情のもとで、主任辻重夫や配電課長新井芳次郎が原告市川に対し、同原告が主張するような言動をしたとしても、これを被告会社の干渉であると認めることは難しい。

(3) 同(四)(3)の事実については、前掲<書証番号略>、原告市川本人尋問の結果及び<書証番号略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、これを認めることができる。

(4) 同(四)(4)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告市川本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、<書証番号略>、前掲<書証番号略>、証人山岸雄の証言に対比するとにわかに採用することができず、これを認定することは難しい。

(五)(1) 同(五)(1)①ないし③の各事実については、前掲<書証番号略>及び原告兼松本人尋問の結果中にこれに沿う記述及び供述があるが、これらを裏付けるに足りる証拠がなく、これらを認めることはできない。

(2) 同(五)(2)①及び②の各事実中、各配転の事実については当事者間に争いがないが、同①については、原告兼松本人が営業係への転勤は栄転であることを自認しているし、同②については、<書証番号略>に照らすと、被告会社の意思についてこれを認めることができない。

(3) 同(五)(3)①②の各事実については、前掲<書証番号略>及び原告兼松本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、前掲<書証番号略>及び弁論の全趣旨に照らすと、にわかに右記述及び供述を採用することはできない。

(4) 同(五)(4)①及び②の事実については、弁論の全趣旨によれば、原告兼松が被告会社の費用で研修に参加できなかったことは認められるが、前掲<書証番号略>及び弁論の全趣旨に照らすと、それが原告兼松の主張するとおりの事由によるものか疑わしく、これを認めることはできない。

(六)(1) 同(六)(1)①ないし③の各事実については、前掲<書証番号略>、原告倉賀野本人尋問の結果及び<書証番号略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、これを認めることができる。

(2) 同(六)(2)①ないし③の各事実については、前掲<書証番号略>及び原告倉賀野本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、これを裏付けるに足りる証拠がない上、前掲<書証番号略>に照らすと、これらを認めることができない。

(3) 同(六)(3)①及び②の各事実中、各配転の事実については当事者間に争いがないが、前掲<書証番号略>及び原告倉賀野本人尋問の結果によれば、原告倉賀野の他にも同日付で人事異動した者があり、それらと対比すると、にわかに原告倉賀野の主張するような不当配転であると認めることはできない。

(七)(1) 同(七)(1)①及び②の各事実については、前掲<書証番号略>の記述及び原告桑原本人の供述中にこれに沿う部分もあるが、<書証番号略>を総合すれば、原告桑原の右供述内容が時期的にも食い違っていることが認められる上、右各事実を裏付けるに足りる証拠がないから、これらを認めることができない。

(2)① 同(七)(2)①の事実については、前掲<書証番号略>中にこれに沿うような記述があるが、これを裏付けるに足りる証拠がなく、これを認めることはできない。

② 同(七)(2)②の事実については、前掲<書証番号略>、原告桑原本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、これを認めることができる。

(3) 同(七)(3)の事実中、配転の事実については当事者間に争いがなく、その余の事実は、前掲<書証番号略>、原告桑原本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、これを認めることができる。

(4) 同(七)(4)の事実については、前掲<書証番号略>中にこれに沿うような記述があるが、これを裏付けるに足りる証拠がない上、<書証番号略>に照らすと、これを認めることはできない。

(八)(1) 同(八)(1)①及び②の各事実中、各配転の事実については当事者間に争いがないが、同①については、前掲<書証番号略>に照らし、同②については、前掲<書証番号略>に照らすと、その余の事実を認定することは難しい。

(2) 同(八)(2)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告田村本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、これ裏付けるに足りる証拠がなく、これを認めることはできない。

(3) 同(八)(3)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告田村本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、前掲<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、前橋補修所長力石松雄は、個人的な立場で原告田村に意見を述べたと認めることもできるので、右事実を認定することは難しい。

(九)(1) 同(九)(1)①及び②の各事実中、各配転の事実については当事者間に争いがないが、同①については、<書証番号略>に照らし、同②については、前掲<書証番号略>に照らすと、その余の事実を認定することは難しい。

(2) 同(九)(2)の事実については、原告千綿本人尋問の結果中には、これに沿うような供述があるが、これを裏付けるに足りる証拠がなく、これを認めることはできない。

(3) 同(九)(3)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告千綿本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、これを裏付けるに足りる証拠がない上、前掲<書証番号略>に照らすと、これを認めることはできない。

(一〇)(1) 同(一〇)(1)①ないし④の各事実については、前掲<書証番号略>及び原告富所正義、同富所陽子各本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、これらを裏付けるに足りる証拠がなく、これらを認めることはできない。

(2) 同(一〇)(2)の事実については、前掲<書証番号略>、原告富所正義本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、前掲<書証番号略>に照らすと、これを認めることはできない。

(3) 同(一〇)(3)の事実中、配転の事実については当事者間に争いがないが、原告富所正義は、本人尋問において、子供らを市立第四保育所又はあゆみ保育園に送り迎えしたのは、主として妻である原告富所陽子であると供述するので、その前提において疑問があり、これを認めることはできない。

(一一)(1) 同(一一)(1)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告富所陽子本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、被告会社群馬支店の新社屋建築に際しては、当初から原告富所陽子の主張に反した間仕切り構造であったことが認められる上、被告会社が、原告富所陽子及び他一名の従業員のためにあえて社屋の改造まで行なうことは、非現実的といわざるを得ず、同原告の異動後に間仕切りを木製のものに戻した事情でも認められれば格別、このような事情も認められないので、右主張事実を認めることはできない。

(2) 同(一一)(2)①及び②の各事実中、各配転の事実については当事者間に争いがないが、<書証番号略>によれば、原告富所陽子以外に、被告会社の女子従業員が妊娠中に異動した例があったことが認められ、原告富所陽子の異動が特殊例ではないことがうかがわれる上、前掲<書証番号略>に照らすと、これを認めることはできない。

(3) 同(一一)(3)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告富所陽子本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述もあるが、これを裏付けるに足りる証拠がないから、これを認めることはできない。

(一二)(1) 同(一二)(1)①ないし③の各事実については、前掲<書証番号略>及び原告橋本本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、これらを裏付けるに足りる証拠がなく、同①については、<書証番号略>に照らしても、これらを認めることはできない。

(2) 同(一二)(2)の事実については、原告橋本が社宅に入居できなかったことは、弁論の全趣旨により明らかであるが、<書証番号略>に照らすと、原告橋本が社宅に入居できなった理由が同人の転向拒否を理由とするものか疑わしく、これを認めることはできない。

(3) 同(一二)(3)①及び②の各事実中、配転の事実については当事者間に争いがなく、前掲<書証番号略>及び原告橋本本人尋問の結果によれば、原告橋本は、妻と共働きをしており、第二子及び第三子が生まれたこと、各配転によって通勤が困難となったことは認められるが、前掲<書証番号略>及び弁論の全趣旨に照らすと、原告橋本の右配転については同人の将来を考慮した点も認められるので、右各配転を不当なものであると認めることはできない。

(4) 同(一二)(4)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告橋本本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、証人田久政男の証言によれば、原告橋本は、右講習会に参加し、電気工事士の資格を取得していることが認められ、この事実に照らすと、右主張事実は認められない。

(一三) 同(一三)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告福井本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、他方、原告福井は、同五二年五月二四日付原告準備書面(二)及び同年一一月二九日付原告準備書面(六)において、右事実は同四二年二月のこととして主張していたことが明らかである上、前掲<書証番号略>に照らすと、右事実があったか疑わしく、これを認めることはできない。

(一四)(1) 同(一四)(1)の事実については、前掲<書証番号略>によれば、同四〇年四月の東電労組群馬支部渋川分会の支部代議員選挙の過程が原告本木茂本人の供述どおりではなかったこと及び同支部代議員に当選したのは栗原秀男ではなく、星野安彦であったことが認められるので、これを認めることはできない。

(2) 同(一四)(2)①及び②の各事実については、前掲<書証番号略>、原告本木茂本人尋問の結果および<書証番号略>の間において、右①の時期に関する原告本木茂の供述にかなり変遷が見られる上、これらの事実に沿う右甲号各証及び同原告本人の供述を裏付けるに足りる証拠がないから、これを認めることはできない。

(3) 同(一四)(3)の事実については、前掲<書証番号略>、原告本木茂、同本木八千代各本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、これを裏付けるに足りる証拠がないから、これを認めることはできない。

(4) 同(一四)(4)の事実中、配転の事実については当事者間に争いがないが、右配転が「玉突き配転」であり不当なものであるとする点については、これを認めるに足りる証拠がない。

(5) 同(一四)(5)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告本木茂本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、これを裏付けるに足りる証拠がない上、前掲<書証番号略>に照らすと、これを認めることはできない。

(6) 同(一四)(6)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告本木茂本人尋問の結果中には、これに沿うような記述及び供述があるが、これを裏付けるに足りる証拠がない上、<書証番号略>に照らすと、これを認めることはできない。

(一五)(1) 同(一五)(1)の事実については、同(一四)(3)の事実について前述したとおり、これを認めることはできない。

(2) 同(一五)(2)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告本木八千代本人尋問の結果によれば、これを認めることができる。もっとも、<書証番号略>によれば、原告本木八千代の受験しようとした三類検定の実施日は同三九年八月六日と認められるところ、原告本木八千代は、本人尋問において、被告会社の会計係長萩原作太郎から妨害を受けたのは、八月五日よりも後だったと思う旨供述しており、同供述に従う限り、右妨害行為は検定実施日よりも後になるという矛盾が生じるが、同原告本人尋問における妨害時期についての前記供述は、日にちの点のみ、古いことでもあり、不正確なものと認められ、そうすれば、右矛盾は解消されることになる。

なお、<書証番号略>によっても、右認定を覆すことはできない。

(一六)(1) 同(一六)(1)の事実については、前掲<書証番号略>には、原告桑原が、同三七年五月一五日付けで高崎営業所に異動してくる際に、原告山本は、検針事故員今井正夫から「今度来る桑原は共産党員だから親しくするな。」と述べられた旨記述されているが、被告会社が右今井にこれを命じ又は支持したと認めるに足りる証拠はないので、これを認めることはできない。

(2) 同(一六)(2)ないし(4)及び(6)の各事実については、前掲<書証番号略>には、これに沿うような記述があるが、これらを裏付けるに足りる証拠がないから、これらを認めることはできない。

(3) 同(一六)(5)の事実については、前掲<書証番号略>によれば、原告山本は、同四一年七月一七日の夕方から翌一八日の朝まで、第三回電力キャンプに参加したことが認められるが、前掲<書証番号略>によれば、被告会社群馬支店作成の右参加者リストには同原告の氏名が記載されていないことが認められ、原告山本は、被告会社から、右キャンプ参加者として把握されていなかったことがうかがわれ、被告会社が、写真撮影により右参加者を把握しようとしたとしても、それは、原告山本の参加していない時間帯に行われたものと推認され、したがって、原告山本は写真撮影の対象となっていなかった以上、被告会社の右行為は原告山本に対する不法行為になるとはいえない。

(4) 同(一六)(7)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告山本本人尋問の結果中にこれに沿うような記述及び供述があるが、これを裏付けるに足りる証拠がないから、これを認めることはできない。

(5) 同(一六)(8)の事実については、前掲<書証番号略>及び原告山本本人尋問の結果中にこれに沿うような記述及び供述もあるが、被告会社の働き掛けがあったことを裏付ける証拠がない上、右証拠によれば、原告山本が、当時、若いグループの最年長であった木村嘉治に対し、職場の仲間と労音の仲間と同数の実行委員で同原告の結婚式の企画、運営を依頼したところ、右木村から労音と一緒では手を引くと述べられたことが認められ、この事実によれば、結婚式に招待された者が、労音の者を嫌うあまり、欠席したとも考えられるので、これを認めることはできない。

(6) 同(一六)(9)の事実については、前掲<書証番号略>にこれに沿うような記述があるが、これを裏付けるに足りる証拠がないから、これを認めることはできない。

八請求の原因7の違法性について判断する。

1 一般に、会社が従業員をどのような職務に任用し、いかなる賃金査定を行うかは、会社の業務運営上の必要性の観点から決せられるべき問題であり、どのような職務任用を行うことが会社の業務運営にとって適切といえるかの判断は、多分に経営上及び人事管理上の判断が大きな比重を占めていることからすれば、従業員の任用は、個々の従業員の服務及び職務遂行能力のみから画一的に決せられるべきものではなく、むしろ基本的には会社の裁量権に委ねられるべきものであり、とりわけ、被告会社のような私企業においては、営業の自由及び契約の自由の規則が働くことをも考慮すれば、右裁量の余地は、国又は公共団体における任用の場合と比較して、より大きいということができる。

2 ところで、憲法一四条は、思想、信条による差別待遇を禁止し、同法一九条は、思想の自由を侵すことを禁止し、さらに、同法二一条は、言論等一切の表現の自由を保障しているが、憲法の右各条項は、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであって、私人相互間の関係を直接規律するものではないと解するのが相当である。したがって、私人間において、思想信条に基づく差別行為又は思想の自由を侵害する行為がなされたとしても、直ちに右各条項を適用又は類推適用することはできない。

しかしながら、労働基準法三条は、使用者が、労働者の信条等を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱いをすることを禁止していることに加えて、前掲<書証番号略>によれば、被告会社及び東電労組間において締結された労働協約六条には、被告会社は、従業員に対し、政治的信条等を理由として差別待遇をしない旨定められており、しかも、被告会社は原則的にユニオン・ショップ制を採用し(同協約二条二項参照)、全従業員について右協約が適用されると認められることに照らせば、被告会社は、従業員の思想信条の自由を侵してはならず、また、これらを理由に、差別待遇をしてはならないのである。このように、被告会社が従業員の思想信条による差別的取扱いをしてはならないということは、労働基準法により公序を形成しているばかりでなく、被告会社の労働協約上の義務ともなっているのである。仮に、会社の経営秩序の維持、生産性の向上の観点から従業員の思想信条が問題とされる場合であっても、右思想信条が原因となって、被告会社の経営秩序、生産性を阻害するような現実かつ具体的危険が認められる場合でない限り、思想信条の自由を制約する等の行為は許されないのである。

3 そうすると、被告会社が、原告らに対し、前述のとおり、その思想信条を主たる理由として差別意思の下に不利益な賃金査定を行ったこと及び思想信条の自由を侵す人権侵害行為を行ったことは民法九〇条に違反するものとして違法性を帯び、不法行為を構成するものというべきである。

第二抗弁について

一抗弁の2の事実は、当事者間に争いがない。

二同3の事実は、当裁判所に顕著である。

第三消滅時効の抗弁に対する原告らの反論について

被告会社が原告らに対して行ってきた個々の賃金差別行為及び人権侵害行為が、被告会社から左翼的勢力を駆逐するという単一の目的意思の下に行われてきたことは、前掲認定事実により、明らかであるが、原告らに精神的苦痛を与える原因となった右加害行為は、被告会社による個々の行為であって、原告らの精神的損害もその都度新たに発生するというべきであるから、原告らが損害及び個々の行為が行われたことを知った時から消滅時効が進行を始めると解するのが相当である。

そして、前掲各証拠によれば、被害者である原告らが、その損害及び被告会社が加害者であると知ったのは、被告会社が職制を通じて個々の行為を行ったころと認められるから、前記第一の七で認定した人権侵害行為に基づく損害賠償請求権については、いずれも消滅時効期間が経過していることは明らかである。

第四再抗弁について

一原告らが再抗弁1ないし3として主張する事実は、個別的にみても、これを総合しても、被告会社の消滅時効の援用が権利濫用となる基礎事実に当たると解することはできない。すなわち、

1  同1の事実については、民法七〇九条は不法行為について、故意による行為と過失による行為とに差異を設けていないから、故意によることを重視して、これを理由に権利濫用とすることはできない。

2  同2の事実については、仮にこれが認められたとしても、同事実は、本件不法行為に限って認められる事情とはいえない上に、他にも、企業を被告とする不法行為について、消滅時効が認められた事例も少なからずあることは顕著な事実であり、これらの事件との比較において、前記事実を、権利濫用を基礎付ける事実であると認めることは難しい。

3  同3の事実については、民法一四七条が時効の中断事由を限定し、同法一五三条が催告の時効中断効を弱いものと定めていることに照らせば、原告らの問いただし又は苦情処理の申立て等は、いずれも裁判外の請求に当たるものであり、民法が証拠収集の困難性を時効中断に関し明記していないことからすれば、これをもって、時効援用権の濫用を基礎付ける事実とは認め難い。

二なお、本件全証拠を検討しても、被告会社の本件時効の援用が権利の濫用であると認めることはできないから、原告らの権利濫用の主張は、採用することができない。

第五損害額等について

一原告らは、被告会社の不法行為によって各自の被った精神的損害を慰謝するには、他の慰謝料請求事案との均衡を考慮して、その下限を表現する趣旨で各自三〇〇万円が相当であると主張しているものと認められるから、このような慰謝料額の請求も許容されるものと解するのが相当である。

前述のように、原告らの本訴請求のうち、差別賃金相当分の請求にかかる部分については、認められないが、被告会社が、原告らに対し、その思想信条を理由に違法な賃金査定を行っていたこと及びそれにより原告らがいずれも本来受けるべき賃金額よりも低額な賃金しか受給していなかったこと(その具体的金額が算定できないことは、既に述べたとおりである。)については少なくとも認めることができ、弁論の全趣旨によれば、原告らは、右違法な査定に基づき重大な精神的苦痛を被ったことが明らかである。

そして、前記認定の査定差別の態様のほか、本件記録上うかがわれる原告らの諸事情をそれぞれ考慮すると、原告らの右精神的損害に対しては、原告それぞれにつき金二四〇万円をもって慰謝するのが相当である。

二原告らの名誉毀損については、前項で認容した慰謝料の支払いをもっててん補され得るものというべきであり、それ以上に本件謝罪文の掲示等の必要性を認めることはできない。

三弁護士費用については、原告らが原告訴訟代理人らに本件訴えの提起及び訴訟の追行を委任したことは、本件記録上明らかであり、本件訴訟の経過、難易度等を考慮すれば、本件不法行為と相当因果関係の範囲と認められる弁護士費用は、右認容額の一割に当たる原告各自二四万円とするのが相当である。

なお、弁護士費用の弁済期については、原告らの主張する時期を認めるに足りる証拠はないが、弁論の全趣旨によれば、遅くとも本判決が確定した日と認められる。

第六結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、原告らが被告に対し、損害賠償として、それぞれ金二六四万円及び内金二四〇万円に対する弁済期の経過した後である昭和五一年一〇月三〇日から、内金二四万円に対する本判決が確定した日の翌日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから認容し、その余はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条を、仮執行の宣言につき、同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川波利明 裁判官髙橋祥子、同柴﨑哲夫はいずれも職務代行を解かれたため、署名捺印できない。裁判長裁判官川波利明)

別紙原告訴訟代理人目録

弁護士 佐藤義彌

山本真一

安西一三

秋山信彦

小島成一

小林亮淳

坂本修

高橋融

今村征司

松井繁明

牛久保秀樹

大森鋼三郎

小池振一郎

斉藤健児

竹中喜一

二上護

林勝彦

仁藤峻一

大熊政一

久保田昭夫

清水恵一郎

豊田誠

菊地紘

小林幹治

島田隆英

江藤鉄兵

紙子達子

小見山繁

椎名麻紗枝

福本嘉明

向武男

岡部保男

橋本紀徳

矢花公平

清見栄

坂井興一

船尾徹

宮川泰彦

市来八郎

亀井時子

大川隆司

川上耕

小池通雄

小林和恵

阪口徳雄

沢藤統一郎

清水順子

村野守義

山本政明

岡村親宜

内藤功

山田裕祥

小林良明

飯塚和夫

窪田之喜

斉藤展夫

佐治融

関島保雄

木村廉定

戸張順平

二瓶和敏

山下登司夫

飯田幸光

清野順一

須藤正樹

寺村恒郎

浜口武人

松本善明

渡部照子

我妻真典

荒川晶彦

石野隆春

茨木茂

川村武郎

木村晋介

古城春実

永瀬精一

塙悟

平山知子

山内忠吉

畑山穣

川又昭

稲生義隆

根岸義道

堤浩一郎

猪俣貞夫

輿石英雄

横山国男

星山輝男

木村和夫

林良二

三浦守正

山内道生

陶山圭之介

陶山和嘉子

宮伐洋一

佐伯剛

谷口隆良

谷口優子

高荒敏明

若林正弘

山本安志

根本孔衛

杉井厳一

篠原義仁

児嶋初子

畑谷嘉宏

村野光夫

永尾広久

長谷川宰

野村正勝

中込泰子

増本一彦

増本敏子

庄司捷彦

岡村共栄

岡村三穂

一木剛太郎

池田輝孝

柴田睦夫

石井正二

河本和子

鈴木守

北光二

佐藤鋼造

関静夫

高橋勲

高橋高子

白井幸男

藤野善夫

守川幸男

田村徹

後藤裕造

小高丑松

倉内節子

瑞慶山茂

西山明行

飯野春正

田見高秀

野上恭道

野上佳世子

大塚武一

金井厚二

廣田繁雄

吉村駿一

小林勝

春山典勇

高坂隆信

白井巧一

池末登志博

杉原信二

石田吉夫

茂木敦

樋口和彦

嶋田久夫

寺島勝洋

関本立美

小笠原忠彦

加藤啓二

岩崎功

岩下智和

武田芳彦

木下哲雄

内村修

大門嗣二

上条剛

坂東克彦

別紙被告訴訟代理人目録

弁護士 橋本武人

田多井啓州

馬場東作

高津幸一

山本孝宏

宇田川昌敏

牛嶋勉

河村貞二

渡辺修

竹内桃太郎

吉澤貞男

山西克彦

富田武夫

成富安信

田中等

江川勝

石川常昌

太田恒久

吉益信治

伊藤昌毅

大下慶郎

別表1の1

入社年度別

組合員平均基本給・職級一覧表(高卆)(昭和48年~57年)

基本給 東労実態調査:学歴・年令別基本給1/2位数(10円単位四捨五入)

職級 〃  〃 学歴別・職級別・勤続年数別人員表の中位数

単位 百円

年度

昭和48年度

49

50

51

52

53

54

55

56

57

入社

年度

基本給

基本給

基本給

基本給

基本給

基本給

基本給

基本給

基本給

基本給

22年

5

1104

5

1339

4

1503

4

1619

4

1742

4

1824

3

1910

3

1991

3

2102

3

2189

23

5

1089

5

1323

4

1487

4

1602

4

1726

3

1811

3

1887

3

1973

3

2103

3

2197

24

5

1061

5

1296

5

1451

4

1565

4

1706

3

1801

3

1880

3

1977

3

2103

3

2198

26

5

939

5

1214

5

1373

5

1488

4

1643

3

1735

3

1823

3

1920

3

2045

3

2125

27

5

973

5

1196

5

1360

4

1480

3

1623

3

1722

3

1813

3

1916

3

2059

3

2169

28

5

961

5

1182

5

1350

5

1465

4

1616

3

1724

3

1823

3

1933

3

2076

3

2175

29

5

933

5

1152

5

1319

5

1433

4

1576

3

1685

3

1782

3

1904

2

2061

2

2178

30

6

892

6

1098

5

1255

5

1367

4

1507

4

1623

4

1715

3

1820

2

1991

2

2125

31

6

868

6

1073

6

1223

6

1331

4

1469

4

1585

4

1677

4

1784

3

1922

2

2077

32

6

838

6

1039

6

1190

5

1300

5

1432

4

1544

4

1637

4

1742

3

1887

2

2019

33

6

827

6

1029

6

1180

6

1289

5

1419

4

1533

4

1623

4

1736

3

1882

3

2015

34

7

805

6

1002

6

1150

6

1259

5

1387

4

1509

4

1602

4

1711

3

1860

3

1993

35

7

788

7

976

6

1122

6

1233

6

1350

4

1471

4

1569

4

1676

4

1820

3

1949

36

7

763

7

948

7

1088

6

1198

6

1313

5

1415

4

1511

4

1632

4

1775

4

1897

37

8

725

7

909

7

1044

7

1143

6

1257

6

1353

6

1435

5

1547

4

1698

4

1820

38

8

687

8

860

7

994

7

1092

7

1195

6

1296

6

1373

6

1468

5

1606

4

1748

39

8

652

8

820

8

948

7

1050

7

1150

7

1239

6

1327

6

1419

6

1547

5

1682

40

8

617

8

786

8

909

7

1008

7

1110

7

1195

6

1286

6

1376

6

1498

5

1621

41

9

584

8

752

8

875

8

962

7

1069

7

1152

7

1232

6

1333

6

1451

6

1559

別表1の2

入社年度別

組合員平均基本給・職級一覧表(中学卆)(昭和48年~57年)

基本給 東電労組実態調査 学歴別・年令別基本給1/2位数(10円単位四捨五入)

職級 東電労組実態調査 学歴別・職級別・勤続年数別人員表の中位数

単位 百円

年度

昭和48年度

49

50

51

52

53

54

55

56

57

入社年度

基本給

基本給

基本給

基本給

基本給

基本給

基本給

基本給

基本給

基本給

23年

7

884

6

1071

6

1218

6

1318

5

1433

5

1526

5

1593

5

1675

4

1783

4

1882

別表2

資格段階・等級・対応職級表

資格段階

第級

対応職級

参与

参事

(1)~(7)

主事・技師

(1)

(2)

(3)

(4)

1

(5)

2

(6)

3

主事補・技師補

(1)

4

(2)

5

(3)

6

書記・技手

(1)

7

(2)

8

書記補・技手補

(1)

9

(2)

10

事務員・工務員

(1)

11

(2)

12

昭和47年10月1日

別表3の1

入社年度別 組合員平均資格一覧表(高卆)(昭和48年~57年)

(東労実態調査:学歴・勤続・資格別人員・中位数)

48~54/4 主事=技師、主事補=技師補、書記=技手、書記補=技手補

54/10~ 特任=特任主事・技師、主事以下は同上、但し手当区分をあらわす

年度

入社年度

昭和48年

49

50

51

52

53

54

55

56

57

4/1

10/1

4/1

10/1

4/1

10/1

4/1

10/1

4/1

10/1

4/1

10/1

4/1

10/1

4/1

10/1

4/1

10/1

4/1

22年

主事補2

主事6

主事6

主事6

主事6

主事6

主事6

主事5

主事5

主事(7)

主事(7)

特任(1)

特任(1)

特任(1)

23

主事補2

主事6

主事6

主事6

主事6

主事6

市事6

主事5

主事5

主事(7)

主事(7)

特任(1)

特任(1)

特任(1)

24

主事補1

主事補1

主事6

主事6

主事6

主事6

主事6

主事5

主事5

主事(6)

主事(6)

特任(1)

特任(1)

特任(1)

26

主事補2

主事補1

主事補1

主事補1

主事6

主事6

主事6

主事6

主事5

主事5

主事(6)

主事(6)

特任(1)

特任(1)

特任(1)

27

主事補2

主事補1

主事補1

主事補1

主事6

主事6

主事6

主事6

主事5

主事5

主事(6)

主事(6)

特任(1)

特任(1)

特任(1)

28

主事補2

主事補2

主事補2

主事補1

主事補1

主事7

主事7

主事7

主事6

主事6

主事5

主事5

主事(6)

主事(6)

特任(1)

特任(1)

特任(1)

29

主事補2

主事補2

主事補2

主事7

主事7

主事7

主事6

主事6

主事5

主事5

主事(6)

主事(6)

特任(1)

特任(1)

特任(1)

30

主事補3

主事補2

主事補2

主事補2

主事7

主事7

主事7

主事7

主事5

主事5

主事(5)

主事(5)

主事(6)

主事(6)

主事(6)

31

主事補3

主事補3

主事補2

主事補2

主事補1

主事補1

主事7

主事7

主事7

主事6

主事6

主事(4)

主事(4)

主事(5)

主事(5)

主事(5)

32

主事補3

主事補3

主事補2

主事補2

主事補1

主事補1

主事7

主事7

主事7

主事6

主事6

主事(4)

主事(4)

主事(4)

主事(5)

主事(5)

33

主事補3

主事補3

主事補2

主事補2

主事補1

主事補1

主事補1

主事7

主事7

主事6

主事6

主事(4)

主事(4)

主事(4)

主事(5)

主事(5)

34

書記1

主事補3

主事補3

主事補3

主事補1

主事補1

主事補1

主事7

主事7

主事6

主事6

主事(4)

主事(4)

主事(4)

主事(5)

主事(5)

35

書記1

主事補3

主事補3

主事補3

主事補2

主事補2

主事補1

主事補1

主事7

主事7

主事6

主事6

主事(4)

主事(4)

主事(4)

主事(4)

36

書記1

書記1

主事補3

主事補3

主事補2

主事補2

主事補2

主事補1

主事補1

主事7

主事7

主事(2)

主事(2)

主事(2)

主事(3)

主事(3)

37

書記2

書記1

書記1

書記1

主事補2

主事補2

主事補2

主事補2

主事7

主事7

主事(1)

主事(1)

主事(2)

主事(2)

主事(2)

38

書記2

書記1

書記1

書記1

書記1

主事補2

主事補2

主事補2

主事補1

主事補1

主事(1)

主事(1)

主事(1)

主事(2)

主事(2)

39

書記2

書記2

書記1

書記1

書記1

書記1

主事補2

主事補2

主事補1

主事補(1)

主事補(4)

主事補(4)

主事(1)

主事(1)

主事(1)

40

書記2

書記2

書記2

書記1

書記1

書記1

主事補2

主事補2

主事補1

主事補1

主事補(4)

主事補(4)

主事補(4)

主事補(5)

主事補(5)

41

書記補1

書記2

書記2

書記2

書記1

書記1

書記1

書記1

主事補1

主事補1

主事補(3)

主事補(3)

主事補(4)

主事補(4)

主事補(4)

別表3の2入社年度別 組合員平均資格一覧表(中学卒)(昭和48~57年)

別表4資格手当 年度別推移一覧表(昭和48年~57年)

別表5職責、手当改定及び対応職級一覧表(昭和48年~55年)

別表6

世帯手当年度別推移一覧表(昭和48年~57年)

単位 百円

改定年月

昭和48年4月1日

49年4月1日

50年4月1日

50年10月1日

51年4月1日

号地

1号

2号

3号

4号

1号

2号

3号

4号

1号

2号

3号

4号

1号

2号

3号

4号

1号

2号

3号

4号

年令区分(昨年)

単身者

32才以下

66

63

56

49

104

101

94

87

108

105

98

91

116

109

102

95

121

114

107

100

24才以上

80

77

70

63

118

115

108

101

127

124

117

110

135

128

121

114

146

139

132

125

配偶者のみ扶養

153

142

133

124

214

202

193

184

237

224

215

206

266

252

238

224

293

277

261

245

配偶者及び子を扶養する者

32才以下

178

166

156

146

253

240

230

220

289

275

265

255

319

304

289

274

349

332

315

298

33~36

200

187

176

166

282

268

257

247

328

313

302

292

360

344

328

312

394

376

358

340

37~43

216

203

191

181

311

297

285

275

363

348

336

326

401

384

367

350

449

429

409

389

44~54

225

212

200

190

338

324

312

302

397

382

370

360

444

426

408

390

508

487

466

445

55才以上

200

187

176

166

282

268

257

247

328

313

302

292

360

344

328

312

399

381

363

345

※同志の礎817号参照

改定年月

昭和51年10月1日

52年4月1日

53年4月1日

54年4月1日

55年4月1日

56年4月1日

57年4月1日

号地

1号

2号

3号

1号

2号

3号

1号

2号

3号

1号

2号

3号

1号

2号

3号

1号

2号

3号

1号

2号

3号

年令区分(満)

単身者

21才以下

151

131

117

158

136

120

166

142

124

168

144

126

170

146

128

172

148

130

174

150

132

22才以上

176

156

142

187

165

149

197

173

155

201

177

159

205

181

163

209

185

167

213

189

171

配偶者のみ扶養

347

303

271

360

314

280

374

326

290

386

336

298

399

347

307

412

358

316

425

369

325

配偶者及び子を扶養する者

30才以下

407

359

325

422

372

336

442

390

352

458

404

364

480

422

380

502

440

396

526

460

414

31~34

461

409

373

482

428

390

509

453

413

533

475

433

566

504

460

602

536

490

638

566

518

35~41

520

464

424

547

489

447

581

521

477

617

555

509

661

594

547

708

638

588

754

678

626

42~53

586

526

484

623

559

513

666

600

552

717

649

599

772

700

648

803

754

700

886

804

748

54才以上

471

419

383

497

443

405

529

473

433

533

475

433

566

504

460

602

536

490

638

566

518

別表7賞与妥結額年度別一覧表(昭和48~56年)

別表9

住宅助成臨時措置特別加算支給率推移表

凡例 A‥基準内給与

C‥職責手当

支給年月

支給基準及び支給率

昭和48年12月

48年9月末(A-C)×10.1%RU

〃49.6

49.3末(A-C)×10.1%RU

〃50.1

49.9末(A-C)×15.9%RU

〃50.2

49.9末(A-C)×8.0%RU

〃50.7

50.3末(A-C)×23.8%RU

注(1) 50.7支給分の基準内給与は49/12の資格手当の改定前の手当額

別表10

財産形成給付金

凡例 A…基準内給与

C…職責手当

支給年月

支給基準及び支給率

昭和54年2月

53年9月末(A-C)×2.8%RU+

有扶養者12,000

無 〃 6,000

〃54.7.

54.3.末(A-C)×2.8%RU+

有 〃 12,000

無 〃 6,000

〃55.2.

54.9.末(A-C)×2.7%RU+

有 〃 12,000

無 〃 6,000

〃55.7.

55.3.末(A-C)×2.7%RU+

有 〃 12,000

無 〃 6,000

〃55.10.

55.9.末(A-C)×2.6%RU+

有 〃 52,000

無 〃 26,000

〃56.4.

56.3.末(A-C)×2.6%RU+

有 〃 19,000

無 〃 13,000

〃56.10.

56.9.末(A-C)×2.4%RU+

有 〃 59,000

無 〃 33,000

〃57.4.

57.3.末(A-C)×2.4%RU+

有 〃 19,000

無 〃 13,000

別表8住宅積立助成手当支給率推移表

別表11の1

基本級及び基準内給与・除世帯手当一覧表

[高校卒] 単位 円

年度

入社年度

57年4月

57年10月

58年

59年

基本給

資格

資格手当

職責手当

基準内・除世帯手当

基準内・除世帯手当

基準内・除世帯手当

基準内・除世帯手当

22年

3

218900

特任1

53400

14000

286300

289300

301500

314600

23年

3

219700

特任1

53400

14000

287100

290100

302300

315400

24年

3

219800

特任1

53400

14000

287200

290200

302400

315500

26年

3

212500

特任1

53400

14000

279900

282900

294800

307600

27年

3

216900

特任1

53400

14000

284300

287300

299400

312400

28年

3

217500

特任1

53400

14000

284900

287900

300000

313000

29年

2

217800

特任1

53400

20000

291200

294200

306600

319900

30年

2

212500

主事6

47800

20000

280300

283300

295200

308000

31年

2

207700

主事5

46200

20000

273900

276900

288600

301100

32年

2

201900

主事5

46200

20000

268100

271100

282500

294800

33年

3

201500

主事5

46200

14000

261700

264700

275900

287900

34年

3

199300

主事5

46200

14000

259500

262500

273600

285500

35年

3

194900

主事4

44600

14000

253500

256500

267300

278900

36年

4

189700

主事3

43400

14000

246700

249700

260200

271500

37年

4

182000

主事2

41400

14000

237400

240400

250500

261400

38年

4

174800

主事2

41400

14000

230200

233200

243000

253600

39年

5

168200

主事1

39800

11000

219000

222000

231400

241500

40年

5

162100

主補5

35600

11000

208700

211700

220600

230200

41年

6

155900

主補4

34200

7000

197100

200100

208600

217700

[中学卒]

年度

入社年度

57年4月

57年10月

58年

59年

基本給

資格

資格手当

職責手当

基準内除世帯手当

基準内除世帯手当

基準内除世帯手当

基準内除世帯手当

23年

4

188,200

主事6

47,800

14,000

250,000

253,000

263,700

275,200

世帯手当一覧表

別表12の1

昭和57年4月

単位 円

扶養区分\地域区分

1号

2号

3号

単身者

満 21才以下

17400

15000

13200

22才以上

21300

18900

17100

配偶者のみ扶養する者

42500

36900

32500

配偶者及び子を扶養する

30才以下

52600

46000

41400

31才以上 34才以下

63800

56600

51800

35才以上 41才以下

75400

67800

62600

42才以上 53才以下

88600

80400

74800

54才以上

63800

56600

51800

別表12の2

昭和57年10月

扶養区分\地域区分

1号

2号

3号

単身者

満 21才以下

14400

12000

10200

22才以上

18300

15900

14100

配偶者のみ扶養する者

39500

33900

29500

配偶者及び子を扶養する者

30才以下

49600

43000

38400

31才以上 34才以下

60800

53600

48800

35才以上 41才以下

72400

64800

59600

42才以上 53才以下

85600

77400

71800

54才以上

扶養・子3人

72400

64800

59600

扶養・子2人

60800

53600

48800

扶養・子1人

49600

43000

38400

別表11の2

基準内給与・除く世帯手当一覧表

[高校卒] 単位 円

年度

昭和60年

61年

62年

63年

平成元年

入社年度

基準内・

(除く世帯手当)

基準内・

(除く世帯手当)

基準内・

(除く世帯手当)

基準内・

(除く世帯手当)

基準内・

(除く世帯手当)

22年

329,600

345,000

358,300

374,900

394,400

23

330,400

345,800

359,200

375,900

395,400

24

330,500

345,900

359,300

376,000

395,500

26

322,300

337,300

350,300

366,600

385,600

27

327,300

342,600

355,800

372,300

391,600

28

327,900

343,200

356,500

373,100

392,500

29

335,100

350,700

364,300

381,200

401,000

30

322,700

337,800

350,900

367,200

386,300

31

315,500

330,200

343,000

358,900

377,500

32

308,900

323,300

335,800

351,400

369,700

33

301,600

315,700

327,900

343,100

360,900

34

299,100

313,100

325,200

340,300

358,000

35

292,200

305,800

317,600

332,400

349,700

36

284,400

297,700

309,200

323,600

340,400

37

273,900

286,700

297,800

311,600

327,800

38

265,700

278,100

288,900

302,300

318,000

39

253,000

264,800

275,000

287,800

302,800

40

241,200

252,500

262,300

274,500

288,800

41

228,100

238,800

248,000

259,500

273,000

[中学卒]

年度

昭和60年

61年

62年

63年

平成元年

入社年度

基準内除世帯手当

基準内除世帯手当

基準内除世帯手当

基準内除世帯手当

基準内除世帯手当

23年

288,300

301,800

313,500

328,100

345,100

別表11の3

基準内給与・除く世帯手当一覧表

[高校卒] 単位 円

年度

平成2年

3年

入社年度

基準内・

(除く世帯手当)

基準内・

(除く世帯手当)

22年

416,600

438,700

23

417,700

439,900

24

417,800

440,000

26

407,300

428,900

27

413,700

435,700

28

414,600

436,600

29

423,600

446,100

30

408,100

429,800

31

398,800

420,000

32

390,500

411,200

33

381,200

401,500

34

378,200

398,300

35

369,400

389,000

36

359,600

378,700

37

346,300

364,700

38

335,900

353,800

39

319,900

336,900

40

305,100

321,300

41

288,400

303,700

42

278,300

293,100

[中学卒]

23

364,500

383,900

別表12の3

昭和58年4月

扶養区分\地域区分

1号

2号

3号

単身者

満 21才以下

14500

12100

10300

22才以上

18400

16000

14200

配偶者のみ扶養する者

40200

34400

29800

配偶者及び子を扶養する者

30才以下

51000

44200

39400

31才以上 34才以下

62800

55400

50400

35才以上 41才以下

74900

67100

61700

42才以上 53才以下

88600

80200

74400

54才以上

扶養・子3人

74900

67100

61700

扶養・子2人

62800

55400

50400

扶養・子1人

51000

44200

39400

別表12の4

昭和59年4月

扶養区分\地域区分

1号

2号

3号

単身者

満 21才以下

14600

12200

10400

22才以上

18500

16100

14300

配偶者のみ扶養する者

40900

34900

30100

配偶者及び子を扶養する者

30才以下

52400

45400

40400

31才以上 34才以下

64800

57200

52000

35才以上 41才以下

77400

69400

63800

42才以上 53才以下

91600

83000

77000

54才以上

扶養・子3人

77400

69400

63800

扶養・子2人

64800

57200

52000

扶養・子1人

52400

45400

40400

別表12の5

昭和60年4月

扶養区分\地域区分

1号

2号

3号

単身者

満 21才以下

14700

12300

10500

22才以上

18700

16300

14500

配偶者のみ扶養する者

41700

35500

30500

配偶者及び子を扶養する者

30才以下

54000

46800

41600

31才以上 34才以下

67000

59200

53800

35才以上 41才以下

80000

71800

66000

42才以上 53才以下

94600

85800

79600

54才以上

扶養・子3人

80000

71800

66000

扶養・子2人

67000

59200

53800

扶養・子1人

54000

46800

41600

別表12の6

昭和61年4月 昭和62年4月

扶養区分\地域区分

1号

2号

3号

単身者

満 21才以下

14800

12400

10600

22才以上

18900

16500

14700

配偶者のみ扶養する者

42600

36200

31000

配偶者及び子を扶養する者

30才以下

55500

48100

42700

31才以上 34才以下

68900

60900

55300

35才以上 41才以下

82300

73900

67900

42才以上 53才以下

97200

88200

81800

54才以上

82300

73900

67900

別表12の7

昭和63年4月

扶養区分\地域区分

1号

2号

3号

単身者

満 21才以下

14900

12500

10700

22才以上

19600

17000

15000

配偶者のみ扶養する者

43600

37000

31600

配偶者及び子を扶養する者

30才以下

57000

49400

43800

31才以上 34才以下

70700

62500

56700

35才以上 41才以下

84300

75700

69500

42才以上 53才以下

99400

90200

83600

54才以上

84300

75700

69500

別表12の8

平成元年4月

扶養区分\地域区分

1号

2号

3号

単身者

満 21才以下

15100

12700

10900

22才以上

20400

17600

15400

配偶者のみ扶養する者

44800

38000

32400

配偶者及び子を扶養する者

30才以下

58700

50900

45100

31才以上 34才以下

72600

64200

58200

35才以上 41才以下

86400

77600

71200

42才以上 53才以下

101700

92300

85500

54才以上

86400

77600

71200

別表12の9

平成2年4月

扶養区分\地域区分

1号

2号

3号

単身者

満 21才以下

15300

12900

11100

22才以上

21400

18400

16000

配偶者のみ扶養する者

46400

39400

33600

配偶者及び子を扶養する者

30才以下

60600

52600

46600

31才以上 34才以下

74700

66100

59900

35才以上 41才以下

88700

79700

73100

42才以上 53才以下

104200

94600

87600

54才以上

88700

79700

73100

別表12の10

平成3年4月

扶養区分\地域区分

1号

2号

3号

単身者

満 21才以下

15500

13100

11300

22才以上

22400

19200

16600

配偶者のみ扶養する者

48000

40800

34800

配偶者及び子を扶養する者

30才以下

62400

54200

48000

31才以上 34才以下

76700

67900

61500

35才以上 41才以下

90900

81700

74900

42才以上 53才以下

106600

96800

89600

54才以上

90900

81700

74900

別表13の1賞与妥結率及び妥結額

別表13の2賞与妥結率及び妥結額

(1)  昭和59年度  総額585000円  妥結率 59/3末基準内×2.45ケ月

① 昭和59年度下期分(昭和60年6月支給)60/3末基準内×2.45ケ月

(2)  昭和60年度  総額611000円  妥結率 60/9末基準内×2.47ケ月

① 昭和60年度上期分(昭和60年12月支給)60/9末基準内×2.47ケ月

② 昭和60年度下期分(昭和61年6月支給)61/3末基準内×2.47ケ月

(3)  昭和61年度  総額635000円  妥結率 61/9末基準内×2.49ケ月

① 昭和61年度上期分(昭和61年12月支給)61/9末基準内×2.49ケ月

② 昭和61年度下期分(昭和62年6月支給)62/3末基準内×2.49ケ月

別表13の3賞与妥結率及び妥結額

(1)  昭和62年度  総額658,000円  妥結率 62/9末基準内×2.53ケ月

① 昭和62年度上期分(昭和62年12月支給)62/9末基準内×2.53ケ月

② 昭和62年度下期分(昭和63年6月支給)63/3末基準内×2.53ケ月

(2)  昭和63年度  総額688,000円  妥結率 63/9末基準内×2.56ケ月

① 昭和63年度上期分(昭和63年12月支給)63/9末基準内×2.56ケ月

② 昭和63年度下期分(平成元年6月支給)元年/3末基準内×2.56ケ月

(3)  平成元年度  総額665,000円+0.2ケ月

妥結率 元年/9末基準内×2.57ケ月

① 平成元年度上期分(平成元年12月支給)元年/9末基準内×2.57ケ月

別表13の4賞与妥結率及び妥結額

(1)平成元年度 総額 665,000円+0.2ケ月

(妥結率 元年/9末基準内×2.57ケ月)

①平成元年度下期分(平成2年6月支給)

2年/3末基準内×2.57ケ月

(2)平成2年度 総額 689,000円+0.235ケ月

(妥結率 2年/9末基準内×2.572ケ月)

① 平成2年度上期分(平成2年12月支給)

2年/9末基準内×2.572ケ月

② 平成2年度下期分(平成3年6月支給)

3年/3末基準内×2.572ケ月

(3)平成3年度 総額 713,000円+0.248ケ月

(妥結率 3年/9末基準内×2.586ケ月)

① 平成3年度上期分(平成3年12月支給)

3年/9末基準内×2.586ケ月

別表14の1住宅助成手当

(1)58.1支給  57.9末基準内・除職責手当×29.8%

(2)58.6支給  58.3末基準内・除職責手当×29.3%

(3)59.1支給  58.9末基準内・除職責手当×29.6%

(4)59.6支給  59.3末基準内・除職責手当×29.6%

(5)60.1支給  59.9末基準内・除職責手当×28.7%

別表14の2住宅積立助成手当

(1)60/6支給  60/3末基準内・除職責手当×28.6%

(2)61/1支給  60/9末基準内・除職責手当×27.7%

(3)61/6支給  61/3末基準内・除職責手当×27.5%

(4)62/1支給  61/9末基準内・除職責手当×26.8%

(5)62/6支給  62/3末基準内・除職責手当×26.6%

別表14の3住宅積立助成手当

(1) 63/1支給  62/9末基準内・除職責手当×26.1%

(2) 63/6支給  63/3末基準内・除職責手当×26.1%

(3)元年/1支給  63/9末基準内・除職責手当×25.5%

(4)元年/6支給 元年/3末基準内・除職責手当×25.5%

(5) 2/1支給 元年/9末基準内・除職責手当×24.5%

別表14の4住宅積立助成手当

(1)平成2年/6月支給  2年/3末基準内・除職責手当×24.5%

(2)平成3年/1月支給  2年/9末基準内・除職責手当×23.6%

(3)平成3年/6月支給  3年/3末基準内・除職責手当×23.7%

(4)平成4年/1月支給  3年/9末基準内・除職責手当×22.8%

別表15の1財産形成給付金

有扶養  無扶養

(1)57.10支給 57.9末基準内・除職責手当×2.3%RU+59000(33000)

(2)58.4支給 58.3末基準内・除職責手当×2.3%RU+19000(13000)

(3)58/10支給 58.9末基準内・除職責手当×2.2%RU+59000(33000)

(4)59.4支給 59.3末基準内・除職責手当×2.2%RU+19000(13000)

(5)59/10支給 59.9末基準内・除職責手当×2.2%RU+59000(33000)

※RU=100円単位に切り上げ

別表15の2財産形成給付金

(1)60/4支給 60/3末基準内・除職責手当×2.2%RU+19000(13000)

(2)60/10支給 60/9末基準内・除職責手当×2.1%RU+59000(33000)

(3)61/4支給 61/3末基準内・除職責手当×2.1%RU+19000(13000)

(4)61/10支給 61/9末基準内・除職責手当×2.0%RU+59000(33000)

(5)62/4支給 62/3末基準内・除職責手当×2.0%RU+19000(13000)

別表15の3財産形成給付金

(有扶養者) (無扶養者)

(1) 62/10支給   62/9末基準内・除職責手当×2.0%RU+59,000(33,000)

(2) 63/4支給   63/3末基準内・除職責手当×2.0%RU+19,000(13,000)

(3) 63/10支給   63/9末基準内・除職責手当×1.9%RU+59,000(33,000)

(4)元年/4支給  元年/3末基準内・除職責手当×1.9%RU+19,000(13,000)

(5)元年/10支給  元年/9末基準内・除職責手当×1.9%RU+59,000(33,000)

別表15の4財産形成給付金

(1) 平成2年/4月支給

2年/3末基準内・除職責手当×1.9%RU+19,000(13,000)

(2) 平成2年/10月支給

2年/9末基準内・除職責手当×1.8%RU+59,000(33,000)

(3) 平成3年/4月支給

3年/3末基準内・除職責手当×1.8%RU+19,000(13,000)

(4) 平成3年/10月支給

3年/9末基準内・除職責手当×1.7%RU+59,000(33,000)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例